旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【終章】

広告

《前回のつづきから》

 

blog.railroad-traveler.info

 

■21世紀に入ってもなお現役のDMH17

 国鉄、私鉄問わず広く採用されたDMH17ですが、最後に新製されたのは小湊鐵道のキハ200でした。1977年に製造されたキハ213・214がそれで、国内向け気動車としてDMH17搭載車として最後のものでした。

 これまでにも述べてきたように、DMH17は大型で重量があり、排気量の割には非力で、燃費も高くつくという、今日では考えられない性能ですが、実はこのほかにも欠点を抱えていました。

 DMH17は連続で運転し続けると、排気管を加熱させてしまうという特性をもっていました。これに起因する事故を何度か起こしてしまい、結局、DMH17は全出力での連続運転5分以内という制約を課せられてしまいます。これは、特に勾配区間で速度を維持する必要があるとき、運転士が5ノッチを入れることができるのは5分以内に限られるというもので、まさに運転士泣かせのエンジンだったのです。

 DMH17を搭載した気動車は、1987年の国鉄分割民営化によって、キハ58系を中心に多くがJR旅客各社に継承されました。しかし、基本設計の古さと長年の酷使がたたって、不具合を頻発させるようになります。

 その最たるものが、民営化直後の1988年に起きた、サロンエクスプレスアルカディアのエンジン発火事故でした。上越線団体臨時列車として走行中、排気管過熱に起因してエンジンから発火し、キハ58から改造されたキロ59 508が全焼するという事故でした。幸いにして死傷者を出さずに済みましたが、事態を重く見たJR東日本は、DMH17を早期に新型エンジンに換装することを決めます。

 これには、当時のJR東日本の会長であった山下勇氏の決断が大きかったと言われています。もともと船舶エンジンの開発に携わった技術者である山下氏は、DMH17の設計図を見て戦前の古い設計のエンジンであることを指摘しました。このお話のはじめの方でも述べたように、DMH17は戦前のガソリンエンジンであるGMH17を基本にディーゼルエンジン化したもので、戦前エンジンの特徴を多くもっていたのでした。このように、原設計が古く、ただでさえ排気管過熱という欠点を抱え、長期にわたって酷使されてきたDMH17は、ついにエンジン発火という事故を起こしてしまったのです。

 もっとも、DMH17を開発した当の国鉄も、このエンジンが旧式のものであることは承知していました。戦前に設計され、そのまま燃料事情や戦況の悪化によって放置されていたものを、戦後になって引っ張り出してきて設計し直したもので、DMF15やDML30が開発されるまでは、古かろうが欠点があろうが使うほかなかったと考えられるのです。また、この間、ディーゼルエンジンの技術は飛躍的に向上しており、海外メーカーのものはもちろん、国内メーカーのエンジンも高効率で小型軽量なエンジンを製造していました。

 

小湊鐵道が運用するキハ200は、国鉄キハ20系とほぼ同型車であり、車体構造や搭載機器もこれに準じている。駆動用機関は出力180PS のDMH17Cを搭載し、台車もDT22・TR51と同等品が装着されるなど、大きな変わりはみられない。これは、財政的に厳しい地方鉄道にとって、自社発注車両の開発・製造にかかる費用を極力抑えるために採られた方法といえる。キハ200の場合、すべてキハ20系と同じというわけではなく、前面の前部標識灯はシールドビーム灯が上部左右に1個づつ設置されている。また、運用する小湊鉄道線は路線距離が39.1kmであることから、収容力を重視したロングシートとされた。本家の国鉄では、DMH17系エンジンの新製は終わっていたが、1977年に製造されたキハ213・214は、一番最後に新製されたDMH17系エンジン搭載車となった。(小湊鐵道キハ205 上総中野駅 2020年6月21日 筆者撮影)

 

 JR東日本保有していた気動車で、DMH17を装備していた車両は1991年までにすべて新しいエンジンに換装されました。小型軽量で燃費もよく、エンジン出力も高い新世代のエンジンの一つであるDMF11(小松製作所製・直列6気筒水平シリンダ、排気量11リットル、出力330PS)に載せ替えられました。

 また、JR東日本以外でもDMH17の換装が進められました。JR東海はカミンズ製DMF14を採用して換装しました。JR東日本は変速機を換えずにエンジンのみ換装したため、出力は250PSに押さえられましたが、JR東海では変速機も交換したため、出力は330PSと強力になりました。

 一方、JR西日本では原則としてエンジン換装はしませんでした。そのため、数多くのDMH17が残存することになり、後に最後までJR線上で活躍したキハ28も、全車が廃車されるまでこの古いエンジンを装着したまま活躍したのでした。この古いオリジナルのエンジンを装着した中の1両であるキハ28 2346は廃車後、千葉県のいすみ鉄道に譲渡されて、最後のキハ58系として観光輸送に活躍しました。しかし老朽化と交換用備品の調達が難しくなったため、国鉄形車両としてDMH17を搭載した最後の車両となり、2022年11月27日まで現役だったのは特筆に値することといえるでしょう。

 

キハ28 2346が運用を終えて、DMH17系エンジンを搭載した国鉄気動車は、同じいすみ鉄道保有運用するこのキハ52 125だけになった。同時に、DMH17系エンジンを搭載する唯一の2エンジン車となり、最後の稼働車である。車齢もすでに50年は超えている古豪車であるため、その維持には莫大なコストがかかっていることは想像に難くない。そして、交換用備品も入手が難しくなり、入手できたとしても受注生産品となるため、コストを押し上げていると考えられる。次回の全般検査が施行できるかどうかによって、今後の動向がはっきりするともいえ、願わくば今後も走り続けてもらいたいものだが、非常に困難が伴うであろう。(キハ52 125【金トミ】→いすみ鉄道 大多喜駅 2013年6月30日 筆者撮影)

 

 DMH17を搭載した気動車は、残すところ小湊鐵道のキハ200だけになりましたが、やはり老朽化が進んでいることや、交換用部品の調達も難しくなってきていることから、そう遠くない将来に置き換えられるのは想像に難くありません。いずれにしても、この古いエンジンが21世紀も半ばにさしかかり始めた今日にあって、現役でいること自体が特筆されることといえます。

 ガソリンエンジンの危険性が指摘されたことで、鉄道車両の燃料として比較的安全な軽油を使うディーゼルエンジンとして戦前に開発され、戦後の燃料事情や輸送力増強、非電化路線での無煙化の推進の要請から誕生した国鉄の量産実用エンジンであるDMH17は、経済性に劣り排気管過熱という問題を抱えながらも、日本の気動車の標準的なエンジンとして広く使われました。その功績は気動車の歴史を語る上で、けして欠かすことのできない存在であることは間違いないといえます。

 しかし、時代の流れには抗えることはできず、キハ28 2346の運用終了により、その終焉も近づいてきているといえるかもしれません。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info