旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・鉄道マンの年末年始事情【1】

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鉄道マンの年末年始事情【1】

 この記事を書いている時期は、既に2018年も終わりに近づいている頃だ。
 年末年始となると、公共の交通機関はどこも混雑が増していく。そりゃあそうだろう、年末に向かって人や物の動きはいつも以上に活発になるからだ。年末までには仕事を終わらせようと、物をつくる工場の稼働率も上がって、出荷される貨物も増える。今でこそ下火になってきたとはいえ、お歳暮などの贈答品もこの時期は多くなる。だから、宅配便を取り扱う会社の貨物の輸送量も増える。
 それだけではない。人の動きもまたしかりで、年末までに一区切りつけようと、あちこちとに動く人たちもいる。仕事納めが終わる12月28日頃になると、今度は帰省ラッシュだ。
 例年、テレビのニュース番組で流される、あのおなじみの光景。新幹線には大勢のお客さんが詰めかけ、まるで朝の痛勤ラッシュの山手線の列車のように、多くの人を詰め込んではひっきりなしに駅をあとにしていく。そして、空港もまたこれ以上ないというほどのお客さんでごった返し、故郷へ、旅先へと向かい人の姿でいっぱいだ。
 だから、鉄道をはじめとした公共交通機関で働く者にとって、年末年始に休もうという発想はないし、そんな考えをしていては務まらない。かくいう私も、鉄道マンになった時から夏休みだの冬休みといったこととは無縁になると、腹をくくっていたものだ。
 入社して1年目、初めての年末年始。私が配属された電気区は施設・電気系統の職場なので、年末年始も交代で勤務して不測の事態に備えるのだ・・・と思っていた。
 ところが同じ鉄道会社でも、そうした勤務をする施設・電気系統の職場は旅客会社であって、私のように貨物会社の職員はといえば驚いたことに、仕事納めをした12月29日から年明け1月3日までは公休日に指定されていた。だから、この6日間はまとめて休みになったから、少々拍子抜けしてしまったものだ。
 貨物の施設・電気系統の職場が管轄する線路や設備は、そのほとんどが貨物駅構内かそこから分岐する側線や専用線で、列車が実際に走行する本線はすべて旅客会社の管轄だったから、出番が少ないといえば少ない。だからというわけではないだろうが、私が勤務していた電気区の勤務体系は「日勤Ⅱ種」と指定され、原則として8時30分から17時15分までの勤務で、しかもカレンダー通りに出勤だった。まあ、それほど出番がないのにわざわざ土日休日や夜勤を入れれば、会社は当然割増賃金を支払わなければならない。そうなってはただでさえ収益が芳しくなく、しかも検査や補修、それに工事などで経費を使うばかりの部門にこれ以上経費をつぎ込みたくなかったから、いま考えると当然といえば当然だったかも知れない。
 それでも、休日だからといって思いっきり羽根を伸ばせるかといえば、実際にはそうではなかった。
 休日に入る前に、休日の間の動静を報告しなければならなかった。
 どこか遠くへ出かける時、旅行に出かけたり帰省したりするときには、行き先や滞在する期間を報告する必要があった。まあ、私のような若い衆は実家暮らしがほとんどだったから、居場所は住所地と同じとだけ報告していた。
 こうすることで、万が一、貨物会社の管轄する施設や設備で事故や故障が起きると、近隣にいる職員を休日だろうが夜間だろうが構わず呼び出し、その対応に充てて速やかな復旧ができるようにしていたのだ。
 まあ、年末年始の休暇の時に呼び出されたことはなかったが、それでも学生時代の休みとはやはり違うなと、仕事をする人としての実感みたいなのはあった。
 そしてもう一つ、いつ呼び出されてもいいように備えておくようにと、主任をはじめとした先輩たちから言われたものだった。
 その備えとは、信号機器や通信機器、電力設備に掛けた鍵を開けて作業ができるように、常に鍵を持っていること。できれば、自家用車にはスパナやドライバーといった工具を積んでおくように、ということだった。
 え?そんなことまで!?なんて思われるかも知れないが、万が一ということもある。実際に施設の故障や事故なんて、予告などなしにいつ何時起きてもおかしくはないから、こうしたことは必要だった。
 私も車の中にはドライバーセットとモンキーレンチだけは積んでおいていた。まあ、備えあれば憂いなしではないが、実際にこれらの道具が活躍することなど一度もなかった。
 それはそれでよかったことの一つかも知れない。