旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄車に引けを取らなかった富士急の意欲作 富士急行5000形【3】

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《前回からのつづき》

 

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 3100形のうち2両(3103+3104)は、月江寺駅付近の踏切において立ち往生した自動車と接触し、ブレーキを作動させるための空気溜めを破損、ブレーキが使えない状態で下り勾配を逸走していき、約4kmの距離を猛スピードで走った挙げ句、暮地駅(現在の寿駅)−三つ峠駅間にある最大40‰の急勾配とカーブに突入して脱線転覆。結果、列車は沢に転落して大破し、死者17名、負傷者69名という大惨事を起こしました。その経験から、富士急行は自社で保有・運用する車両に大してブレーキの多重化を施していましたが、5000形もこの方針からブレーキ系統は多重化され、万一、ブレーキ配管のどちらも使えなくなった場合に備えて、手ブレーキも1両につき2基、編成全体で4基備えるという徹底した事故対策をとったのです。

 暴走する車両を手ブレーキで停止させることができるのかと考えられるかもしれませんが、実際に手ブレーキを操作してみると、意外に人力でもブレーキをかけることができます。

 最も知られる例で言えば、かつて国鉄の貨車操車場や貨物駅などにおいて行われていた入換作業では、作業の効率化を目的に突放が頻繁に実施されていました。この突放では、機関車から突き放されて惰性で走る貨車を、操車掛が貨車に乗って手ブレーキまたはフットブレーキをかけて貨車を減速、停止させていました。民営化後、貨物会社は原則として突放をしないように指導していましたが、現実として一部の駅では突放による入換が続けられていました。惰性で走る貨車を、腕の力でハンドルを回してブレーキをかけるのは相当な力が必要ですが、ある程度慣れてくると、効果的に原則をさせることができ、経験を重ねれば連結さえも可能なのです。

 幸いにもこの多重化された保安ブレーキが使われる機会はありませんでしたが、幾重にも施された安全対策は、多くの犠牲者を出した事故の教訓を最大限に活かした装備をもたされたのでした。

 地方私鉄の車両としては、これだけ充実した装備をもった5000形はまさに『意欲作』といってもいいでしょう。実際、鉄道友の会から意欲作として評価され、「ローレル賞」を受賞するという栄冠を手にしています。しかし、5000形はモハ5001とモハ5002が製造されただけで、以後の増備はありませんでした。

 

5000形は2扉セミクロスシートという、後に国鉄が地方電化幹線向けに製造した417系などにも通じる設計だった。地方私鉄の車両として、冷房装置を備え、しかもセミクロスシートというのは稀に見る豪華なものだった。座席も国鉄制式品とほぼ同じものであり、レイアウトも近郊型電車と同等だった。富士急行線は観光路線としての性格が強いので、こうした車両だと短い路線でも楽しい旅を提供できるといえる。国鉄線へ直通してもけして遜色ないものなので、実際に乗り入れていたら面白かったかもしれない。(モハ5001 下吉田駅 2021年12月28日 筆者撮影)

 

 1975年に日本車輌製造で新製された5000形は、登場時は富士急行保有する他の車両と同様に、サランダブルーとオーシャングリーンの2色塗装に、窓下には150mmの白帯を巻いていました。後に、窓上から雨樋にかけての幕板部もサランダブルーの塗装が施されています。

 この姿での活躍はしばらく続きましたが、富士急ハイランドのイベントや新アトラクションが開業するたびに塗装が変更されました。1997年に「ゲゲゲの鬼太郎」塗装に変更され、半年間に渡ってこの姿で運転されました。翌1998年には「きかんしゃトーマス」のラッピングが施され、登場時の塗装を見ることができなくなります。

 この「きかんしゃトーマス」ラッピング塗装でしばらく走っていましたが、2007年には車内にも「きかんしゃトーマス」のキャラクターが描かれたリニューアルが施されました。

