旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 静かに去っていった251系「スーパービュー踊り子」

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 ダイヤ改正が行われるごとに、新しい列車が設定されたり、新しい車両が本格的に運用に入ったりします。それはそれで楽しみなことでもありますが、一方では役目を終えたり利用客の減少したりするなどして廃止される列車もあれば、老朽化などで引退していく車両もあります。

 JR東日本の251系電車は、この3月のダイヤ改正をもって引退していきました。長年「スーパービュー踊り子」として東京と伊豆半島を走り続けてきたこの車両は、わずか40両が製造されたに留まる「小所帯」でした。

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 251系が産声を上げたのは1990年。国鉄が分割民営化され新会社として再スタートしてから3年目のことです。それまでは、国鉄から引き継いだ車両を使い続けていました。首都圏対湘南伊豆の優等列車は「踊り子」が走り続け、車両も185系の独壇場でした。

 185系国鉄末期につくられた特急形電車でした。他の特急用として走る183系や485系に比べればまだまだ新しく、置き換えることなど予定にもならない車両でした。しかし、185系はその開発経緯から、153系を置き換えることが前提となっていたことで、「普通列車から特急列車までこなすことのできる万能車両」となり、幅1000mmの側扉と転換式クロスシート、さらに側窓も開閉可能という、特急形としては「ありえない」装備をもたされました。そのため、普通列車として運用に入ると「乗りドク」になり、特急列車としては接客設備の面で見劣りがするという、なんとも中途半端な存在だったのです。

 民営化がされ、あるていど経営も軌道に乗ってきた頃、JR東日本は集客とサービス改善に本腰を入れるようになりました。

 その手始めとして、JR東日本常磐線の「ひたち」をリニューアルしました。老朽化し陳腐化の進んだ485系を置換え、サービス向上とスピードアップを目指して651系を開発しました。

 第二弾として、もっとも身近でもある「踊り子」のアップグレードが計画されます。といっても、いきなり185系をリニューアルしたり、新型車にすべて置き換えるのではありませんでした。

 民営化されたとはいえ、この当時のJR東日本は株式公開前の特殊法人。しかも、根拠法となる法律に縛られたままだったので、財政状態は国の会計検査院に報告し監督を受ける立場でした。製造から日が浅い185系をリニューアルするならまだしも、廃車にして置換えようものなら、たちまち国から横やりが入ってきてしまいます。

 そこで、「踊り子」の増発とともに、列車としての商品価値を高めることを企図して開発されたのが251系でした。

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 251系は冒頭でもお話ししたように、10両編成4本、合計で40両がつくられただけでした。「踊り子」の増発用として、必要最小限の数だけに留められたものと考えられます。また、数として少ないことは、「希少価値」と生み出すので、251系による列車の設定も東京-伊豆急下田間に2往復、新宿-伊豆急下田間に1本、伊豆急下田-池袋間に1本が設定されただけでした。(土休日や繁忙期には運用区間の変更や増発もあった)

 運転本数が少ないということで、プレミア感をもたせ「特別な列車」という印象を与えることは可能でした。実際、185系で運転される一般の「踊り子」に比べ、251系で運転される「スーパービュー踊り子」の切符はとりにくいものでした。かくいう筆者も一度だけ乗る機会を得ましたが、パッケージツアーを利用してようやく乗ることができたものです。

 251系の外観は、従来の特急用車両の常識を根本から覆しました。

 先頭車はガラスを多用した二階建構造で、二階席からは前方展望に配慮した展望席を設けました。

 これは、国鉄時代と比べると格段の変化と言えるでしょう。

 かつて、国鉄時代は乗務員が乗客から見られるのを極端に嫌がり、客室と乗務員室の仕切りにある窓を、日中でもカーテンで閉めていました。民営化後に仕切の窓が大型化されると、「金魚鉢」などと揶揄する乗務員もいたほどで、それが常に前方の展望を楽しめる環境をつくるというのは、かなり大胆な改革と言えるものです。

 また、伊豆急下田方の先頭車に、グリーン車を設定したのも大きな変化です。従来の考え方からすれば、グリーン車のような上級車両は、停車する駅のホームで利便性のよい階段近くに設定することがほとんどでした。そのため、多くは中間にグリーン車が連結されていましたが、251系ではその常識を覆しました。

 これから伊豆というリゾート地へ向かうグリーン車の乗客に、優先的に眺望が楽しめる展望席を利用してもらういうコンセプトがあったと容易に想像できます。

 さらに、一階席にはグリーン車の乗客線用のラウンジを設けたことや、二階の座席は従来の2+2のアブレストという常識を破り、1+2というアブレストを採用しました。定員は減りますが、ゆとりのある「一つ上」の空間を提供することで、「スーパービュー踊り子」のグリーン車としての価値を高めたのだといえます。

 また、普通車も185系とは異なりました。

 中間車はすべてハイデッカー構造として、眺望をよくしました。伊豆半島東部を走る観光列車としての性格も帯びた「踊り子」としての価値を、普通車の利用客にも提供しようというものです。

