旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

2022年ダイヤ改正で委託運転が解消 JR貨物が迎えた一つのターニングポイント【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 3月中旬に更新して以来、ずっとご無沙汰しておりました。いつも楽しみにしていただいている皆様には大変申し訳なく思います。引き続き、ご愛読いただければ筆者として嬉しく思う限りです。

 私ごとですが、3月まで勤務していた職場から異動になり、4月から新しい職場になりました。前任の職場では、いまや全国でも展開されている「一人一台パソコンを配布」するという、教育現場ではこれまでになかった事業の中心としての役割を担っており、その引継やら残務整理やらに追われておりました。

 異動してこうした業務から開放されると思いきや、新任地でも同じ業務を任されることになり、引き継ぎやら前年度の事業の点検と新年度の計画などに追われておりました。

 いつも異動する度に思うことですが、新任地に移ると様々なことが変わります。その中で、自分の生活においての時間も変化し、例えば家を出て勤務先に向かう時刻や、退勤して自宅に帰る時刻など様々な変化があります。そして、それは鉄道マン時代に経験した「ダイヤ改正」にも通じるものがあり、作業ダイヤの変更など思い起こすことがあります。

 さて、毎年3月になると、鉄道事業者の多くがダイヤ改正を行います。その内容は大幅な改正から、少々の手直し程度まで様々ですが、列車の運転に大きな影響を及ぼすのはご存知のことと思います。

 特に新型コロナウイルスの感染拡大によって、利用者の激減によって従来のような列車の運行が難しくなり、2022年に実施されるダイヤ改正では、多くの鉄道事業者が減便や列車の統廃合をすると報じられています。筆者が知る限りでは、こうした列車の減便や統廃合がおこなわれたのは、国鉄時代の1980年10月2日に実施されたいわゆる「ゴーゴートオ改正」ではないかと思います。

 この当時は、航空機が庶民の手に届くようになり始めたことや、モータリゼーションの進展によって、長距離移動の選択肢が大幅に増えたこと、さらに国鉄の相次ぐ運賃・料金値上げと、労使間の争議が激化したことによるストの頻発、それに追い打ちをかけるようにサービスの低下によって、鉄道がほかの交通機関に対して競争力を失い、結果としてシェアを大幅に低下させていった時期でした。

 そのため、「国鉄離れ」という言葉に代表されるように、全体としての鉄道利用者が減り、その影響で多くの優等列車の利用が低迷する状態になりました。これを受けて、国鉄はそれまで増発を繰り返してきた特急などの優等列車の運転本数の削減や、急行列車の廃止や統廃合、特急への格上げといった施策を行うことで、可能になっていた輸送力を適正化させうために運転本数を減らしたのでした。

 この「減量ダイヤ」に象徴されるのが、やはり特急列車の短編成化でしょう。従来、特急列車はすべてに食堂車を連結させ、長大編成を組んで運転することが原則でした。しかし利用者の低下によって、食堂車の利用そのものが減り、食堂車の経営環境は非常に厳しいものがあったといいます。そこで、国鉄特急の伝統ともいえた食堂車を編成から外したり、営業を休止したりするなど、伝統にとらわれない施策に打って出ます。そして、需要に適正化された列車編成にするため、485系などは徐々に編成を短くし、不足する先頭車は改造によって賄うという手法がとられていきました。

 こうして、今日のJRで運転される優等列車の基礎ともいえるものが、1980年のダイヤ改正から徐々に実施されたのです。

 

 2022年のダイヤ改正では、新型コロナウイルスの感染拡大によって、旅客列車の利用が極端に減少したことに対応するものとなりました。優等列車だけではなく、普通列車にもその影響は及び、減便あるいは編成の短縮、運転区間の短縮など、これまでのものとは大きく異なる内容となりました。

 これらのダイヤ改正の内容について、鉄道事業者は「ご利用の実態に合わせた」としていますが、利用者の激減によって経営環境が厳しくなっていることから、なんとか経営を維持するために打ち出した苦肉の策とも捉えることもできます。

 そうした大幅な減便ダイヤの中、国鉄分割民営化以来、長らく続けられてきた運転形態が終焉を迎えると報じられました。

 それは、貨物列車の運転を旅客会社へ委託するというものでした。

 

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 実際に筆者が鉄道マン時代にも、新鶴見機関区にJR東日本保有するEF81がやって来ては、信号場から貨物列車を牽いていく姿や、JR東日本に所属する乗務員が機関区構内を歩いている光景を見かけたものです。

 これは、分割民営化のときにとられた方針が大きく関わっています。

 1987年の国鉄分割民営化では、旅客会社6社と貨物会社1社、それと「みどりの窓口」で使われるマルスや貨物輸送申込システム(エポックスやフォックス)など、情報システムを管轄するシステム会社、鉄道電話など基幹通信システムを管轄する通信会社、鉄道技術研究所などの研究機関を継承した財団法人など、12法人が設立・継承されました。

 その際に、鉄道事業を継承する7社のうち、東日本と東海、西日本の3社、いわゆる「本州3社」は経営基盤が強固であり、移行後の経営状況も比較的良好になると予想されていました。一方で、北海道と四国、九州の3社、いわゆる「三島会社」はドル箱となる路線はほとんどなく、経営基盤が脆弱であり、経営状況も厳しいことが予想されました。加えて貨物会社に至っては、国鉄末期の貨物輸送の惨状をから最も厳しい経営状況が予想され、ともすると「数年持てばいい」とまで揶揄されたほどでした。

 そのため、本州三社には必要とされる施設や車両、そして人員を多く配置し、三島会社には必要とされる車両と施設と人員を継承させつつ、可能な限り民営化後に比較的車齢が低かったり、民営化後にも十分に活用できる新車を製造して継承させました。

 

《次回へつづく》

 

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