旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

兵どもが夢の跡 廃線後の輸送を担う碓氷線【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 鉄道は高頻度、大量輸送を得意とする交通機関であることは、多くの方がご存知のことと思います。特に距離が伸びれば伸びるほど、そして輸送量が増えれば増えるほど、その威力を発揮するものです。それは旅客・貨物問わずにその傾向を強くし、同時に貨物であれば、1300tの貨物を運ぶためには10tトラックだと単純計算で130台となり、その1台ずつにドライバーが必要になります。鉄道では、これを一人の機関士ですむので、当然、人件費といったコストも抑えることができます。

 一方、利用が減少し、輸送量がほとんど見込めなくなると、鉄道は逆に高コストな交通機関になってしまいます。例えば、一日に数本しか列車が運転されず、しかも一列車あたりに数人となってしまっては、鉄道のメリットを発揮できるどころか、線路や車両の維持費などが運賃収入よりもはるかに超えてしまい、ただただ赤字を垂れ流すだけの存在になるのです。そういった意味において、例えばJR北海道が単独で維持をすることが困難とした鉄道路線は、そのどれもが輸送密度が極端に低く、ともすれば利用者は数人程度となるので、コストばかりがかかってしまうので、経営的に見ればそうせざるを得ないのも納得がいくところでしょう。

 こうして、配線になった鉄道が担っていた役割は、代わりとしてバス路線が設定されるのが常と言えます。もっとも、多くのバス転換路線は、国鉄時代の末期に「特定地方交通線」として指定された、いわゆる「赤字ローカル線」と呼ばれた路線で、第三セクターへ移行して存続されたもの以外は、少量輸送に向いているバスに代替されたのはごく自然の流れでしょう。それでも利用者が減少してしまい、バスでも路線を維持することが困難となった路線は、バス路線までもが廃止された例がいくつもあります。

 こしたバス転換が多い中で、信越本線の一部区間の廃止によるバス転換は、ある意味では珍しい事例といっても過言ではないと思われます。そもそも「本線」を名乗り、かつては首都圏と北陸や上信越を結ぶ特急列車が往来し、国鉄→JRの幹線の一つでしたが、北陸新幹線の開業により「並行在来線」として扱われた挙げ句に、横川ー軽井沢間については廃止となり、信越本線はかつての栄光がまるでなかったかのように分断され、そして多くは第三セクターへと移行していきました。

 横川ー軽井沢間が廃止なった理由は、やはり碓氷峠の存在でした。この区間に存在する66.7‰という急勾配は、国鉄の鉄道線路の中では最も険しく、古くはアプト式と呼ばれるラックレールを用いて、専用の機関車によって運転されていました。そして戦後には低速での運転を強いられ、構造も特殊なアプト式から粘着運転に切り替えられたものの、補機との協調運転を可能にし、徹底的に軽量化が図られたEF62や、この急勾配を昇降するために特殊装備を施した専用補機であるEF63を必ず連結しなければならないなど、列車の運転そのものに制約が多く、これらの機関車の運用コストも嵩むことから、やむなく廃止に至りました。

 

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碓氷峠鉄道文化むらで保存されているEF63 12号機。66.7‰という、国鉄の鉄道線で最も勾配が厳しい難所である碓氷峠越えのために、専用補助機関車として開発・製造されたEF63は、これに対応するために数々の特殊装備を施してある。そのため、信越本線の横川-軽井沢間を通過する列車には、必ずこのEF63を連結しなければならないので、所要時間がかかるなど輸送上のネックになっていた。(EF63 12 碓氷峠鉄道文化むら 2011.7.18 筆者撮影)

 

 その後、この区間を代替する手段として、バスによる輸送へと切り替えられたのでした。もちろん、運行を担うのはJR東日本の子会社であるJRバス関東で、車体には国鉄時代から脈々と受け継がれている「ツバメ」のシンボルマークが描かれています。

 国鉄=鉄道というのが常識ですが、実際には連絡船という航路を運営し、多くの船舶を保有・運航するとともに、全国各地に張り巡らされた鉄道網を補完し、あるいは鉄道としては未成であるものの、これに先行したり、観光地など鉄道駅から遠いところへ連絡したりする輸送の手段として、キメの細かい自動車路線網をもっていたのでした。ですから、国鉄職員には鉄道に携わる鉄道員(当然、この職員の数は絶対的に多い)だけでなく、連絡船に乗務する船員や、この自動車線で運転されるバスを運転するドライバーも存在していたのです。

 その自動車線で運用されるバスには、かならず「ツバメ」のシンボルマークが描かれていました。この「ツバメ」は、国鉄にとっては「スピード」象徴する存在で、古くは特急「燕」に遡ることができます。そして、特急列車を牽引したC62 2号機の除煙板には「ツバメ」が描かれたり、民営化後のJR九州は伝統の「ツバメ」を今なおシンボルとして使っています。

 

 

《次回へつづく》

 

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