《前回のつづきから》
その後、1000番代PF形とEF66の増備によって、500番代F形は特急貨物列車の運用から次第に離れていき、一般の貨物列車の運用に充てられるようになりました。また、レサ10000で組成された鮮魚特急貨物列車は、毎日長距離を高速で走行するという運用のため車両の老朽化が早く進んだことや、冷凍機の技術が発達してトラック輸送への移転がさらに進んだことで利用率が低下したこと、さらに鮮魚輸送もコンテナ化を進めたことで、国鉄分割民営化が目前に迫った1986年に、その長い歴史に幕を閉じて廃止になりました。
また、1970年代終わり頃からは、国鉄の貨物輸送量が減少したことから、操車場を経由する「ヤード継走」と車扱輸送から、より効率の高いコンテナによる拠点間輸送への転換が図られ、ワキ10000も次第に運用が減少していきました。
コンテナ車であるコキ10000は、国鉄の貨物輸送のコンテナ化の方針によって、ほかの貨車に比べれば活躍の余地はありましたが、その構造上、牽引する機関車が限定されるため、運用に難がありました。後継となるコキ50000が登場すると、最高運転速度は5km/h遅い95km/hにはなったものの、コイルばね台車と応荷重装置付自動空気ブレーキとなったため、元空気溜め管引き通しや電磁自動空気ブレーキの回路を構成しなくてもよいことから、機関車を限定する必要がなくなり、500番代F形はほかのEF65と同じ運用に充てられるようになったのです。
国鉄の貨物列車の大整理とそれに伴う運転本数の削減は、500番代F形にも波及していきました。貨物輸送量の減少や荷主の国鉄離れ、さらに効率性に劣る車扱輸送からコンテナ輸送への転換の推進などにより、1984年に実施された「ゴー・キュウ・ニダイヤ改正」が実施されると、用途を失った大量のワキ10000が廃車されていきました。また、鮮魚輸送にかかる時間を大幅に短縮し、魚介類の鮮度を保ったまま大都市圏へと運んだレサ10000も、老朽化が進んだことやコンテナへの転換により姿を消していきました。
そのため、もっぱら特急貨物列車を牽いていたEF66も運用に余裕が出始めたことや、EF65 1000番代PF形も100両を超えて増備されたため、500番代F形はかつての栄光とは裏腹に短中距離の貨物列車に充てられました。中には短距離の専用貨物列車という、なんとも地味な運用にすら充てられたのでした。
500番代F形が担った東海道・山陽線の特急貨物列車の仕業は、本命であるEF66の量産によってその任を譲り、吹田から新鶴見に拠点を移して東北・上越線の特急貨物列車の運用に充てられた。特に上越線では、冬季は豪雪地帯である上越国境越えというEF65にとっては想定外の過酷な運用となり、耐寒耐雪装備を追設したものの十分とはいえなかった。そのため、耐寒耐雪装備をもち、重連運転に最適化された仕様の1000番代PF形が登場すると、その任からも退いていき、単機での運用に充てられるようになり、分割民営化後は高崎機関区へ配転されて首都圏や東海道・山陽線の貨物列車に使用された。1993年頃の新鶴見は写真のように、国鉄形電機が多く集う場所で、1000番代PF形はもちろん、1057号機の隣には500番代F形524号機の姿も見える。一方、右側には民営化後に製造されたEF66のリピートオーダー機である100番代の姿もあり、今日見られる光景とはまったく異なっていた。(EF65 1057[新] 1993年頃 新鶴見機関区 筆者撮影)
1987年の国鉄分割民営化で、500番代F形はJR貨物に継承されていきます。この頃には多くの貨物列車はコンテナ化が進み、かつての鉄道貨物輸送の主役であった車扱輸送はその数を減少させていきます。残った車扱輸送は拠点間輸送に適した貨物を輸送する列車となりましたが、そうした地味な役回りを500番代F形はこなし続ける日々となったのです。
しかし1965年に製造されたこれらの電機たちは、すでに車齢も20年以上が経ち、30年も目前に迫っていたことや、貨物列車という電機にとっては負担のある運用を続けていたため、老朽化も進んでいました。しかし、財政基盤の脆弱なJR貨物には後継車両の大量製造は難しかったことなどから、さらに10年程度使い続けることができるように更新工事を施されていきます。
更新工事を施工された500番代F形は、かつての栄光を物語る国鉄特急色から、濃淡ブルーとライトパープル地の貨物更新塗装に替えられ、変わらず短中距離の貨物列車を引き続けたのです。
やがて車齢が40年近くになると、後継となるEF210の増備が進んだことから、運用を離れる車両が出るようになります。500番代F形は、高崎機関区を最終配置として2008年までに全車がその任を全うし、姿を消していきました。
500番代という同じ区分ながらも、P形のように寝台特急の先頭に立つという、多くの人の目に触れるような花形仕業こそなかったものの、「とびうお」や「ぎんりん」という愛称のつけられた特急貨物列車の先頭に立ったF形は、狭軌最強電機ともいわれたEF66が登場するまでの「リリーフ」だったとしても、国鉄の貨物列車の大幅な速度向上と、多くの人々の生活を支えた役回りは、けして寝台特急の仕業に引けを取らない素晴らしいものだったといえるでしょう。派手さこそはありませんが、そこには鉄道本来の強みと良さが現れ、そして今日の鉄道貨物輸送の原点を築いたといっても過言ではありません。恐らくは、0番代と容易に区別できるようにと特急色を身にまとっていましたが、P形と同様にF形もまた、この特急色に相応しい活躍をしたことは特筆すべきことといえるのです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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