あまり知られてないことだが、鉄道のダイヤは基本的には大きく変わることがないが、実はほぼ毎日のように細かい変更がされている。
例えば、臨時の団体列車を走らせる時は、本来なら列車が走らない時間にこの列車がやってくる。そのことを知らずに現場に出てしまっては、いくら神経を尖らせて列車が来ないかを見張っていても危険であることには変わりない。
予め、自分たちが作業をする現場には何時何分に列車が通過するのかを把握していなければならない。
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また、貨物列車や寝台特急列車のように長距離を走ってくる列車にも注意が必要だった。特に筆者は貨物会社の職員だったので、こちらの方には注意を向けていた。
というのも、作業をする現場の路線でダイヤが乱れいることなく、列車の運転が順調だったとしよう。
ところが、前日の夕方に福岡貨物ターミナル駅を発車した列車が、途中広島付近で山陽本線のダイヤの乱れに巻き込まれ、60分から90分の遅れが発生したとする。その遅れは機関士たちの努力によって縮めることができたとしても、やはり遅れを引き摺ったまま関東へとやってくる。そうなると、本来は朝方にはその現場を通過している筈の列車が、作業をする午前の遅い時間に通過していく、なんてこともあるのだ。
こうした遅れなどには特に注意を払う必要があったし、このような情報をもっているのは電気区や施設区といった施設系統の部署より、駅や信号場といった運転系統の部署が情報をもっているのだ。
だから、線路の中の現場で作業をする時には、まずもって誰か一人が信号扱所へ上がらなければならないのだ。
▲京浜東北線と一体的に列車が運転されている根岸線には、桜木町駅-根岸駅間は貨物列車も運転されている。根岸駅は写真のように旅客駅であると同時に、関東甲信越地方に向けて石油類を積載したタンク車や、横浜本牧駅などからのコンテナ列車が発着する貨物駅としての顔をもつ。写真は根岸駅旅客ホームと、一列に並んだ柵の向こうには貨物列車の発着線があり、作より手前の本線がJR東日本の、柵の向こうの発着線がJR貨物の管轄である。このように、同じ駅でありながら帰属する会社が異なる駅は意外に多い。(©Hisi21 [CC BY-SA 4.0], ウィキメディア・コモンズ経由で)
そして、この重要な役割を、何を考えたのか主任は配属されて半年も経たない私に任せたのだ。
初めの頃はいわれたままに信号扱所へと上がったものだった。
信号扱所に上がると、先ずは輸送係の先輩に挨拶をする。そして、この日の作業内容を通告し、列車の運転状況を確認する。もちろん、すべてが定時で運転されていれば問題はないが、遅れなどが起きていると確かめることが多くなる。すべての列車なのか、特定の列車だけなのか、もしも遅れがあるならば作業時間帯には影響があるのか・・・などなど手続が煩雑になってしまう。
もちろん、そのどれもが重要で大切なことなので、端折るなんてことは許されない。だから、私も経験が少ない若い職員なりに、この仕事に真剣に向き合ったものだった。
また、現場によっては同じ会社の職員とは限らなかった。
同じ会社の職員なら、先輩も親切に教えてくれたのだが、違う会社となるとそうはいかなかった。
例えば横浜市にある根岸線根岸駅は、ご存知の通り旅客駅だ。
駅の海側には貨物側線が広がり、その先には日本石油(当時、現在のJXTGエネルギー)根岸製油所があり、そこから関東甲信越に向けてガソリンや軽油、灯油などといった石油類が発送されていた。それに加えて、根岸駅は本牧ふ頭との間を結ぶ神奈川臨海鉄道本牧線の始発駅でもあり、私が鉄道マンだった当時はコンテナ列車が1~2往復、それに工業用の塩を積んだ無蓋車で組成された専用貨物列車が1往復走っていた。
根岸駅は大宮駅や大船駅へ向かうお客さんが利用する駅であると同時に、関東から信越の内陸部へ向かうガソリンや石油類を積んだタンク車や、上越線渋川駅へ送る塩を積んだ無蓋車、そして本牧ふ頭で陸揚げされた貨物を載せたコンテナを発送・到着する貨物駅の顔があった。
そのようなわけで、一見すると旅客会社の駅でも貨物会社の施設があるので、貨物会社の施設系統の職員が線路内で作業をすることがあった。そして、このような駅で作業をする時に列車見張を命じられた私は、いったいどんな人が今日の担当だろうかと考えながら、駅のホームから恐る恐る信号扱所に上がっていくのだった。
信号扱所のドアを開けて中に入ると、操作卓に向かっていた駅の輸送係の職員が、誰が来たのかとばかりに私の方を凝視すると、私は緊張して縮み上がってしまいそうなこともあった。とはいえ、こちらも仕事で来ているのだからと、なるべく平常心でいるように心がけたものだった。
電気区から来たことと、構内で作業をすることを告げると、
「おお、そうか。今日は兄ちゃんが見張りか?」
と声をかけてくれる人もいれば、
「あっそう」
と素っ気ない人もいた。
それならまだいい方で、中には「何しに来たんだ?」といわんばかりに面倒臭そうな態度を露わにする人もいた。同じ会社ならそれほどではないが、根岸駅のように違う会社だと、なおのことそうした態度をする人もいたから、若い私にしてみれば、誰にあたるかまさに運次第で、その日の運勢を占うようなものだった。
そして、運悪くそうした人が当直の日に当たると、ずっと緊張をしっぱなしになってしまった。
まあ、鉄道マンと一言でいってもいろいろな人がいる。面倒見のいい人が多かったが、中には一癖どころか二癖、三癖もあるちょっと厄介な人もいた。そんな人に当たれば、それはもう運が悪かったとしかいいようがない。まさかその場を放り出して逃げるわけにもいかないので、現場での作業が終わるまで、重い空気の漂う信号扱所でじっと待機をするほかなかった。