旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 常に目立つことなく隠れた力持ち【1】

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 人は生まれながらの運命(さだめ)がある・・・なんてドラマでの台詞を耳にすることがあります。まあ、人生を最初から決められてしまってはたまったものではありませんが、鉄道車両となると事情は少し異なってきます。

 設計・開発する当初から花形となる特急列車として走ることを想定した車両もあれば、最初はそうした花形での仕事を想定していなかったものの、後に様々な事情と条件が重なり合って、花形の仕事を手にする車両もあります。

 前者は多くの特急形車両がそれで、電気機関車でいえばEF65 500番代のP形と呼ばれる機関車があてはまるでしょう。後者は特急貨物列車を牽くことを前提に開発されたEF66形で、後にブルートレインの先頭に立つという仕事を手にしました。

 しかし、こうした誰の目にも触れる仕事ではなく、最初から重量のある車両を入れ換えをすることをもっぱらの生業とすることを前提につくられた車両があります。

 それが、今回ご紹介するDE11形ディーゼル機関車です。

 DE11形は1967年に誕生しました。DE11形に与えられていた目的は、操車場や大規模貨物駅における貨車の入換。けっして本線を走る列車の先頭に立つことはなく、生まれながらにして目立たぬ地味な役回りを演じることを運命づけられていました。

 入換用のディーゼル機関車といえば、既にDD13形がありました。

 DD13形は国鉄の動力近代化計画・・・簡単にいえば、石炭を燃料とする蒸気機関を動力源につかった車両から、電気やディーゼル機関といったより効率的で近代的な動力源へ移行させる壮大な計画のこと・・・の立役者として開発されました。

 DD13形が登場するまでの国鉄ディーゼル機関車といえば、気動車用の小型エンジンを積んだDD11形や、戦後に進駐してきたアメリカ軍が持ち込んできたDD12形、そしてスイス製や西ドイツ製のエンジンを国内でライセンス生産したものを載せた電気式のDF50形だけでした。

 

DF50 tsuyama
▲DF50形は、国鉄で初めて数多く量産されたディーゼル機関車である。しかし、DF50形が登場した1950年代は技術的に未熟であったため、スイス製と西ドイツ製のエンジンをライセンス生産したものが使うほかなかった。また、大出力の動力を制御する技術も開発途上であったために、ディーゼルエンジンで電気を発電し、その電気でモーターを回す電気式が採用された。DF50形は非電化であった地方幹線に配置され、動力近代化の一翼を担った。(©K1012031746 [CC BY-SA 4.0], ウィキメディア・コモンズより

 

 DD11形とDD12形はそれぞれ10両にも満たない数しかなく、DF50形は100両以上もつくられた量産機でしたが、本線で走ることを前提にしたものでした。

 DD13形は入換や支線などでの小運転といった、比較的小回りのきく仕事を前提に開発されました。エンジンも国産、エンジンから動輪に動力を伝える変速機も国産という、純国産の機関車でした。

 先輩であるDF50形はディーゼルエンジンで発電機を回し、そこでつくった電気をモーターに流して走らせる「電気式」であったのに対し、DD13形は液体変速機(トルクコンバーター・・・自動車でいえばオートマチック車と同じ)を備えたディーゼル機関車でした。

 DD13形は初めて量産された小型ディーゼル機関車ということもあって、全国各地に配置されました。第一線を退いて駅や操車場などで車両の入れ換えなどの仕事に就いていた蒸気機関車を置換え、無煙化を推進する一翼を担う、まさに国鉄「期待の星」でした。