旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 東急大井町線の8090系・晩年の頃【2】

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《前回のつづきから》

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 8090系はもともと東横線に、8000系の改良型となる日本初の軽量ステンレス車として1980年に登場しました。航空機の設計手法を応用し、車両重量を軽減することに成功し、ステンレス車=コルゲート板という常識から脱し、外板に直接ビートが入るものへと変わりました。

 登場当初は東横線で活躍し、もっぱら急行列車専用として運用されていました。車体側面に赤色の帯が入るなど、従来のステンレス無塗装という東急電鉄の車両とは一線を画し、まさに東横線に新風を吹き込む存在だったといえます。

 東横線の顔として登場以来、もっぱら急行列車で運用され続けた8090系でしたが、1985年に8両編成10本、合計80両を製造したところで増備が打ち切られました。大井町線に残存する18m級を置き換えるために、東横線の8000系を配転させて8090系が増備されると考えられましたが、実際には1986年にVVVFインバータ制御を採用した9000系に増備が移ったのでした。

 9000系の登場で、8090系が担ってきた急行運用も取って代わられるとも思われましたが、実際には9000系の増備は第1編成(9101F)が製造されて一時は止まりました。これは、9101Fが量産先行車としての性格があり、新機軸を採用したこともあって問題点の洗い出しを兼ねた営業運転に充てられたため、急行・各停のどちらにも運用に入り、8090系が担ってきた急行運用の座は明け渡すことはなかったのです。

 しかし、1987年から9000系の量産が始められ、増備が進められていくといよいよ8090系の座は危うくなっていきます。加えて、東横線みなとみらい線の直通運転が決定すると、5M3Tでは地下線から地上線へ登坂するときに出力不足が懸念されることと、先頭車となるクハ8090が非貫通であるため地下鉄線を走行するために定められたA-A基準に対応できないことから、先頭車を制御電動車であるデハ8590とデハ8690に差し替え、同時に中間車を組み替えて6M2T・8両編成5本へと替えられました。それまでの先頭車であるクハ8090が余剰となるとともに、9000系の増備によって急行運用も足りるようになったことから、8090系はクハの余剰車とともに5両編成に組み替えられ、大井町線へ転出してしまいました。

 こうして、大井町線にやってきた8090系は、かつて東横線で活躍していた頃の急行運用に就いてその性能をいかんなく発揮して疾駆した面影もなく、のんびりと支線級の路線を行き来するようになります。組み替えた編成によっては、1M車となるデハ8490を組み込んだ3M2Tでは編成出力が弱いためか、あまり加速が良くなかった印象がありました。

 登場してからそう長く東横線では活躍せず、大井町線で短い編成に組み替えられ、しかも3M2Tという電動車の比率が少ないが故に加速力も低いために、その性能を十二分に発揮することもなくなった8090系は、二線級の扱いに甘んじて走り続けました。

 このショットも、そうした中で撮影したもので、かつて東横線の急行運用に就き、渋谷と桜木町の間を疾走していたとは思えないほど、のんびりとたものでした。

 やがて大井町線の改良工事が進むとともに、界磁チョッパ制御+直流電動機の組み合わせの車両を淘汰する方針とともに、これはあくまでも筆者の見方ですが、子会社に東急車輛を抱えているが故に、新車を発注し続けなければその子会社が立ち行かなくなり、ひいては本体である東急電鉄自体の連結決算ベースの業績が悪化するというジレンマ*1もあって、8000系を代替えしていた5050系の増備が進められていくと、いよいよ9000系をも大井町線に追いやって、玉突きで8090系の活躍の場が失われていきました。こうした構図は、東横線時代とほとんど同じで、8090系にとっては9000系はきっとうんざりする相手だったかもしれません。

 

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地下鉄線として計画・建設の進んでいたみなとみらい線への直通運転を見越して、それまで東横線の「看板」として活躍していた8090系は、大きな転機を迎えることになる。4M4Tで組んでいたが、先頭車を制御電動車化し地下鉄線乗り入れ基準を満たすため、前面に貫通扉を設けたデハ8590・8690を製造して対応することになった。田都用の8500系の90番代という位置づけだったが、車体の基本設計は8090系のもので、大きな変化はなかった。8590系の登場によって、8090系は編成替えを行った上、余剰車を5両編成に組み直して大井町線へと転属させた。(8694F 多摩川駅 2004年8月31日 筆者撮影)

 

