旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【30】

広告

21世紀近くになって得た新たな仕事場【1】

 いよいよ、103系電車のお話も終わりが近づいてきました。
 大都市圏の通勤輸送に対応し、経済性を優先させた性能で設計された103系電車は、当初のの予定通り多くの通勤路線で活躍しました。その基本設計は21世紀に入っても受け継がれ、JR東日本ではE231系電車に代表される同社の一般形電車もまた、4ドア・ロングシートという内装で、加速・減速性に優れたものとなりました。


前回までは

blog.railroad-traveler.info


 同じく103系電車を運用し続けたJR西日本も、207系電車や321系電車は通勤形として設計・製造され、やはり4ドア・ロングシートという内装で、多くのお客さんを短時間で捌くことができるようにしました。
 大阪環状線用に登場した323系電車はドア数を揃える必要から、3ドアにはなりましたが、多くのお客さんを効率よく乗せるという設計思想はやはり通勤形電車のものでした。

 21世紀に入ってすぐの頃は、製造から40年近く経ったにもかかわらず、103系電車もまだまだ一線級の車両でした。しかし寄る年波には勝てなくなってきたことや、車体が普通鋼で製作されているために車両の重量はステンレス車に比べて重く、しかも塗装をしなければならないので大規模な検査の時には車体を塗り直すという手間がありました。
 加えて、電車の速度を制御する方法が抵抗制御+直流直巻電機子電動機という昔から受け継がれた方法も、時代にはそぐわなくなりつつありました。

 1990年代には既に消費電力が少ない経済性の高いVVVFインバータ制御+かご形三相誘導電動機という方法が確立し、軽量ボルスタレス台車とも相俟って、103系電車の消費電力はこれらの車両の3倍以上ということになってしまいました。

 さすがにこれだけ経済性が悪く、しかもメンテナンスの手間とコストもかかるとなると、国鉄とは異なり利益を出さなければならない旅客会社にとって、これ以上老兵たる103系電車を使い続ける理由はありません。できることなら、今すぐにでも新車に置き換えたいのが本音だったでしょう。

 JR東日本国鉄時代に開発・製造されたオールステンレス車205系電車を、若干の手直しをして追加製造しました。103系に比べて車体は軽量になり、界磁添加励磁制御という方法で回生ブレーキも使うことができるので、省エネ性は飛躍的に増しました。

 JR西日本も同じく205系に独自の改良を加えた1000番代をつくりましたが、こちらは少数で終わってしまいました。新車は京阪神を結ぶ新快速などの速達列車が優先され、通勤路線といえどもローカル輸送には引き続き103系を使う方針になりました。

 そこで、JR西日本は大規模な延命工事を施していきました。

 

JRW-103-EMU-KansaiLine
大阪環状線を走る関西線用の103系。多くの103系を継承したJR西日本は、様々な事情によりJR東日本のように一気に置き換えることは難しかった。そのため、暫くは103系を使用し続けることを想定し、外装・内装も時代に合わせたものへとリニューアルを施した。写真の「体質改善40N」と呼ばれるリニューアル工事は、まるで別物に近い徹底ぶりだった。(まも [Public domain], from Wikimedia Commons

 

 はじめは戸袋窓の埋め込みと、窓サッシの交換や屋根上のベンチレーターの撤去といった程度でした。ところが、その工事も年数を重ねるにつれて大きくなっていきます。ついにはぱっと見で、「これが103系か?」と目を疑いたくなるほどの変貌を遂げる工事が施されました。

 窓サッシを全面的に改良し、二つの窓を1つの窓へと「統合」したり、雨樋をすべて埋め込み式ににして張り上げ屋根へと変え、さらに車内の座席デザインも全面的に新しいものにし、天井の冷房風洞も交換して扇風機からラインデリアに変えるなど、まさに別物といっていいほどでした。

 こうまでして103系を使い続けなければならなかったのは、JR西日本の財政事情が大きく関係してたといえるでしょう。
 首都圏というドル箱を抱えているJR東日本や、常にほぼ満席で大きな収入源となる東海道新幹線をもつJR東海に比べると、収入が少なく赤字を出すローカル線を多く抱えているために、どうしても経営基盤が弱いのが難点でした。

 新車をつくるにしても、それ相応の金額がかかってしまいます。高価な新車は歴史的にも熾烈な競争を繰り広げてきた京阪神を結ぶ列車や、看板ともなる特急列車に優先的に割り当てました。

 それ故に、国鉄から継承した大量の103系電車を新車へ置換えるのは後回しになり、それどころか大規模な延命工事を施して長期間にわたって使い続けなければならなかったのです。