いつの間に身の回りに溢れるコンピューター制御の物
世の中本当に便利になりました。
その多くは何らかの形でコンピューターを搭載し、きめ細やかな制御がされています。そして、私たちの生活をより豊かにしてくれたり、地球環境に配慮した効率性を生み出したりしています。
コンピューターを装備し、それによって様々な形できめ細やかな動作をするためには、ハードウェアとしてだけでなく、ソフトウェアも重要です。そしてコンピューターはソフトウェアがなければ何一つとして動くことはできないので、これらの工業製品にとって必要不可欠の存在なのです。
ところが、ボーイング737MAXのようにソフトウェアの不具合によって、本来とは異なる動作をしてしまっては、いくらコンピューターによってきめ細やかで、しかも正確、安全であると言い張ったところで、それは信頼性に乏しいものとなってしまいます。
それはこれまでお話ししてきたような炊飯器でも同じことがいえるでしょう。
もちろん、人の命を運ぶ自動車ならなおさらです。
コンピューターを装備した製品を作っているメーカーでは、それらが異常な動作をしないかを確かめるため、製品の開発をしている段階で誤作動や不具合などを洗い出すテストをしています。本来であれば、この段階でエラーが出てくれば改修をすることができます。
しかし、ここでエラーがなければ、その不具合は見過ごされてしまい、ともすると不具合を抱えた大量の製品が市場に出回り、私たちの手許にくる可能性もあるのです。
そして、その不具合で危惧することは、一見しただけではそれが正常なものなのか、それとも不具合を抱えた物なのかが判別できない、人の目には見えないということだといえるでしょう。
ボタン一つで思い通りの機能を満載した家電製品が、手頃な値段で手に入れることができます。10年前と比べても多くの家電製品がコンピューターを搭載し、その性能や昨日は格段の進歩を遂げました。それはハードウェアの面においても高性能になり、反面低価格化が進んだため普及も進みました。
一方で、それらに組み込まれるプログラムはといえばハードウェアほどの急速な進化はありません。結局のところ、10年前に使われていた言語をマイナーチェンジした言語が使われているというのが実情です。
加えて、プログラムを作成するエンジニアは世代交代が進んでいます。かつてのようにシステム全体をみる技術者も存在しますが、その技術力はというと少々疑問を差し挟む余地があるといえるでしょう。その原因は様々なことがいえると考えられますが、時代とともに技術者としての矜持や問題意識の変化、設計思想の変化といったことが上げられるでしょう。
いずれにしても、私たちの身の回りには、コンピューターによって制御することを前提とした物で溢れかえっているという現状があります。
そうした物の多くは、プログラムによって作られたシステムであり、そのシステムが何らかの欠陥を抱えていると、予期せぬトラブルを起こす可能性があると言うことです。そして、私たち素人にはその不具合の有無を確かめる手立てがなく、ともすると故障や事故が起きてから初めて不具合を知ることになるという、ある意味恐ろしい現実の中にあると言ういみで、今回のボーイング737MXシリーズの墜落事故は他人事と言い切ることはできないといえます。
(了)