 もっとも、軽量オールステンレス車両である8090系は、電装品はともかくとして、車体構造はそれほど老朽化はしていません。雨水やブレーキパッドから飛び散る鉄粉にさらされても、腐食しにくいのがステンレス鋼の最大のメリットでもあります。実際、1960年代に製造された日本初のノールステンレス車である東急7000系(初代)は、1990年代に改造のために構体を調べたところ、製造時とほぼ同じ強度を保っていたことがわかりました。言い換えれば、電装品さえ交換できれば、車体は長期に渡って使い続けることができるという、究極のエコな車両ともいえるでしょう。

 電装品を最新のVVVFに交換するなど、更新工事を行えばまだまだ使い続けることができたのです。

 しかし、東急電鉄が出した答えは異なりました。

 東横線に大量の5050系が増備して送り込み、余剰となった9000系大井町線に配転させるとともに、8090系はお役御免として廃車にする選択をしたのです。

 1980年代始めに製造されてから20年と少ししか経っていなく、池上線と多摩川線で運用されている7700系が40年以上の車齢を重ねても活躍し続けていることと比べても、車齢も若くまだまだ活用の余地があったといっても過言ではないでしょう。しかし、界磁チョッパ制御で回生ブレーキが使えるといっても、最新のVVVFインバーター制御と軽量ステンレス構造、そしてボルスタレス台車という組み合わせの前には、省エネ性能では一歩譲るといった具合になるので、少子高齢化を見据えて可能な限り運用コストを抑えたい思惑と、傘下に車両製造を手掛ける子会社をもつがゆえに新車を発注し続けなければならないという宿命、さらには前面非貫通で地下線では使えず、20m級の大型車体なので池上線や多摩川線への転用も効かず、8090系は早期に淘汰しなければならない対象だったのかもしれません。

 こうして、8090系は2005年の大井町線転用時に中間車を廃車し、2009年からは9000系の転用によって用途を失い、8091Fを手始めとして廃車が始まりました。1980年に製造されてから30年にも満たない29年での廃車は、東急電鉄の車両としては異例の若さでの廃車でした。

 こうして8090Fに続いて大井町線8090系は次々と姿を消していきました。

 東横線みなとみらい線直通運転を見据えて登場した8590系を先頭車にした8090系の中間車は、その後もしばらくは生き永らえました。地下線仕様であったことで、10両編成5本に組み替えられ、田園都市線半蔵門線の直通運用に充てられたのでした。

 それでも東武伊勢崎線への乗り入れをしない運用に限定されるなど、制約が多かったことと、最新鋭の2020系の増備が始まったことで早期に淘汰の対象になり、2019年に運用を離脱して廃車。ついに、8090系は廃系列となってしまったのでした。

 その一方で、車体構造が劣化しにくいステンレス鋼でつくられ、しかも界磁チョッパ制御といえども省エネ性に優れ、しかも車齢も比較的若いた車両たちを、そのまま黙って見逃さない鉄道事業者がいました。

 地方の私鉄にとって、東急電鉄で御役御免になった車両ほど、魅力的な中古車はありません。

 8090系大井町線から退くと、埼玉県の秩父鉄道へ譲渡されました。もちろんすべてではありませんが、一部は改造を受けて第二の仕事場を得たのです。さらに、2019年に廃車になった8590系も、遠く北陸の地にある富山地方鉄道に引き取られ、第二の活躍をはじめました。

 

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大井町線を退いた8090系は、大井町方の先頭車だったクハ8090を制御電動車かした上で3両編成に組み直され、秩父鉄道へ譲渡された。秩父鉄道では7500系と改称し、国鉄101系の譲受車である1000系を置き換えた。8090系改造の7500系の導入によって、秩父鉄道では冷房化率100%を達成するに至った。また、回生ブレーキを装備していることで、省エネ製の向上にも貢献している。(7509F 三峰口駅 2014年9月13日 筆者撮影)
 

 いずれにしても、今なお一部ではあるものの、現役で活躍を続けているのは嬉しいことといえるでしょう。

 この写真を撮影した時点では、まだまだ活躍を続けるだろうと考えていたのですが、僅か5年のうちに淘汰されるなど想像もしていませんでした。言い換えれば、既にの頃は「晩年」に入っていたといえる時期で、もう少し足繁く通って記録を残しておけばよかったかと思うと悔やまれてなりません。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

あわせてお読みいただきたい

 

 

 

*1:このことは、JR東日本も同様のことがいえると考えられる。自社に車両製造部門である新津車両製作所を抱え、後に東急車輛を吸収合併して総合車両製作所を傘下にもつ以上、同社に車両製造を続けさせるためには、親会社であるJR東日本が新車の発注をし続けなければならない。そのために、新車で導入しても国鉄時代のように長く使い続けることができず、耐用年数が必要最低限であり、製造コストも低く抑えた構造の車両とならざるを得ず、結果として209系を始祖とする車両が大量につくられているといえる。