旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

唯一無二 新機軸盛り込み過ぎて失敗作に終わったDD20【4】

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《前回のつづきから》

 

 DD51を半分にすることで、製造・運用コストの軽減を狙い、DD13ではなし得なかった重入換用として期待されたDD20も、実際に運用してみると様々な問題点が浮き彫りになり、「失敗作」の烙印を押されて1号機がつくられたのみで終わってしまうという、悲運の機関車となってしまいました。

 ところが、試作機1両で終わってしまったDD20は、新たに1両だけつくられることになります。

 後に登場するロータリー式除雪用ディーゼル機であるDD53は、DD51と同様に強力なエンジンであるDML61系を2基搭載した強力機でした。同じロータリー式除雪用ディーゼル機としてはDD14がありましたが、エンジンはDD13と同じ500PSのDMF31系を2基搭載したことで、機関車出力は1,000PSを確保していました。この数字だけを見ると十分な性能をもつと思われますが、ロータリー式除雪用機関車は排雪列車として運用するときには、2基あるエンジンのうち1基を走行用に、もう1基をロータリー装置の駆動用に、あるいはどちらも走行用かロータリー装置の駆動用に使うことができました。しかし、夏季の運用であれば2基とも走行用に使うことができますが、冬季に単機で排雪列車の運用に就く場合は1基のみで走行を強いられることになるため、走行性能が大幅に低下してしまいました。また、排雪が必要なほど雪が降り積もったところを走るには、500PS程度の出力では非力なものになってしまいました。加えて、東北から北陸、上信越にかけての地域に降る雪は、湿気を多分に含んでいるため重さがあり、積雪量によっては500PSでは刃が立たず、2基のエンジンをロータリー装置の駆動用に充てることでようやく排雪できるようになったといいます。

 

国鉄DD20 1号機の形式図。全長(連結器面間)が11,200mmと短く、そこにDML61Sエンジン1基と冷却系、そして運転台のあるキャブが設置されていて、余裕のない構成であることが分かる。DD51を単純に2位側ボンネットをキャブ部で「切り落とした」設計となったため、このような特異な「L字形」のエンドキャブとなったことが分かる。この構造のため、推進軸の設置には非常に苦労したようである。(出典:国鉄ディーゼル機関車形式図 日本国有鉄道1970年)

 

 そこで、ロータリー式除雪用ディーゼル機でも、強力なDML61系を搭載することで湿気を含んだ重い雪でも対応できるものとして開発されたのがDD53でした。

 DD53は強力なDML61系エンジンのおかげで、湿気を多く含んだ重い雪でも十分に排雪できる強力なロータリー装置をもつことができました。しかし、2基あるエンジンのうち1基を除雪装置の駆動用に使う方法はDD14と同じであるため、特に豪雪地帯では排雪列車としての運用に就く場合、排雪はできても走行性能は大幅に低下させてしまうことになります。

 そこで、DD53が排雪列車として運用に就く場合、走行性能を確保するために後補機を連結した重連にすることにしました。そこで白羽の矢が立ったのがDD20でした。

 

 DD53の後補機として白羽の矢が立ったDD20でしたが、田端操で試用されていた1号機を長岡運転所に転属させたものの、そのまま使えるというわけにはいきませんでした。

 そもそもDD20はDD13に代わる、強力なV型12気筒エンジンであるDML61を1基搭載した入換用機なので、補機として運用するには本務機であるDD53に一人、そして補機となるDD20にも一人の機関士を乗務させなければなりません。しかし、いくら特殊な排雪列車といえども、機関士を二人も充てがうのは効率性に劣ってしまいます。

 そこで、長岡所に転属した1号機には、重連総括制御装置を追加しました。こうすることで、本務機であるDD53に機関士を乗務させ、そこからDD20を制御することで、より効率的な乗務員運用を可能にしました。

 一方で、日本でも有数の豪雪地帯で運用されるDD53は、東新潟機関区に配置されて上越線羽越本線などで活躍していました。全部で3両製造され、後に1号機が旭川機関区に転属しましたが、残った2両は引き続き東新潟区の配置でした。冬には2両とも出動する機会もあったので、後補機となるDD20が1両では足りません。

 DD53の後補機用として、国鉄はDD20を増備することにしました。

 

