旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄道マン時代の回想録 独り立ち・八王子機関区構内トロリー線交換工事【2】

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《前回からのつづき》

 

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 トロリー線の交換工事は、もっとも列車や入換が少ない日と時間帯をねらって設定します。まあ、レール交換や砕石交換といった保線工事も同じなのですが、列車や車両が走行するために欠かすことのできない設備の一部を取り外してしまうのですから、当然といえば当然なのです。

 旅客線であれば、最終列車が発車した後から始発列車が運転されるまでの深夜の時間帯がこれにあたりますが、貨物の場合はそうはいきません。というのも、貨物列車は昼間よりも夜間の方が頻度が高くなるので、工事の間合いを取るためには苦労がついて回ります。

 例えば、筆者が工事立会をした中で、もっとも困難だったのは新鶴見機関区でした。隣接する新鶴見信号場には、昼間よりも夜間のほうが発着が多くなります。東海道方面と東北・上越・中央線方面を結ぶ結節点であり、しかもほとんどすべての貨物列車はここに停車して、機関車の付け替えが行われています。

 当然、付け替えのために機関区を出区する機関車もいれば、役目を終えて次の運用まで留置されるために入区する機関車もいます。しかも、機待線に留置される機関車は、一定程度の時間になると次の運用に備えて移動もするので、夜間のほうが動きが激しくなるのです。

 そして厄介なことに、この機待線では機関車がパンタグラフの上げ下ろしを頻繁に行うので、トロリー線とパンタグラフの間の電圧差によってスパークが生じやすくなり、そのスパークは言葉通り「火花」なので、トロリー線を加熱し摩耗を進めてしまうのです。

 

八王子駅甲府方から見た横浜線ホームと旧八王子機関区敷地。横浜線は1990年代に激しい混雑を緩和するため7両編成から8両編成へと増強され、さらに快速列車が運転されるなど変化してきた。一方、八王子機関区は「山線」を目の前に控えた中央東線の要衝として、その機能を十二分に発揮した運転区所であったが、時の流れとともにその役目を終えて、末裔である新鶴見機関区八王子派出の廃止によってその歴史に幕を閉じた。今では機関区構内の線路はすべて撤去され、更地になったままだが機関区庁舎は残っている。(八王子駅 2023年7月16日 筆者撮影)

 

 摩耗したトロリー線は交換しなければなりませんが、頻繁に機関車が動く帰還区の機待線で作業時間を確保するのはかなり難しく、機関区の操車誘導の担当にも協力してもらわないと工事の施工ができなくなるのです。

 幸いにも、筆者が初めて一人で立ち会うことになった八王子機関区は、新鶴見のように頻繁に機関車の移動や入出区のある区所ではありませんでした。中央本線を走る貨物列車の本数自体も東海道武蔵野線と比べれば少なく、当時は新鶴見で機関車の付け替えをしなかった列車が、八王子で付け替えていましたが、その本数も限られたものだったので、間合いを取ることはそれほど難しくなかったようでした。

 そして、もっとも貨物列車の運転が少なくなる日曜日の夜間に、この工事を施工することにしたので、ある程度は余裕のある、言い換えれば経験の浅い職員でもこなせることを先輩は考えていたのでした。

 当日、筆者は日曜日の朝から出勤しました。筆者は「日勤二種」という勤務体系が指定されていたのですが、夜間工事などがあると一昼夜勤務となり、8時30分から翌日8時までが勤務時間になるのです。

 誰もいない詰め所に出勤すると、昼間は事務作業を一人で片付けながら、夜に備えての準備をしました。夕方近くになると、車に乗って八王子機関区まで移動し、18時頃には八王子機関区の検修庫内にある派出の詰所に到着、夕食をだだっ広い部屋で一人でぽつねんとしながら食べ、作業開始時刻を待つのでした。

 ところが、この日はいつもよりも寒く、そして空は今にも降り出しそうな怪しい雲行きでした。

 このトロリー線の交換工事は、雨や雪がふれば延期になります。高所での作業に加えて、高圧電流を相手にした作業なので、安全上の理由から悪天候時の施行は許されません。そして、天候によって工事の施行を実施するか延期するかの判断は、ほかの誰でもない、工事立会者として指定された筆者がすることになっていたのです。

 怪しい雲行きだったので、何度か詰所から外に出て、構内が見渡せる検修庫の前に立って空を眺めたものでした。すぐ近くには、横浜から到着した横浜線の列車が停車していて、休日を楽しんだ人でしょうか、暖かい車内で楽しそうにお喋りをする人達の姿も見えました。

 そうするうちに、工事立会者が持つことになっているポケットベルが鳴りました。これは、予め電力指令に電話番号が知らされていて、必要に応じて立会者と連絡を取りたい時に呼び出すためのものでした。

 すぐに詰所に戻って鉄道電話で電力指令を呼び出します。

 もちろん、このときが初めてのことなので、緊張で声が上ずっていたのを今でも思い出します。

東京電力指令です」

「ご苦労さまです。横浜羽沢電気区派出のわたなべです」

「ご苦労さまです。23時15分から施工計画が出されている八王子機関区構内のき電停止作業ですが、予定通り施行でしょうか」

「現在の段階では計画通り施行の予定ですが、八王子駅付近の天候悪化が予想されています。降雨、降雪の場合は施行の延期を考えていますが、最終判断は施行15分前の予定です」

