旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 常に目立つことなく隠れた力持ち【10】

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 大規模操車場におけるハンプ押上を中心とした重入換専用の機関車として登場したDE11形は、その目的に特化した性能をもち、0番代が65両、エンジン出力を増強した1000番代が46両、低騒音試作形の1900番代1両、低騒音型の2000番代4両の計116両がつくられました。

 一見すると同じ外観をもつDE10形のそれに比べれば少ない数でしたが、重量の嵩む貨車の入換ように特化した設計であることを考えると、この数は妥当ともいえるものでした。

 これらDE11形は所期の目的の通り、大規模操車場に隣接する機関区に配置され、操車場で貨車を行き先別に仕訳をするために、貨車をハンプに押し上げることを中心とした仕事に就きました。

 操車場に発着する本線用のディーゼル機関車や、電気機関車たちが表舞台に立って活躍するのを横目に、DE11形たちは常に同じところを行ったり来たりし続けます。そして、多くの目には触れる機会もなく、黙々と地味な仕事をこなし続けました。

 しかし、彼らが活躍している頃、国鉄の貨物輸送を取り巻く状況は年々厳しさを増していきました。

 貨物の輸送量は年を追うごとに減少していきます。モータリゼーションの進展で、それまで長距離貨物輸送は鉄道の独壇場でしたが、それをトラックが取って代わっていきました。高速道路網の整備もまた、貨物輸送を鉄道からトラックへと変えて行く材料でした。

 そして、旧来からの鉄道貨物の輸送システムもまた、時代遅れになっていきました。

 石油や石灰石などのように、輸送する物資別に発駅から着駅まで1本の列車で運ぶ「拠点間輸送」は別として、この頃の多くの貨物は、発駅で貨物を引き受けると、貨物を貨車に載せて、近隣の操車場へ貨車を運ぶ「解結貨物列車」に連結します。その列車は近隣の操車場へ到着したら、貨車を行き先別に仕訳をして、目的地の近くへと行く列車に連結します。そして、その操車場から次の操車場へ、ともするとさらにもう一つの操車場へと何度も同じことを繰り返し、目的地近くの操車場で再び解結貨物列車に連結し、ようやく着駅に貨車が到着して、貨物を引き渡していたのでした。

 時代が進むにつれて様々な意味でスピード感が求められるようになった時代の中にあって、貨物を発送したら目的地に到着するまで幾日もかかったり、あるいはいつ到着するのか目処がつかなかったりする、旧来からの鉄道貨物のシステムが合わなくなっていったのでした。

 さらに追い打ちを掛けたのは、国鉄の労使関係の悪化による度重なるストライキによって、列車の運転、特に貨物列車はストライキの犠牲となって運休が相次いだといいます。そして、もはや国鉄単独ではどうしようもないほどの巨額の赤字のために、運賃の相次ぐ値上げもおこなわれました。

 こうしたマイナス要因が積み重なったことで、荷主は国鉄の貨物輸送そのものに不信感を抱き、次々と国鉄離れを引き起こしてしまいました。それとともに、貨物輸送をスピーディーで、発送から到着までの時間もはっきりし、輸送時間も鉄道に比べて格段に短く、しかも国鉄と比べて信頼性のあるトラック輸送に切り替えていったのは当然の帰結といえたでしょう。

 そのような状況は長くは続きませんでした。