旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・地上だけでなく作業は高いところでも【4】

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地上だけでなく作業は高いところでも【4】

 何度か鉄塔を昇るための訓練はするものの、やはり10mのところでどうしても体が固まってしまっていた。いったい、いつになったら30mを昇ることができるようになって仕事をできるのか、もしかしたらそんなことは一生叶わないのかも知れない、そう思いながらも何度もチャレンジしたものだった。

 目標をもって努力を続けていけば、いつかは叶うと誰かが言っていたけれど、まさかそのことが現実になる日がくるとは思わなかった。


前回までは

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 ある日、同じように詰所のある横浜羽沢駅構内の鉄塔を昇っている時、10mのところまでは難なく昇ることができた。さて、そこから次の梯子に昇り変えるというのがなかなかできなかったことだった。
 ところが、特に意を決したわけでもなく、なんとなく昇らなければと思って梯子に取り付くとあら不思議。それまで体が固まってしまい動くことすらできなかったのが、すらすらを10mのところまで昇ってきた時と同じように昇っていくことができてしまったのだ。

 そんなこんなで、20mのところにつくと、ほんの一息休んだだけで三本目、つまり20mから30mへとつなぐ梯子に取り付き、これもまた余裕で昇ることができてしまったのだ。

 とうとう30mの鉄塔を昇ることができた。
 それまでまったくといっていいほどできなかったことができたので、それはもう心は踊りたい気分だった。しかも同期でも30mを昇ったのは一番乗りだった。
 まさに、どや顔をしながら「どうだ、昇ったぞ。真似できないだろう?」なんて言って自慢したかった。が、実際にはそんなことできもしなかった。そりゃあそうだ、なにせ30mの鉄塔に昇ってきたのは私一人だけ。しかも、そこから昇ってきた梯子を伝って降りていかなければならないのだ。

 それにしても30mの鉄塔の上からの眺めは格別だった。いや、仕事なのでそんなことを言ってしまうのは不謹慎かも知れないが、本当なら機関車や貨車の整備や、駅で貨車の入れ換えなどを仕事にする鉄道マンだったはずが、何の運命の悪戯かそうした仕事から遠い、線路際で電気を相手にする仕事に就き、しかも30mを昇るなんて誰も想像がつかないことをするのだ。もしかしたら、私の両親だって、大事な息子がそんな危険なことを仕事にしているなんて、これっぽっちも想像しなかっただろう。当の本人の私ですら想像しなかった。だから、鉄道マンになってまでこれだけ高い鉄塔に昇るのだから、それなりの「楽しみ」をもたなければ勿体ないというものだ。

 横浜羽沢駅は東海道新幹線の新横浜駅から西に数キロというところで、しかももともとは丘陵地を切り拓いてつくったところにある。だから駅のあるあたりは海抜30mの位置にある。そこからさらに30mの鉄塔に昇ると、合計で海抜60mにもなった。それだけ高ければ、眺めは最高だった。
 ちょうど新横浜方面を見ると、東海道貨物線や並走する東海道新幹線、そしてその先には新横浜駅が見え、近くには当時建設中だった新横浜プリンスホテルも視界に入っていた。さらに遠くには、新鶴見機関区の近くにある新川崎の高層マンションとビルも見えるほどだった。

 こうして鉄塔に昇ることができるようになると、高いところに昇る必要がある作業があるときには、ほぼ優先的に担務指定が割り当てられるようになった。
 そういうこともあってか、高所での作業をどんどんとこなして、経験値を上げていくことができるようになった。