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前回、1991年の東横線新丸子駅で撮影した東急7000系の写真をご紹介しました。
7000系といえば日本初のオールステンレス車として1960年代終わりにつくられましたが、時代が平成に変わった1990年代に入っても、変わらず東横線の第一線で走り続けていました。
ですから、80年代終わりに高校へ進学し、毎日のように東横線に乗るようになると、7000系にも乗る機会があったのです。
ところが、この7000系は冷房が装備されておりませんでした。ですから、暑い夏にこれに乗ると、モワッとした暖かい空気が車内に充満していて、列車が走り出すまで暑さとの闘いだったのです。いえ、走り出しても生暖かい風が窓から入ってくるので、お世辞にも「涼しい」とはいえませんでした。
とはいえ、この頃の夏の最高気温はせいぜい32℃ほど。今日のように35℃とか38℃とかなんてことはほとんどなかったのが救いです。
ところで、この頃になると営団も東急も、車両の更新を始めていました。東急は先に登場した9000系をベースに、直通運転をする日比谷線の仕様に合わせた18m級の車体をもつ1000系を製造しました。もちろん、東急電鉄のお家芸であるオールステンレス車でした。
一方、営団はというと03系の導入を進めていました。1000系とは異なり、車体はアルミニウム製。そして、制御装置は電機子チョッパを採用していました。このアルミと電機子チョッパという組み合わせは、営団のお家芸でもありました。
日比谷専用につくられた03系は、当然ですが最初から冷房を装備していました。
ですから、真夏の暑い日に、汗だくになって駅で列車を待っていると、菊名行きの列車でこれがやってくると「やった!」と思わず心の中で叫んだものです。菊名で乗り換えはしなければなりませんが(高校は菊名の先の駅で降りなければならないので)、体を冷やして汗をひかせるには十分。快適に通学ができたのです。
ところで写真に写る03系第9編成。前面の扉の窓に「5DOOR」のステッカーが貼り付けてあります。そして、側面を見るとドアが5つ。
通常よりも客用扉を多くし、ラッシュ時において乗降にかかる時間を短縮することで、混雑を緩和をねらった「切り札」でした。実際、東横線内ではこの5ドアの威力は発揮されて、北千住行きの列車ではこのドアを装備している1・2号車と7・8号車の乗降時間は見事に短縮できていました。
もっとも、これも日中になると宝の持ち腐れ。ドアを増やした分だけ、座席は少なくなってしまうので、接客サービスの面では低下を免れませんでした。そのため、この車両を敬遠する利用客もあったのは確かで、車内はガラガラなんてこともしばしばありました。まあ、ドア付近に立つことが多い筆者は、車内が空いている方が嬉しいので、5ドアの03系は好んで乗ることもありました。
その03系も、製造から既に30年以上が経ちました。
通常、営団→東京メトロでは、営業用車両は40年以上使い続けることが多いのですが、この03系は40年に及ばない段階での廃車が進んでおりました。
ホームドアの設置を推進するにあたって、この5ドア車は真っ先に使いづらい車両になってしまったのです。また、日比谷線の建築限界を改めて測定した結果、03系の18m級車両ではなく、20m級の車両でも走行が可能ということが分かり、新たに13000系の導入が進められました。
18m級の車体をもつ03系は、1両あたり3つの客用扉を備えますが、新形式である13000系は20m級で4ドアとなりました。編成は8両から7両に減車となってしまいましたが、ドアとドアの間隔が短くなるので、ラッシュ時の混雑にも十分耐えられると判断したようです。
時代の流れとはいえ、こうして慣れ親しんだ車両が姿を消すのは寂しいですが、第二の活躍のが与えられ熊本電鉄や北陸鉄道、長野電鉄に譲渡され、今後の活躍を期待します。これも、軽量で耐候性が高いアルミ車だからできることの一つだと思います。
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