旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 先頭車に変えてみたら

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 南武線という路線をご存知でしょうか。ご存知の方なら、「ああ、あの・・・」と思われると思います。神奈川県東部に位置する川崎市をほぼ縦断し、多摩川を越えて立川まで至る通勤路線です。

 この南武線は、今でこそJR東日本の方針により、E233系8000番代と8500番代という最新鋭の軽量ステンレス車体の電車が走っていますが、かつては「最新鋭」という言葉とはまったとくといっていいほど無縁でした。

 筆者が物心ついたときの南武線といえば、ぶどう色2号一色に塗られた車体に、床は木製で古めかしい73系の牙城。たまに出かける八丁畷では、戦前製のクモハ11+クハ16の2両編成が行ったり来たりする浜川崎支線を見たものですが、いずれにしても吊り掛け駆動特有の轟音を響かせ、なんか必死になって走っているという感覚をもちました。

 その中に、ほんの一時期だけですが、カナリアイエローに塗られた101系が颯爽と走った時期も。これは川崎ー登戸間で運転された快速列車で、中央線から借り入れてきた101系を使って運転していましたが、あまりいい評判を得られず短期間で姿を消していきました。

  その後は、南武線にも新性能車の波が押し寄せてきましたが、国鉄南武線に新車の投入など微塵も考えてはなかったので、中央・総武緩行線103系や201系の投入で押し出された101系を中原に配置し転用しました。

 やがて103系南武線にやって来ましたが、これらも新車ではなく山手線や京浜東北線、中央線快速、さらには常磐線快速などなど、新車の投入で押し出されてきた車両たちを寄せ集めてきたもの。国鉄時代の南武線はかなり冷遇されていたのです。

 

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205系1200番代(横ナハ42編成、クハ205-1204×6連) 2004年8月 久地-宿河原

 

 そんな中古車の寄せ集め集団となっていた南武線に転機が訪れたのは、民営化後のことでした。老朽化する101系を置き換えるため、オールステンレス車体界磁添加励磁制御という抵抗制御を基本としながら、回生ブレーキなどが使える省エネルギー205系を投入しました。

 205系国鉄形でしたが、これは他の線路で使われた中古車ではなく、なんと直接新車を中原に配置してきたのです。まさに、利用者にとっては「分割民営化の効果」がはっきりと見えることだったのです。

 ところが、この205系の新製配置も、残存する103系をすべて置き換えることはなく、南武線で運用する車両の半分近くを置き換えて終わってしまいました。理由は様々なようでしたが、残った103系国鉄時代の末期に製造されたグループだったのか、まだまだ使えると考えられたからことも、理由の一つと考えられます。

 しかし、さすがに鋼製車体をもつ103系も、年園老朽化が進行していきました。2000年代に入るとそれは顕著になってきて、車両故障が原因による輸送障害をも引き起こすようになります。

 一方、この頃になると、山手線には次世代標準形車両と位置づけられて開発されたE231系500番代が新製配置され始めます。当然、それまで走り続けてきた205系は余剰となるので、JR東日本は大規模な配置転換を計画しました。

 この山手線の205系大量配置転換では、南武線にも多数の205系を入れることになりました。またもや、都心部で走り続けてきた中古車両が、南武線にやってくるという「歴史は繰り返す」が、再び現実のものとなりました。

 当然、南武線で走り続けていた103系も置き換えの対象になり、山手線から押し出されてきた205系がやってくると、103系は御役御免となり廃車ないし海外へ譲渡されていきます。

 ところが、山手線はそれまで11両編成で走っていましたが、南武線は6両編成です。11両編成から5両を抜き去って6両編成にするのは簡単ですが、そうすると抜き去った中間車である5両は宙に浮いてしまいます。そのうち、6扉車であるサハ204は特殊仕様であるため転用が難しいので廃車にするとしても、残る4両は廃車にするには少しもったいない気もします。それだけでなく、単に中間車を抜いただけでは転用先で必要な数を満たすことができないのでした。

 そこで中間車を先頭車へ改造するという、かつて国鉄の末期に盛んに行われた改造工事が、民営化から20年以上が経った21世紀の初頭にも繰り返されたのでした。まさしく、南武線と同じく「歴史は繰り返す」ということなのでしょうか。

 こうした一連の流れで登場した205系の中間車先頭車化改造車である1200番代。そのデザインは従来の205系とは異にする斬新なものでした。

 なんといっても1200番代の特徴は、大型の曲面ガラス1枚で構成されたデザインですしょう。これなら、運転士の前面展望も広がり、運転も楽になる・・・はずです。そして、乗務員室にある運転台は従来車とは異なり、大型のコンソール形式が採用されました。運転操作も209系以降に標準的に採用されている左手操作のワンハンドル式で、もはや国鉄形車両とは思えないものとなっていました。

 また、正面の行先表示器も、従来車は国鉄標準のサイズに幕式であったのに対し、1200番代はサイズも大型化されたLED式になりました。前灯と尾灯は行先表示器の左右に配されていますが、前灯は高輝度のHID式ライトを採用。尾灯はLED式になるなど、もはや前面だけを見ていると209系に続く新型車か?と見まがうばかりでした。

 改造車とはいえ、適当に運転台となる部分を切り接ぎしたり、ともすると妻面に申し訳程度に窓を開けた車両と比べても、デザイン面、機能面では圧倒的に「本気度」を感じさせる仕上がりでした。

 余剰中間車を無駄なく活用するために登場した1200番代も、2004年、2005年に登場して以来、南武線のみで使われ続けましたが、2016年には後継となるE231系8000番代がやって来たことで、順次廃車となっていきました。その活躍した期間は、11年から12年程度と比較的短いものでした。

 とはいえ、短いながらも存在感のあった1200番代は、余剰車活用ではあるものの、南武線の輸送力の改善には大きく貢献したことでしょう。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#JR東日本 #205系 #国鉄形 #南武線