旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

唯一無二 新機軸盛り込み過ぎて失敗作に終わったDD20【3】

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《前回のつづきから》

 

 本格的な本線用ディーゼル機であるDD51がほぼ成功し、続々と量産されて非電化の地方幹線で多様されていった一方、大規模操車場などでの重入換運用に最適な機関車も必要とされていました。

 DD51をそのまま重入換運用に充てるのは、性能的にも過大であるとともに、2エンジンでは運用コストがかさみ、経済的にも満足するものではありません。入換運用であれば、DD51の半分である1,000PS級のエンジンでも十分でした。

 DD51の半分の能力があれば重入換用としては十分であると考えた国鉄は、新たな入換用ディーゼル機の開発に乗り出しました。これが、DD20です。

 DD20は言葉通り、「DD51を半分にした」ディーゼル機でした。

 言葉通りとはそのまま、DD51の片側のボンネットとキャブ部だけにし、もう片方のボンネットはまるで切り落としたかのようになくした形態になりました。そのため、国鉄ディーゼル機としては非常に珍しい「L字型」と呼ばれる、運転台のあるキャブ部が片方に寄せられた形状となったのでした。

 エンジンはDD51初期量産車に搭載されたDML61Sを1基搭載し、出力は1,000PSでした。これは、DD13の後期量産車が搭載したDMF31SBの2基分に相当しています。エンジンが1基となったため、保守にかかる手間やコスト、部品数も半減できることをねらいました。

 また、製造コストも可能な限り軽減させるため、DD51で採用された機器類を採用し、共通化を図っていました。DD51と同じ部品や構成であれば、両方の形式を運用する機関区の検修陣も、わざわざ2つの形式の作業などを覚える必要もないため、教育訓練にかかるコストも軽減できます。実際、ディーゼル機が配置されている機関区には、本線用の機関車と支線区や入換用の機関車の両方が配置されていることが多く、実際に乗務する機関士はもちろんのこと、維持整備にあたる検修陣も同様にそれぞれの取り扱いを知る必要があります。

 

国鉄初の量産ディーゼル機であったDD13の経験を踏まえ、大出力機関を2基搭載して本線用ディーゼル機として開発されたのがDD51だった。DML61Sは出力1,000PSという強力なエンジンで、これを2基搭載して機関車出力は2,000PSにまでなり、DD13単機の2倍という強力なものだった。この強力なエンジンを1基だけでも十分な入換用ディーゼル機を開発しようというのは当然の成り行きであり、DD51を半分にした形にしたものがDD20として開発されることになる。(DD13 853[愛] 四日市駅 2014年8月1日 筆者撮影)

 

 実際、筆者が勤務していた門司機関区には、EF81とED76の電機が2形式と、DD51とDE10のディーゼル機が2形式配置されていましたが、検修陣は電機とディーゼルに分かれていました。ディーゼルの班は、異なる形式の機関車でしたが、エンジンは同じDML61系なので、どちらも取り扱いはほぼ一緒だったので、日替わりで入場してくる車両に難なく対応していました。

 DD20のボンネット前面の形状はDD51 1号機とほぼ同じで、前部標識灯はDD13改良後期型と同様に円形のメッキベゼルに収められたシールドビーム灯が取り付けられていました。また、キャブ部の意匠も、ボンネット部中央に排気管を配置し、両側にはDD51と同様の前面窓が備えられ、入換用ディーゼル機の定番ともいえる小型窓と出入口扉の縦長の台形の窓という配置とは異なっていました。

 そのため、運転台へはボンネットのない2位側の中央部にある扉から出入りするという構造で、国鉄ディーゼル機としては珍しいものでした。また、この構造のために2位側のキャブ部のデザインも、ボンネットがないスッキリとした形状に、出入口扉を中央部に配置し、両側には比較的大きめの窓があり、その下に円形のベゼルに収められたシールドビーム灯が左右それぞれ1個ずつ配されていました。

