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日本のディーゼル機関車は、戦前から開発が進められていましたが、技術力、工業力ともに低かったため、なかなか実用に至るまでにはいきませんでした。それは戦後も同じで、しばらくは多数の蒸機が活躍していました。
一方、国鉄によるディーゼル機関車の開発が思うように進まない頃、車両メーカーはこぞって技術の輸入などにより、数々の試作ディーゼル機関車を開発しては、国鉄に「貸し出し」という形で送り込み、あわよくば正式採用を目論んで切磋琢磨していた時期があります。
その中で、国鉄が実用化に適当と認め導入したのがDF50でした。
DF50は電気式と呼ばれる方式で、ディーゼルエンジンはあくまで発電用として装備し、この動力で発電機を回して電力を発生させ、その電力で直流電動機を作動させるというものでした。しかし、電気式は構造が簡単になる反面、ディーゼルエンジンと発電機などの性能に左右され、DF50は当時としては限界にちかい性能をもっていましたが、それでも非力であったことは否めませんでした。
とはいえ、国鉄も自力開発を諦めたわけではなく、数々の試行錯誤を繰り返した末に、出力500PSのDFM30を2基装備し、エンジンの回転動力を液体変速機を介して伝える液体式として、DD13が開発され量産に漕ぎ着け一応の成功を見ました。
DD13が実用化されると、さっそく各地に配置されていき、蒸機の置換えを進めていくようになります。とはいっても、ほとんどが車両基地や操車場などでの入換や、ローカル線での小運転に使われる程度で、本格的な本専用の液体式ディーゼル機はDD51の登場まで待たねばなりませんでした。
一方、豪雪地帯において冬季は除雪列車が運転されていました。基本的にはラッセル車であるキ100をはじめとした貨車に分類される車両を、蒸機が推進するという形態で運転されていました。積雪が酷く、ラッセル車だけでは対応ができない場合には、ロータリー式雪かき車が宛がわれますが、その動力は機関車と同じくボイラーを備えた蒸気機関であることや、ロータリー式雪かき車の他にもマックレー車と呼ばれる雪をかき寄せる車両が必要であり、それらを連結した除雪列車は重量が嵩むため、機関車は2両以上必要になるなど効率が非常に悪いものでした。
動力近代化を推し進めていた国鉄では、ディーゼル機関車の能力に大いに期待を寄せていたのはいうまでもありません。そして、この効率の悪い蒸機による除雪列車をディーゼル機関車で置き換えるという発想は当然だったといえるでしょう。
DD13の成功をみた国鉄では、さっそく除雪用にも使えるディーゼル機関車を開発しました。
ラッセル車であるキ100の代わりとして、DD13にラッセルヘッドを取り付けることができるようにしたDD15は、機関車本体はDD13と大きく変わらない形でした。一方、ロータリー車の代わりとしては、DD15と同じように機関車に除雪用のヘッドを取り付ける方法が考えられましたが、問題はロータリーヘッドを動かすための動力でした。
機関車本体の形がDD13と同じ凸型のセンターキャブでは、ロータリーヘッドを取り付けることや動力を取り出すことも難しいため、DD14では思い切ってエンドキャブと呼ばれる運転台を車体の片方に寄せる方法がとられました。また、ロータリーヘッドの動力を取り出すため、ディーゼルエンジンもDD13より高い位置に設置されたのです。そのため、エンジンなどを収納したボンネットは運転台のあるキャブの屋根と同じ高さになりました。
これは、ロータリーヘッドを回転させるためのシャフトが運転台の下を通しているためで、DD13と同じエンジンを装備していてもその設置方法はまったく異なっているのです。また、このシャフトを通したために、運転台の位置もDD13などに比べて高い位置にあり、前面の窓も屋根のすぐ下に設けられました。
このような特異な形状のため、DD14は国鉄が製造したディーゼル機関車の中で、最も特異な形状になりました。とはいえ、実は海外の、とりわけアメリカ製のディーゼル機関車ではよく見られる形状なので、凸型のセンターキャブやセミセンターキャブの方が世界的には珍しいのかもしれません。
冬季は計画通りに除雪列車に宛がわれて活躍しました。雪深い地域では、このロータリー式の除雪車はとても重宝されたようで、後継となるはずだったDD53が失敗に終わってからも1974年まで製造が続けられました。
ところでDD14が登場した頃は、ディーゼル機関車の絶対数が少ない状態でした。DD13も増備の途中だったので、下記にはロータリーヘッドを取り外して本線の小運転にも用いられる計画でした。
実際、1960年代にはロータリーヘッドを取り外して、貨物列車などの先頭に立つDD14の姿が記録されています。しかし、センターキャブであることに加え、キャブの反対側は他のディーゼル機に比べて非常に高いボンネットがあることで後位側の視界が悪く、夏季の運転時には常に前位側が先頭になるように連結して運用されていたようです。こうした運用は、同じセンターキャブの形状を持つディーゼル機を多用していたアメリカなどでも同様でしたが、操車場での入換運用もあったようなので、日本ほど問題視されなかったのでしょう。
それにしても、この特異な形状のDD14。すでにJR線上からは姿を消してしまいましたが、一度だけでもロータリーヘッドを外して本線で列車を牽く姿を見てみたかったものです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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