 いずれも富士急行が運営する富士急ハイランドと連動したもので、小さい子どもたちを連れた家族連れに、富士急ハイランドで遊ぶ前に富士急行線、この「きかんしゃトーマス」のラッピングが施された列車にも乗ってもらいたいという、宣伝効果を期待してのことでした。

 このように、非常に賑やかなラッピングが施され、しかも車内にもキャラクターが描かれていたので、多くの人を乗せて走り続けました。特に、「きかんしゃトーマス」を目当てにした子どもたちと、その子達を連れた家族を乗せた車内は、キャラクターを見てはしゃぐ姿や、これからたっぷりと遊ぶであろう遊園地での楽しいひと時に胸を膨らませる人々の様子が目に浮かぶことでしょう。実際、現在も下吉田駅構内で保存されている、「きかんしゃトーマス」塗装の5000形を見た我が娘も、車内に描かれているキャラクターたちを見て大はしゃぎでした。

 

下吉田駅をあとにして、大月へと向かって走り去る5000形電車。撮影したのは2017年だったので、引退まで残り2年ほどという最晩年に近い姿だった。富士急行線は大月から河口湖まで連続した勾配がつづくという、鉄道車両にとって比較的厳しい線形をもつ路線で、5000形に搭載された機器は実績があり堅牢なものが選ばれていた。また、高速性能よりもトルク重視の設計とされたため、最高運転速度は65km/hと低速よりに設定されていた。(5000形 下吉田駅 筆者撮影)

 

 しかし、ご多分に漏れず、寄る年波には勝てない宿命がやってきました。1975年に登場して以来、長らく走り続けてきた5000形も老朽化が進むとともに、交換補修用の部品も入手が困難になっていきます。鉄道車両は他の工業製品と比べると比較的寿命は長いものですが、それは検修に携わる技術者たちの苦労と努力、そして長い運用に耐えられるだけの部品が供給されて実現できるものです。

 特に5000形のような抵抗制御では、簡単な回路構成から部品自体もそれほど特別なものはありませんが、VVVFインバータ制御が主流になり、主抵抗器や主電動機などの交換部品の生産は減少し、今では皆無に等しい状態になっているのは想像に難くないでしょう。たとえメーカーが生産に応じても、特殊な受注生産品として扱われ、その価格は以前とは比べ物にならないほど高価になるのは必然です。

 こうしたことも背景になり、地方私鉄の車両としては充実した設備をもち意欲作ともいえる5000形は、2019年2月に実施されたさよなら列車の運行をもって運用を離脱、44年の長きに渡る歴史に幕を閉じました。

 廃車後、5000形のうちモハ5001は、前にも述べたように下吉田駅の構内にある、ブルートレインテラスに静態保存されることになりました。富士急行に縁のある貨車などとともに、2022年現在もその姿を富士の麓で見ることができます。外観と車内は最終運行時の「きかんしゃトーマス」が描かれたもので、晩年、多くの人達で賑わっていたことが伺い知れることができます。

 

厳しい寒さの中、真冬の下吉田駅に佇むモハ5001。すでに運用から退いて4年が経っていたが、その姿は現役時代のままだった。シーズンともなれば多くの利用者が訪れ、「きかんしゃトーマス」を目当てに乗った子どもたちが、歓声を上げながら短いながらも列車の旅を楽しんだであろう。(モハ5001 下吉田駅 2021年12月28日 筆者撮影)

 

 経営基盤が厳しい環境に置かれることが多い地方私鉄でも、20m級の大型の車体を持ち、新製時から冷房装置を装備し、可能な限り快適性を追求したという5000形は、鉄道車両の歴史の中でも類まれな存在だったといえるでしょう。そのうちの1両が静態保存されていることもまた、富士急行にとって貴重な存在だった証であり、願わくば長きに渡って保存され、その功績を多くの人々に伝えて続けてほしいものです

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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