旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 1984年夏の青梅線奥多摩駅・国鉄EF15

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 

 筆者(私)が小学生の頃、夏休みのレジャーといえば川遊びが定番でした。父は仕事でほとんど家を留守にしていて、母は祖母の介護で出かけることもままならなかったので、代わりといってはなんですが祖父が連れて行ってくれました。

 行先は、青梅線奥多摩駅前にある多摩川。駅前の道路を渡ると、そこには渓流が流れていて、河原で遊ぶことができたのです。

 いま考えるとこれは恐ろしいことで、川遊びの果てに起きる水難事故は悲惨な結果を招くことも多いもの。いまの仕事では、夏休み前には必ず「川遊びは・・・」なんて子どもたちに指導をするので、このことを思い出すと内心苦笑いをしてしまいます。

 その帰り、奥多摩駅で立川行きの列車を待っているときに撮ったのがこの写真です。

 

 1984年当時、奥多摩駅は貨物取扱いも盛んでした。運ぶ貨物は石灰石奥多摩には良質の石灰石が採れる鉱山があり、奥多摩工業がここから南武線浜川崎駅にある浅野セメント(→日本セメント太平洋セメント)のセメント工場へと連日出荷していました。

 

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 ご覧の通り、駅には旅客線用の島式ホームが一面あり、その横には幾重にも敷かれた線路がありました。すべて貨物列車用の線路ですが、この写真を見てもお分かりかと思いますが、構内は広く盛況だったことが窺えます。

 

 この写真に写る旧型電機。デッキ付の箱型車体という、旧型電機に共通するスタイルです。しかし、形式も何号機かも今ひとつ判りませんでした。ナンバーが、ちょうどデッキの手摺りに隠れてしまっていたのです。

 側面の窓の数とルーバーの形状から、EF15ということは判りましたが、問題は何号機か?ということでした。

 この当時、青梅線の貨物列車の運用を担当していたのは八王子機関区でした。前年までは南武線西国立駅構内にある立川機関区が担当していましたが、合理化によって廃止となり八王子区へと移管されたのです。

 そして、様々な資料と写真から何号機かということですが、どうやら170号機と推測されます。ちなみに、170号機はこの写真が撮影された4か月後には八王子機関区を最終配置に廃車となったので、最晩年の勇姿だったといえます。

 

 ところで青梅線でEF15が活躍したのは極短い間でした。前年の1983年までは、専ら立川機関区のED16が石灰石列車を牽いていました。これは、青梅線の線路等級が低いため、重量のあるF級機が入れなかったためでした。
 しかしED16は初の国産量産電機で、製造から相当な年数が経っていたので老朽化が進んでいました。しかし、代替となる機関車がなかったために、言葉通り「老体に鞭を打って」の活躍を続けていたのです。

 青梅線の線路改良工事も終わり、F級機の入線が可能になると、ようやくED16は表舞台から姿を消していきました。それとともに立川機関区も業務を八王子機関区に移管して廃止になりました。

 

f:id:norichika583:20200502225601j:plain(©h-tori / Public domain wikipediaより引用)

 

 八王子機関区に移管された青梅線の運用は、F級機であるEF15などを充てました。しかし、EF15も老朽化が進んだことと、貨物列車の大規模な整理が行われたため、新鋭機でもあるEF64に余裕が出てきました。当然ですが新しい機関車が使えるようになれば、古い車両は淘汰の対象になります。当然、EF15もその対象になり、1986年までにはすべて廃車になってしまい、青梅線でEF15が走ったのは2年ほどで終わってしまったのです。

 さらに、八王子機関区に配置されていたEF64は全車が転出し、1987年の分割民営化までには車両配置もなくなりました。そして、機関車は高崎機関区のEF64が使われ、乗務員は八王子機関区の受け持ちとなり、民営化後も基本的にはその体制で堰懐石輸送を続けたのでした。

 ところでEF15が写る写真の右奥には、ちょっと変わった貨車が停まっています。

 一見すると赤茶色をした貨車ですが、実はこの部分は生石灰専用のコンテナ。貨車は赤茶色のコンテナの下にある黒い部分で、チキ80000という「長物車」でした。コンテナを運ぶのに「長物車」?と思われる方もいらっしゃると思いますが、当時の国鉄では汎用性の高い貨車の私有は認めていませんでした。そこで、コンテナ車ではなく長物車とすることで、私有貨車として製造したのでした。

 このチキ80000は1976年から1980年にかけて製造されました。奥多摩で産出される生石灰を、南武線浜川崎駅まで運んでいました。分割民営化でJR貨物に引き継がれましたが、1988年までに全車が廃車となってしまいました。経年の浅い貨車は、たったの8年間しか活動することができずに終わってしまったのでした。

 

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#国鉄 #旧型電機機関車 #青梅線 #EF15 #ED16