豪雪地帯において、冬季は文字通り「雪との戦い」だった。動力近代化によって、事業用貨車である雪かき車は、除雪用ディーゼル機関車へ置き換えられていった。DD14やDD15がその役を担うようになるが、上信越の雪はその能力を超えることがしばしばあった。そこで、DD51に搭載された強力なDML61Sを使ったロータリー式除雪用ディーゼル機として開発されたのがDD53だった。除雪時にはエンジン出力をロータリー式除雪装置に回すため、走行用動力の補助をするディーゼル機としてDD20に白羽の矢が立ったのである。(DD53 1[庄] 碓氷峠鉄道文化むら 2011年7月16日 筆者撮影)

 

 1号機の製造から2年が経った1965年に新製された2号機は、同じ形式を名乗りながらも形態的にも機構的にも異なる車両でした。

 DD20 2号機は、1号機の失敗を教訓に改善がなされました。DD51をもとにしていますが、1号機はDD51先行量産車であるDD51 1号機を基本としましたが、2号機はDD51量産車を基本としました。そのため、1号機では1位側ボンネットの形状は比較的丸みを帯び、前部標識灯は丸形シールドビーム灯であるのに対し、2号機はDD51量産車と同じ角型ケースに収められたシールドビーム灯でした。

 外観形状は1号機のエンドキャブ、いわゆる「L形」に対して2位側にも短いボンネットが設けられたセミセンターキャブと呼ばれる形になりました。これは、1号機が小型機として設計したため、車体長が短くなったことで、推進軸が心皿を干渉してしまうため、無心皿台車としたものの機構的にはかなり無理がありました。1号機ではエンジンから2位側台車までの距離が短く、液体変速機から2位側台車までの距離は更に短くなったことに起因すると推測でき、このことがDT122の内部を機器配置を余裕のないものにしてしまったと考えられます。

 2号機では、車体長を延長したことでエンジンから台車までの距離が取れるようになったことで、機器配置にも余裕が出ました。また、DT122の使用実績から改良を加えたDT131を装着しました。

 DT131はDT122と同じくインサイドフレームの無心皿台車でした。どちらも無心皿であるため、車体荷重を枕ばねが直接支える構造をもっていましたが、DT122は枕バネが台車枠を突き抜けるように設置しているのに対し、DT131は枕バネは動輪よりもさらに外側に設置されたことで、台枠より内側の空間も広くとられました。また、DT121は車体重量を枕バネだけではなく台車枠から突き出た台座でも支えていたことで、台枠内のスペースを一層狭くしていたといえます。

 こうした課題を解決したDT131を装着した2号機は、後に量産される国鉄ディーゼル機の決定版ともいえるDE10の基礎をつくったと考えられるでしょう。とはいえ、DE10は動輪軸5軸のE級機であるのに対し、2号機はあくまでもD級機です。前位、後位ともにDT131を装着していたので、当然車体長もDE10に比べて短いものでした。

 搭載するエンジンもまた、1号機とは異なりました。すでに述べたように、1号機はDD51 1号機を基本にしていたため、出力1,000PSのDML61Sを1基搭載していましたが、2号機はDD51初期量産車を基本としたため、出力1,100PSのDML61Zを搭載しました。DML61Sは過給器(ターボチャージャー)と中間冷却器(インタークラ−)を装備しない自然吸気エンジンであったのに対し、DML61Zは過給器と中間冷却を装備することで出力を100PS 強化することができました。たかが100PSと思われるかもしれませんが、エンジンの世界で100PS の出力を強化するとは大変なことで、自動車で言えば直列4気筒ガソリンエンジンの1300CC〜1500CCエンジン1基分に相当し、それを排気量や基本構造を変えずに強化したのは、当時の国鉄内燃機関に関する技術力では相当の苦労があったと聞きます。

 DD20 2号機はDD53の後補機での運用を主体に設計されたので、新製当初から重連総括制御を装備していました。冬季は排雪列車としての運用を中心都とし、DD53が搭載するDML61Zの有り余るハイパワーをロータリー式除雪装置の作動に振り向け、走行用の動力は後補機となるDD20が推進運転をする形でそれを担うことを想定していました。

 そのために、重連総括制御は必須の装備となり、実際にDD53に機関士が乗務して運転操作を行い、後位に連結されたDD20はDD53からの指令で操作するため運転台は無人でした。こうした運用は近年までよく見られ、例えば上野駅〜札幌駅まで運転されていた寝台特急北斗星」などでは、北海道内はDD51重連でしたが、運転士は前位の運転台に1人だけ乗り込み、後位補機は重連総括制御のおかげで無人で運転されていました。乗務する運転士を最小限に抑えながら、必要なパワーを得ていたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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