 251系の運転による「スーパービュー踊り子」は、車両というハード面でのサービス向上とプレミア感をつけるだけではありませんでした。

 251系は乗客が利用できるドアを2両に1か所と極端に少なくしました。185系は1両に2か所だったので、かなり少なくなったことが分かります。これでは、乗降に時間がかかるのではないかという疑問も出てきますが、「スーパービュー踊り子」ではそれは度外視したようです。

 というのも、多くの乗客は始発駅から乗ると終着まで乗り通すか、途中で下車してもその駅は限られると考えたからでした。そのため、一般の「踊り子」に比べて「スーパービュー踊り子」は停車駅が限られていました。そこで、停車する駅では停車時間を少し長めに設定できたのだと考えられます。

 

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 また、「スーパービュー踊り子」に乗るときには、乗降用のドア付近で専属の客室乗務員の「改札」を受けました。

 そもそも、それまでの鉄道に「客室乗務員」という職種はありませんでした。いえ、かつて夜行列車の全盛期に、寝「乗客掛」のちに「車掌補」という職種はありました。この職種は主に寝台の設置解体と、乗客案内など接客サービスを主としていました。接客サービスとは聞こえがいいですが、かつては「給仕」とも呼ばれていて、乗客から頼まれる雑用もこなしたそうです。乗車券類の改札といった営業業務は車掌か専務車掌の役目であり、あくまでも乗客へのサービスが専門でした。また、国鉄の分割民営化まで、戦争中の人員不足時やごくごく一部の職種(鉄道電話の電話交換手など)を除いては、職員は原則として男性だけ。どのような職種でも鉄道職員に女性がなること自体が珍しく、ましてや乗務員の一員になるなど考えもしなかった時代です。「スーパービュー踊り子」のために女性の客室乗務員を採用し、乗客サービスを担ってもらうという発想は、まさに民営化の賜といってもいいでしょう。客室乗務員に「出迎えてもらう」ことで、この列車は「特別なもの」という演出と、乗客にステータスをもたせることにしたのです。こうしたあたりは、当時、接客サービスの面で一歩も二歩も先に行く航空業界を参考にしたのかも知れません。

 実際に、「スーパービュー踊り子」に乗る時に、予め乗車券類を手許に用意しておき、客室乗務員に出迎えてもらうと、「なんだか、特別な感じがする」という思いをするもの。加えて、ほぼ男性しかいなかった時代の元鉄道マンの筆者としては、このような出迎えを受けて「時代が変わっていくんだな」なんていう思いも抱いたものです。

 こうして、まったく新しいコンセプトで開発された251系と、それまでにはなかった新しい発想のサービスが見事に融合し、一躍人気の列車となりました。一時はなかなか切符が取れない「プレミアチケット」にまでなったという話も聞くほどで、特急列車の「商品としての価値」は高まったと言えるでしょう。

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  以来、251系は首都圏と観光地・伊豆半島を結ぶ代表的な列車として定着しました。そのため、増発を望む声が多かったのか、1992年に10両編成2本、合計20両を増備してこれに応えます。

 増備車もまた、利用客の声や運用側の声をフィードバックしたものでした。先頭車の前面展望をさらによくするため断面構造の変更や、乗務員室仕切をガラス窓だけにしました。もはや、国鉄時代の「見られるのがイヤだ」なんてことはいってられない、乗客にとって楽しめる車両へと進化しました。

 また、座席にも改良が加えられ、座面がスライドするリクライニング機構を取り入れます。座席常備にある荷物棚も、旅客機のようなハットラックに変更するなど、細かい点でも改良が加えられました。

 2002年には、40両すべてがリニューアル工事を受けます。登場から既に10年以上が経過し、接客設備に多少の痛みもあり、またそのままでは陳腐化して利用者に受け入れられなくなることなどを考慮したものといえるでしょう。

 目立ったのは外観で、塗装もホワイトをベースにし、車体下部をエメラルドグリーン、その間にはライトブルーの帯を入れた爽やかな色彩に変わりました。

 こうして、「乗ったらそこは伊豆」というコンセプトのもと、新たな時代の特急列車としての地位を確かなものにし、鉄道会社の「商品」である「列車」としての「価値」を高めた251系は、登場以来30年、首都圏と伊豆半島の間を走り続けました。

 そして、2019年には後継となる「サフィール踊り子」とその専用車両であるE261系の導入が発表され、2020年3月のダイヤ改正をもって251系と「スーパービュー踊り子」はその役目を終えることが発表されます。

 最後の活躍を続ける251系は、連日、多くの利用者で賑わい、有終の美を飾るはずでした。しかしながら、2020年になって起きた新型コロナウイルスの影響で、一般の「踊り子」も含めて利用者は減少してしまいます。そのような渦中であっても、最後まで走り続けた251系は、予定通り、30年間の活躍を終えて2020年3月13日の運用をもって、その歴史に幕を閉じました。

 当初は、引退に際して撮影会などが企画されていたようです。残念ながら、新型コロナウイルスの影響のために、こうした企画はすべて中止となり、華々しく登場した時とは裏腹に、静かに舞台を去って行きました。

 とはいえ、後継となるE261系にそのコンセプトと役割は引き継がれたといってもいいでしょう。なにしろ、E261系は251系よりもさらに上をいく豪華さで、もはや「気軽に乗れる特急列車」の域を超えています。とはいえ、特急列車としての「商品価値」を高めていることは間違いありません。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。