1980年代に入って改修工事を受けた2200系は、電装品を新しいものへと交換し、省エネ性を高めました。そして、車体にも大きな改修が加えられ、誕生してから20年目で装いを新たにします。
人間でいえばちょうど二十歳。いわば、成人式を迎えて学生服からスーツへと進化していったという感じでしょう。
一方で、変わらぬままのものもありました。
車内を観察していると、天井に取り付けられた大きなお椀状のもの。ちょうどお椀を天井にぺったりと取り付けたような形で、しかも器にあたる部分には四方に広がるように穴が開けられ、その穴の中にはフィンがついていました。
前回までは
扇風機にしては少し違います。昭和の一時期、地下鉄用の車両などに使われていたファンデリアのようです。が、かつて私が見た営団地下鉄3000系電車のファンデリアとは異なりました。
夏になって風を送るようになると、このお椀状のカバーが回転します。そして、風が常に一定方向にのみ送ることがないようにしてくれるのです。ちょうど扇風機が首を振って回転するようになります。
そして、この大きなカバーの中心には、製造した電機メーカーのものではない、どこかの紋章のようなものが取り付けられていました。
この紋章は、京阪電気鉄道の社紋でした。
かつては関東の私鉄でも、車両の扇風機カバーの中心に社紋を入れる事業者がありました。そういえば、国鉄も動輪紋章ではありませんでしたが、「JNR」のロゴマークを入れていました。
今日、関東では相模鉄道の旧7000系電車に残るのみ。関西ではまだまだ健在だったのです。
いまでは車両の中心線に沿って、細い形状のシロッコファンを使った送風機*1が主流になってしまい、こうした社紋を入れる余地がなくなりました。
まだまだ昭和の中頃、こうした細かいところに会社としての自己主張というのでしょうか、さりげなく、そして目立つように社紋を入れるあたりが、昔の「良くも悪くも余裕のあった」よき時代を想起させてくれます。
ところが、京阪の電車の社紋はファンデリアのグリルだけにと留まりませんでした。
車内の天井を観察していると、もう一つ社紋をあしらった金属の小さな円形の網が、ネジで固定されていました。
この金属製のカバーは、車内放送用のスピーカーが収められているものでした。
これこそ、通常ならメーカー指定の既製品を使うことが多いのですが、京阪はこうした細かいところにも手を抜かず、例えそれがどんなに小さくとも、しっかりと自社の社紋を入れていました。
こうしたあたりは、さすが関西の鉄道会社。
社紋を入れることで、乗客への印象づけを強くしようとしたと考えられます。
手を抜かない・・・といえば、もう一つありました。
車内を明るく照らす照明です。
鉄道車両の車内灯には、1本あたり40Wの直管蛍光灯が使われています。最近では節電対策として同じ形状のLED灯に変わりつつありますが、その形は変わることはありません。
ただ、どちらにしても灯具と蛍光管は、乳白色のアクリル製カバーに収められています。
カバーを取り付けることで、万一、乗客が持ち込んだ手荷物が蛍光管に当たってガラスが飛散することを防ぐことが期待できます。それだけではなく、カバーを乳白色にすることで、蛍光管から発生させる明かりを和らげ、上品で落ち着いた光で車内を演出しようとすることもできます。
そして見た目にも、カバーがあることで車内の雰囲気が変わってきます。
こうしたカバーは、旧国鉄やJRでは特急用の優等列車で使われる車両には標準的に使われますが、そうでない通勤用の103系や113系、民営化後のE233系や225系などにはカバーはなく、蛍光管が剥き出しのままでした。
そればかりか、関東の多くの私鉄では、やはり製造コストと検査時や交換時の手間を減らすため、蛍光管が剥き出しの状態で取り付けられている例が多いのです。
そうしたデメリットもあることは、京阪をはじめ関西の私鉄各社は十分に知っていたといえるでしょう。しかし、そうしたデメリットがあってなお、室内灯カバーを一般列車ようの車両にまで取り付けているのは、鉄道事業者の置かれた環境・・・すなわち、常に競合他社との激しい乗客の奪い合いを展開する中で、一般車両もできるだけ接客サービスの水準を高くすることで、お客さんを獲得しようとしていたのだと思われます。
この蛍光灯のカバーは、京阪だけではなくほかの関西圏の私鉄でも多く見かけることができます。
車内の全体を見回してみると、比較的広く感じることができるでしょう。
座席は一般車両では標準的なロングシートです。座席の座面が深めですが、背ずりは比較的浅めの印象でした。実際に座っていてもそれほど疲れるものではありません。座面が深めなのが、座り心地に貢献しているのかも知れません。
その座席の両端は、肘掛けとして少し使いづらいと思われる、曲線ラインのパイプが取り付けられています。
ところが、この座席端のパイプから上に伸びる握り棒が見あたりません。
ラッシュ時の混雑では、座席に座ることができる人の数には限りがあります。多くは立ったまま乗り続けることになりますが、立席客が掴まることができるのは釣り革と、ドア付近の僅かな手摺りだけです。
これもまた、関西圏の私鉄の車両に多く見られるものでした。
車内を広く見せることで、快適な輸送空間を演出しようとしたのでしょう。
確かに広くて開放的ではありますが、これには少し疑問を差し挟む余地があると思いました。まあ、そのあたりは、別の稿でお話ししたいと思います。
室内のカラースキームはグリーン系でまとめられ、落ち着いた雰囲気を演出していました。座席、床面、そして壁面すべてがグリーン系というのは、今日の車両では見かけなくなってきました。
こうしたあたりも、1960年代の設計・製造という2200系の歴史が見え隠れしています。言い換えれば、俗に言う「魔改造」なる極端な改修をせず、誕生した当時の面影を十分に残したまま、必要十分な改修を施すことで、長きにわたって走り続けてきたのがこの電車だといえるのです。
(次回へつづく)