旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・派出勤務と一本立ち【4】

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第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・派出勤務と一本立ち【4】

 派出勤務になってからというもの、とにかく八王子での作業が多かった。前にも書いたが、1週間6日間の勤務のうち(この頃は、まだ週休2日制なんてごく一部の大手企業だけで、多くは週6日間労働が当たり前。JRも週6日が基本だったが、私が在職中に2週11日になり、週5日勤務へと変わっていった)、八王子に出向かないのは土曜日ぐらいで、5日間すべてが八王子なんてこともあった。

 派出から毎日1時間半ほどの時間をかけて行き来した八王子は、私にとっても思い入れのある場所になった。そんな八王子での話題をいくつかお話ししたいと思う。

前回までは・・・

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 八王子という場所は、東京都内でも自然条件が厳しい方だといえる。八王子の周囲を囲むように高尾山や陣馬山があり、盆地に近い地形をしているため、夏は暑くて冬は寒い。ちょうど京都市と似たような気候なので、冬には都心部では雨でも、八王子では雪が降っていたなんてこともある。

 その冬の八王子駅で、夜間に構内を照らす投光器が不具合を起こし、駅から修理の要請があった。

 広大な八王子駅は、その多くが旅客会社の保有・管理する施設があるが、その中に貨物会社の施設が点在している。修理を要請された投光器は、旅客会社の線路群の中に立っている鉄塔に取り付けられているので、私は旅客会社のものかと思っていたのだが、どうやらそうではなかった。

 駅構内を照らす投光器は、1000Wの高圧水銀灯の光で照らす照明だ。1000Wというと、どのくらいの明るさか想像つかないかもしれない。オフィスなどでよく使われている直管の蛍光灯が1本40Wで、これを2個1組で使うと80Wだ。これを13組26本で1000Wの明るさになると考えると、かなり眩しい明るさだと想像してもらえるだろう。

 これだけの明るさがあったとしても、これが1個ではどうにもならないが、何個かを組み合わせることで、夜の駅構内を作業ができるほどに照らすことができる。そして、何よ

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八王子駅の空中撮影写真。これは1984年に撮影されたものだが、上の写真を見ると、東京方(写真右側)には、すでにコンテナ貨物を取り扱うためのコンテナホームと仕訳線群が見える。さらに拡大したのが下の写真で、左側には旅客ホームや八王子機関区があり、中央本線が右側にまっすぐ伸びている。そして右下にカーブで反れていくのが横浜線。この二つの線路のちょうど分かれ目のところに、この話で出てくる鉄塔があるのが分かる。この鉄塔付近の線路際を見ると、緑色に生い茂る草があるが、この部分が盛土になっているので、鉄塔は30m以上の高さの位置に頭頂部があることになる。(国土交通省カラー空中写真より出典。一部トリミングは筆者によるもの)



りもこの照明器具を置く場所が肝心で、地上にポンと置いたところで構内を照らすことなどできない。そこで、より効率よく照らすためには、この照明器具を高いところに取り付けなければならない。

 大規模な駅の構内や、かつてあった操車場(ヤード)の構内には、必ずといっていいほど高い鉄塔が設けられている。あの30mもの高さのある鉄塔の上に、この1000Wの電球と照明器具は取り付けてあるのだ。

 この頃の私は、本区時代に何回も30mの鉄塔に登っては、水銀灯の電球交換をしたり、照明器具の安定器を交換したりしてきたので、担務指定を受けたときも「ああ、いつものあの作業か」くらいにしか考えていなかった。

 これまで何度も繰り返してきたように、機材倉庫からは必要な工具などを出して公用車に積み込み、資材倉庫からは取り替える1000Wの水銀灯の電球と、万一のために安定器と呼ばれる小型のトランスを出してきた。そしてこれまたいつもと同じように、私が公用車のハンドルを握り、電力関係を担当する先輩たちを乗せて、八王子駅へと向かった。