 このように、DD20はDD51の2分の1にしたようなディーゼル機でしたが、一方では様々な新機軸が投入されました。

 最も大きく目立つのは台車だといえます。DD13以来、国鉄ディーゼル機はDT113系を装着していました。DD13の派生型であるDD14やDD15はもちろんのこと、本専用として大型になったDD51もまた、DT113系の台車を装着しています。

 ところが、DD20では実績と信頼性のあるDT113系を装着することはできませんでした。これは、DD13とその派生型やDD51では、エンジン1基に対して動力台車は1台分を駆動させれば十分でした。構造も比較的シンプルなので、特に特殊な機構を装備させる必要がなかったのです。

 ところが、DD20の場合は、エンジン1基に対して動力台車を2台駆動させなければなりませんでした。つまり、DD51ではボンネットに収められたエンジンで、直下の台車を駆動させていたのが、DD20ではボンネット直下の台車だけでなく、反対側の台車も同時に駆動させなければならなかったのです。

 そのため、台車は心皿をつかった構造のものが使えませんでした。この部分に、エンジンから伸びている駆動軸が心皿に干渉してしまうため、まったく新しい構造の台車を開発せざるを得ませんでした。

 DD20のために開発した台車は、無心皿のDT122でした。

 通常、内燃機関を動力源にする車両は、エンジンからの動力を推進軸を通して台車の動輪軸に伝えます。気動車で2軸ボギー台車の場合は、どちらか一方の輪軸を動輪軸として使用するので、液体変速機が心皿に干渉することはありません。また、DD13系列のDT113では、両方の輪軸を動輪軸として使いますが、推進軸が短いこととエンジン出力が500PS級と低いため、液体変速機も小型であることから心皿を設置することができました。DD51ではDT113系を装着していましたが、エンジン出力は強力になったものの、推進軸自体は短かったこともあって、僅かな改良で住んだのです。

 しかし、DD20は後位側の台車はエンジンから遠くなるため、推進軸が長くなってしまいました。また、1,000PSという強力なエンジンで、2台の台車、4軸の動輪軸に動力を伝えるという、従来のディーゼル機にない構造としたこと、さらに試作的要素もかなり強いことから、心皿をなくした新たな構造の台車となったのでした。

 心皿をなくしたDT122は、牽引力を伝えるために引張力伝達装置を必要としました。DT122では、台枠に連結された棒を通して、台枠に接続されたものを装備していました。また、こうした特異な機構のため、台枠が車輪の内側にある「インサイドフレーム」と呼ばれる形態になり、外側から車輪がむき出しになる構造となりました。

 加えて、DD20の運転台機器も、従来のディーゼル機にないものとしました。DD13改良試作車である111号機とほぼ同じ、主幹制御器とブレーキ操作装置が一体化した新たな運転台装置が設置されました。ブレーキもセルフラップ弁を用いたブレーキ弁や自動進段装置など、従来の機関車とは大きく異なる操作性をもつ機器が装備されました。そのため、旧来からの操縦操作に慣れた機関士からは不評でしたが、後に大量に量産されることになるDE10にも採用されたものもあり、ディーゼル機の近代化に貢献しました。

 一方、DD20は大出力の入換用ディーゼル機として設計されましたが、実際に運用してみると様々な問題が出てきました。特に操車場における重入換作業では、機関車の軸重が非常に重要であり、期待されて登場したDD13も軸重の問題から制動性能が今ひとつで、操車場での運用に適さないものになってしまいました。DD20は大出力エンジンを1基搭載した強力機でしたが、軸重は13.5トンとDD13の14トンよりも軽くなってしまい、空転を頻発させてしまいました。また、この軸重では線路構造が脆弱なローカル線への入線は厳しいものがあり、貨物用蒸機である9600形よりも重いために、これを代替するには至りませんでした。

 結局、大出力エンジンを1基搭載し、本線用のDD51と機器類を共通化することで、運用コストを大幅に軽減することを目指したDD20は、機関車としての性能面ではあまりにも中途半端なものになってしまい、試作機である1号機の製造だけで終わってしまいます。

 

《次回へつづく》

 

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