旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・地上だけでなく作業は高いところでも【6】

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地上だけでなく作業は高いところでも【6】

 それまで何度と昇ってきたように、八王子駅でも昇ることができた。が、どういうわけか、いつもと感覚が違っていた。ほかの駅とは間違いなく、なにかが違ったのだ。

 その理由は二つあった。


 前回までは
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 一つは、八王子駅自体が勾配の途中に、つまり坂の途中につくられた駅だということだった。

 駅のホームに立ってみると気付かないと思う。それは、ホームや線路のあるところは平地になるように「造られた」からだ。ところが、駅本屋、つまり改札などのある建物があるところが頂上にして、東京方へ向かうにつれて駅の構外は緩やかな坂道を下るようになっている。駅から線路沿いの道を歩くとよく分かるが、東京方へ向かうにつれて線路はだんだんと高い位置になっていくのだ。 

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▲横浜羽沢駅の本屋傍にある30鉄塔と投光器。鉄塔の背後には第三京浜道路がある。鉄塔には大時計が取り付けられており、ここで10mの高さがある。時計の上に昇る梯子を昇っているのが筆者。その先に20mの踊り場があり、さらにその先に30mまで昇る梯子がありもう一人の職員が昇っているのが見える。(1993年頃)

 

 これは、八王子駅が高尾山の麓にあるためだった。そのために、東西に広い構内をもつ八王子駅は、緩やかな勾配の上につくられたため、列車の停車に適した平地になるように盛土がされているのだった。

 その盛土がされた分だけ、鉄塔の高さも高く感じてしまう。ほかの駅では30mの鉄塔も、八王子駅では駅の脇を通る道路から測れば40mにもなってしまう。だから、昇っている最中にも妙にいつもよりも高く感じたのだ。

 これだけではなかった。

 冬の八王子はとにかく寒い。多くの人は、八王子は東京都下にありながら、夏は暑く冬は寒いという。八王子は盆地のような地形にあるので、こうしたことが言われるようだ。冬の寒さは盆地であることに加えて、高尾山から吹き下ろしてくる冷たい風も、その要因の一つだった。

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▲高所作業の装備をしている筆者。冬季の作業は防寒のためにアノラックと呼ばれる防寒服を着用し、その上から工具を吊り下げた安全帯を巻いていた。そのため、夏季に比べると身動きが取りにくくなるという欠点もあったが、それでも同じように作業をしなければならず気力、体力ともに要求される仕事だったといえる。(1993年)

 

 都心から手軽にハイキングができる高尾山も、よくよく調べて見ると秩父山地の一つ。そうなると、吹き下ろす風は冷たく、そして強かった。

 その風が、あろうことか私が昇る鉄塔を僅かに揺らしていたのだ。

 まあ、それで壊れることはないし、揺れが激しくて振り落とされるなんてことはないが、それでも昇っている最中に揺れるのはあまり気持ちのいいものではない。できれば、そんなオマケは願い下げにしたかった。

 あと、この風が嫌なのは寒いということだった。

 山からの吹き下ろしの風はとにかく冷たい。ところが梯子を昇る手には軍手を一枚はめただけ。冷たい風で手も冷やされるが、何しろ鉄塔の梯子は鉄でできているから、余計に手先が冷やされる。だから、油断をすると手先に力が入らない、なんてことにもなりかねなかった。

 身が縮むような寒さに耐えながら、全神経を集中して鉄塔に昇る作業はとにかく体力的にも、精神的にもこたえるものだった。

 だが、昇ってみると・・・やはり、絶好の眺めという「ご褒美」が待っていた。

 何度もお話ししてきたように、八王子駅は盛土の上にある。それに加えて、東京の都心に比べて八王子駅のある場所は標高が高い。しかも、東方面には開けた地形なので、都心部の眺めはよかった。

 ちょうど中央本線が通る新宿の超高層ビルはもちろん、東京タワーなど都心の高層ビル群がよく見えた。晴れた日などは、それこそ絶景であった。

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▲横浜羽沢駅の戸塚方にある鉄塔からの眺め。この当時は新横浜駅前にプリンスホテルはまだなく、何とも殺風景ではあったが、それでも眺めがよいことには変わりなかった。眼下に広がる駅構内には、かつて荷物列車の発着に使われたホームがあり、その脇をDE11 2000番代ディーゼル機関車が貨車を入換ている。右側には管理棟と呼ばれる建物があり、トラックから下ろされた荷物や郵便物をホームへと運んでいたが、この頃には機能停止がされていたヤマト運輸に貸し出していた。(1993年頃)