 八王子駅に着くと、球切れを起こした投光器は、駅の東京方にある、ちょうど中央本線横浜線が分かれていく三角地帯にあるものだとわかった。

 現場に着いて準備を終えると、「ナベ、先に行ってこい」という先輩の一言だけで、私が先に登ることが決まってしまった。

 もちろん、イヤではなかったし、こうやって登っていって作業をするのも仕事と心得ていた、とはいえ、いまのご時世だったら、本人の同意もなしに命にかかわるような作業を勝手に押しつけられれば、きっと「パワハラ」なんて騒ぐのだろう。まあ、90年代の初めの頃、“ハラスメント”などという言葉はなかったし、鉄道は他の業種と比べても上下関係が厳しかったから、入社2年目の若造である私に、反論することも拒否することも許されなかった。それ故に、複雑で多くの人間が介在する巨大システムである鉄道を、円滑に動かすことができたのかも知れない。

 さて、先輩の命令に、私も二つ返事で応じて、腰には安全帯と胴綱、そして命綱。さらに、30mの高さがある鉄塔上部と地上の間を、交換部品などの上げ下ろしするために、カゴを結ぶための長いロープを体に巻き付けると、本区時代と同じように鉄塔の梯子を登っていった。

 ところが、だんだん高いところに登って行くにつれて、それまでとは異なる感覚だった。

 なにかというと、どうもそれまで登った鉄塔とは、高さが違う気がしてならなかったのだ。

 いや、国鉄の駅や操車場に建てられている鉄塔は、その多くが規格化されたものだ。駅ごとに異なるオリジナルの鉄塔など建てていては、コストもかかるしメンテナンスの手間もかかるから、いいことなど一つもない。車両ですら、全国どこでも配転させて使えるように設計・製造し、標準化を徹底しているのだから、鉄塔だって同じだった。

 それだけ標準化が徹底されているにもかかわらず、どうも八王子駅の鉄塔は感覚が違う。

 たしかに真冬、それも1月か2月だったので、高尾山を含む秩父山地からの吹き下ろしがあるせいで、上に行けば行くほど非常に冷たい風に煽られていた。おかげで、軍手をしていても手先は冷たくなり、体の芯まで冷え切ってしまった。アノラックと呼ばれる支給品の防寒着を上下着込んでいたからある程度はしのげたが、やはり寒いのは寒い。

 だが、それだけではなかったのは、寒さに耐えながら鉄塔の頭頂部に登りきって初めて気付いた。

 というのも、地上で待機している先輩に、持ってきたロープを下ろそうと下を見たときに、思わずギョッとしてしまった。

 つもとは違う高さになっているではないか!

 その理由は、実際の地上からの高さは、鉄塔の高さよりもさらに高かった、ということなのだ。

 確かに鉄塔そのものの高さは30mだった。ところが、鉄塔が建っているところは、先ほどもお話ししたように中央本線横浜線が分かれる三角地帯。この場所、駅の敷地は水平にするために盛土がされていて、その周りの土地はといえば東京方に向かってなだらかな坂になっていた。そして、この三角地帯は、約10m程度の盛土がされていたので、鉄塔の高さ30m+盛土の高さ約10mが、実際の頭頂部の高さだったのだ。

 さすがに40mという高さになると、いくら高いところでの作業に慣れたとはいえ、怖さで足がすくんだ。オマケに秩父山地からの吹き下ろしが強く、鉄塔は僅かに揺れているものだから、余計に恐怖心を煽られた。

 もっとも、作業がすべて終わるまでは逃げ出すことなど許されない。

 だから、この日の作業は恐怖と寒さとの闘いになってしまった。もっとも、八王子自体がそれなりの標高があったので、新宿方面を眺めるととてもいい景色だった。新都心超高層ビル群はもちろん、都心部を広く見渡すことができるのは、なんとも贅沢なものだった。まあ、寒さと恐怖さえなければ最高なのだけれど。

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