「わかりました。天候悪化があった場合は、すぐに知らせてください」

「承知しました」

 事前の打ち合わせでの会話はこのように、非常に簡潔かつ明瞭で、短いものでした。余計なことは喋らないのが鉄則で、しかも相手にきちんと伝えるべきことは伝えなければなりません。

 この事前打ち合わせから2時間も経たない21時頃に、状況は一変しました。

 経験の浅い筆者が一人で工事の立ち会いをしなければならないという緊張感から、何度も何度も外に出ては天候の変化を観察したり、構内をウロウロとしてみたりと落ち着かなかったのを覚えています。

 そして、21時頃、とうとう雪が降り出したのです。

 小雪がちらつく程度なら判断をギリギリにまでしようかと考えたのですが、この日はあろうことか大粒の雪が降ってきたのです。こうなると、工事の施行は延期の判断をしなければなりません。

 でも、この後、雪がやんだらどうしよう。いや、その前に業者が出発する前に判断しなければならない、などなど色々と考えていると、すでに工事業者は八王子機関区に到着していて、作業の準備を始めようかどうしようかと考えているところでした。

 筆者は工事業者の責任者に挨拶をすると、その方も困り顔をしていたのでした。

「いやぁ、降ってきちゃったな」

「そうですね」

「こりゃ、やまないかもしれないよ」

 言われていればそのとおりで、車の窓には少しずつですが薄っすらと積もりだしていました。同じ東京都でも、八王子市は地形が盆地に近く、夏は熱く冬は寒いと言われていて、実際、都区内では雨でも八王子では雪が降ることも珍しくないと言われています。

 そうなると、答えは一つでした。

 よし、今日の作業は中止にしよう。

 入社して2年と少し、年齢にして20歳を過ぎたばかりの若い鉄道職員には、かなり責任の重い判断でした。もっとも、工事を強行して事故を起こす方が怖いので、これはこれで正しい判断だったと思っています。

「今日の工事は中止にします」

 そう伝えると、業者の方は「よかった」とばかりに早々に引き上げていきました。厳しい寒さ、それも雪が降る中で作業をするより、中止にしてもらったほうがありがたかったのかもしれません。

 業者を見送ると、すぐに詰所に戻ると鉄道電話で電力指令に連絡を取りました。

 そして、八王子駅に降雪が確認され、この後も降り続くことが予想されているため、この日のき電停止作業は中止にする旨を伝えると、電力指令からは承認を得ることができました。

 あとは助役に作業を中止にしたことを連絡すると、工事立会者としてのデビュー戦は中途半端で終わってしまいましたが、ようやく肩の荷が下りて詰所でへたり込んでしまったものです。

 あとは蒸気暖房の効きすぎるくらいの暖かさに眠気を催し、僅かな仮眠を取ってから梶ケ谷(タ)構内にある詰所に戻ったのでした。その帰り道、道の片隅にはシャーベット状になった雪が積もっているのを見て、やはりき電作業の中止は正解だったとようやく胸をなでおろしたものです。

 

前掲の写真をもう少しルーズで捕らえてみた。かつては、ここで機関車を付け替えて厳しい勾配の続く山道へと挑む列車が数多く運転されていたため、必然と機関区自体が必要であった。特に蒸機が最盛期のときには細切れのように機関区が置かれていたが、電機が主体になってからも八王子と甲府に置かれた機関区は存続していた。それも電車化による客車列車の淘汰や、貨物列車の大幅な削減によって機関車の活躍の場が減少し、機関区自体の存在意義が問われ、合理化と民営化の波に飲まれて伝統ある機関区は過去のものとなった。写真右側の5本ある留置線はJR東日本のホキ車やチキ車を留置していたところだったが、車両の老朽化と工臨自体の削減、気動車などへの転換によってその役目を終えている。その留置線の奥には国鉄時代から続いた検修建屋があり、筆者もここへ出張ってくるたびに建屋内にあった電気区派出の詰所に出入りしていた。再開発によって八王子駅自体も大きく変わり、特に南口はかつての面影もなくなったが、奥にそびえるNTTの通信アンテナの鉄塔だけは変わっていない。(八王子駅 2023年7月16日 筆者撮影)

 

 貨物会社に入って2年と少し、電気区に配属になって仕事を覚え始め、少しずつですが仕事を任せてもらえつつある中で、たった一人で夜間工事の立ち会いを任されるとは夢にも思いませんでしたが、これは筆者にとって大きな経験になりました。恐らく、こうした仕事を任されたのも、同期の中では早い方だったことと思います。

 このことから学んだことは、鉄道の安全輸送を支えることの責任の重さ、どんな小さな作業であれ安全を最優先させること、そして、責任者としての判断力とその重圧でした。いずれにしても、この経験は後に鉄道職員から他の仕事に転職し、某電機メーカーで社内SEとして仕事に励んだときも、教壇に立つ身になって常に流動的な中にあって、即座に判断しなければならないときも、この経験が大いに役立ったと言えます。

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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