旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

思い出の上越特急「はくたか」【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 この記事を執筆している時点で、早くも1月が終わろうとしています。昔から「1月は行く」「2月は逃げる」「3月は去る」と言われるほど、年度末に近づけば近づくほど時が経つのが早いものです。筆者も今の仕事は年度末の追い込みに入りつつあるとともに、昨年度に引き続き新型コロナウイルスの動向によっては、いきなりすべてが「止まってしまう」とこも考えられるので、可能な限り計画を前倒しにしていかなければならず、毎日がヤキモキしています。

 鉄道にとって、年度末はいつかということですが、鉄道事業者としては世間一般と変わりなく3月31日で終わりになります。これは人事や予算といった事務的な面でのことで、車両や列車、さらには現場の鉄道職員の運用の面では、3月31日は年度初めといっても過言ではないでしょう。

 それというのも多くの場合、ダイヤ改正は3月半ばに実施されるからなのです。

 筆者も鉄道マン時代に何度かダイヤ改正を経験しました。年末から年始にかけては繁忙期となり、帰省や旅行などの需要が増大するので列車の運転本数は増加します。季節列車はもちろんのこと、臨時列車も数多く運転されるので、現場に通達される「達示」は分厚くなり、運転されることが決定した列車の運転区間や時刻、さらには運用予定の車両や担当する区所など、事細かに書かれていました。

 もっとも、これは旅客輸送での話で、貨物輸送となると逆の現象が起きています。

 年末に向かって貨物輸送量は増大する傾向があるので、旅客列車ほどではないものの、臨時の貨物列車も運転されます。しかし、一般に製造業などは年末年始は工場が稼働しないので、原材料や製品の輸送も止まってしまうので貨物列車は年末年始は運休手配がとられているのです。もちろん、定期列車の運休が計画されても、「達示」にはそのことが書かれているので、現場で達示の縦覧を担当する職員は半日がかりで必要な箇所に印をつけ、記録簿に転記して主任に報告していました。

 ですから、3月に行われるダイヤ改正では、年が明けると新しく組まれたダイヤが現場に通達されるので、変更箇所を詳細に渡って確認をし、必要な措置を講じる期間になるのです。もちろん、筆者もダイヤ改正によって担務指定ごとに変わる作業ダイヤを確認し、さらに管轄する駅や運転区所にかかわる列車についても確かめていました。でないと、作業中に「来るはずのない列車がやってきた」なんてことになり、最悪は「触車事故」をお越してしまうので、文字通り「命綱」と同じほど重要だったのです。

 さて、2022年のダイヤ改正では、新型コロナウイルスによって鉄道の需要が大きく変貌してしまったこともあって、従来のような考え方が通用しない改正になります。多くは「お客様の利用実態に合わせて」ダイヤを見直しているので、最終列車の繰り上げや、ラッシュ時間帯も含めて運転本数の削減、さらには優等列車の減車あるいは減便など、あまり明るいニュースのない改正になりそうです。

 

 

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2022年3月のダイヤ改正で減便が報じられた「いなほ」羽越本線の各都市を結ぶ特急列車として、長い歴史をもっている。(©MaedaAkihiko, CC BY-SA 4.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 そのような中、JR東日本からは信越本線羽越本線の特急列車が減便されると発表されています。「しらゆき」と「いなほ」がそれで、「しらゆき」は信越本線から転換されたえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン新井駅から、信越本線新潟駅を結ぶ特急列車で、2015年から運転されている比較的歴史の新しい特急列車です。

 「いなほ」は「しらゆき」とは対照的に、国鉄時代から運転されている非常に歴史の長い特急列車です。国鉄時代の1969年10月改正から運転がはじまり、当時は上野駅秋田駅、後に青森駅との間を高崎線上越線信越本線白新線羽越本線を経由して結んでいました。上野駅と東北地方の各都市を結ぶ特急・急行列車の多くが東北本線を経由していたので、日本海縦貫線を構成する羽越本線周りの列車は貴重な存在だったといえます。

 上越新幹線が開業すると、上野駅を発着していた多くの優等列車は整理の対象になり、「いなほ」もまた運転区間が短縮されました。その後、次々と開業する整備新幹線によって、「つばさ」や「やまびこ」といった特急列車が廃止あるいは新幹線へ移行していったのに対し、「いなほ」新潟駅上越新幹線と接続する羽越本線の特急列車として、今日も運転され続けていいます。

 さて、かつては数多くの特急列車が運転されていた東北・上信越地方の各都市でしたが、「いなほ」でもお話したように、同じ駅間を結んでいても経路は様々で非常に複雑でした。そのお陰というわけではありませんが、筆者が幼かった頃、国鉄の特急列車の愛称と運転区間に興味をもって覚えたので、漢字と地理には強くなることができたものです。

 

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485系で運転されていた頃の「いなほ」は、その塗装と相俟って国鉄時代を思い起こさせてくれる。かつて、新幹線網が今日のように発達していなかった時代、こうした特急列車が多数運転されていて、全面に掲げられた図柄入りトレインマークとともに、鉄道好きの子どもたちに人気だったといえる。かくいう筆者もその一人で、列車名と運転区間から漢字や地理を学んだものだった。(©監視人 (Kanshinin), CC BY-SA 2.1 JP, 出典:Wikimedia Commons)

 

 首都圏と日本海沿岸を結ぶ優等列車も同じで、非常に多岐にわたっていました。

 例えば、上野駅と北陸の各都市を結んでいた優等列車は、筆者が知る限りでも「能登」「越前」「白山」「北陸」などがありました。このうち「白山」以外は夜行列車で、「能登」と「越前」は急行列車、「北陸」は寝台特急でした。また、同じような行き先でも経由する路線は異なり、「越前」と「白山」は信越本線経由だったのに対して、「能登」と「北陸」は上越線経由で運転されていました。(後に、「能登」は信越本線経由に変更され、さらに北陸新幹線の開業によって再び上越線経由に変えられた。)

 信越本線経由の「白山」に対して、上越線経由の特急列車は「はくたか」の愛称が与えられていました。今日では北陸新幹線の列車愛称となっていますが、かつては在来線の特急列車につけられていた伝統の列車なのです。

 

《次回へつづく》

 

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