旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

前歴は寝台特急、余剰で転用された「食パン電車」【5】

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《前回のつづきから》

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 こうして、かつては昼夜兼行の特急形電車として重宝され、文字通り全国各地で都市間を結ぶ特急列車という花形仕業で栄光の活躍をした581・583系を改造して誕生した419・715系は、かつての栄光ある実績とは程遠い、地味な地域輸送に徹することになります。

 1985年と翌1986年のダイヤ改正で順次、計画された通りに419系は金沢所に、715系0番代は南福岡区へ、そして715系1000番代は仙台所に配置され、他の近郊形電車とともにローカル列車の運用に就いていきました。

 しかし、近郊形に改造されたとはいえ、出自が特急形であることに加えて、急行形改造の413系や717系のように、車体そのものを近郊形仕様にものに載せ替えたのではなく、種車の構体をそのまま活用する形での改造だったため、様々な面で不利になってしまいました。

 その一つが乗降用扉といえるでしょう。そもそも近郊形は、通勤形に近い収容力と乗客の乗降能力をもたせた仕様で、基本的には幅1,300mm両開き扉で、片側3箇所または2箇所とされました。扉の幅は特にラッシュ時の乗降時間に大きな影響を及ぼすもので、幅が広ければ広いほど、多くの乗客を乗り降りさせることができます。急行形は幅1,000mmの片開き扉を備えていましたが、それでも1,300mm両開き扉に比べると乗降時間が伸びてしまいました。そのような実態の中に、幅700mm折戸という急行形よりもさらに300mmも狭い扉では、ラッシュ時間帯に多くの乗客を短い時間で乗り降りさせるのはほぼ不可能で、結果として列車の遅延を頻発させる元凶ともなってしまいました。

 こうした快適性よりも収容力を優先させる車両への改造であるにもかかわらず、不適切ともいえる700mm折戸を採用した理由はいくつか考えられます。

 1つには、台枠強度の問題だといえます。581・583系は登場以来、昼夜兼行として休むまもなく高速で、長距離を走り続けてきました。昼間だけ運用されていた485系などとは異なり、累積走行距離は比べ物にならないくらいに伸びていました。そうなると、車両自体の老朽化も進み方が早くなり、台枠強度も製造時と比べると劣化しているといえるでしょう。そのような状態の台枠に、切込みを入れて近郊形と同じサイズの扉を増設すれば、大和区強度を保てなくなるのでした。

 また、419・715系が投入された線区は、首都圏などの大都市圏とは異なり、ホームの高さが低い「汽車形」が多くありました。また、交直流電車は直流電車と比べて床面高さが高くなるため、扉部分にはステップを設けるのが一般的でした。しかし、このステップを設けるためには少なくとも引き戸の場合は扉幅の2倍は必要となり、台枠も改造しなければなりません。幅1,300mm両開き扉を増設する場合、ステップ部と戸袋部を含めて、単純計算で2,600mm(実際には機器類や機械類を含めると3,000mmほど)も台枠を加工しなければならず、老朽化が進んで強度が落ちている581・583系の台枠に対して大規模な改造は適切ではないといえるのです。

 さらにいえば、例え幅1,300mm両開き戸を設置し、台枠の強度も保たせるための大規模な改造を厭わなかったとしても、大きな問題が立ちはだかります。

 それは、改造コストが高くなってしまうことです。

 これは、国鉄にとっては非常に頭の痛い問題で、すでに財政破綻に近い状態で巨額の債務がある身にとっては、いくら必要だからとはいっても、それほど長くは使われないであろう車両にコストをかけることはできません。よしんばコストをかけて改造をしたとしても、結局長く使われることはないので、資金の無駄遣いだと会計検査院から指摘され、さらに国民からも避難を浴びるのは目に見えていました。

 国鉄は可能な限り低コストで、必要な車両を必要な数だけ揃えることを優先させることにし、扉幅を大きく取るような大規模な改造は施さないことにしたのです。そのため、扉の幅は種車が元から備えるものと同じ700mmとし、折戸を採用することによって台枠の改造も最小限に抑えました。

 しかし、このことが近郊形としての運用では裏目に出て、ラッシュ時に乗客の乗降に時間がかかり、ひいては列車の遅延を発生させてしまいダイヤを乱す原因となってしまったのでした。

 また、客室内の収容力や居住性の点でも大きな課題を残しました。

 客用扉と同様に、改造は可能な限りコストをかけず、最小限の内容にしたため、座席はプルマン式寝台を昼行特急で使われた時と同じ「座席モード」のまま、不用意に寝台にできないように固定化しました。また、中段と上段の寝台は撤去せず、収納された状態のままビスで固定するという非常に簡易な方法がとられたのです。そのため、座席上部には寝台を収納した舟形の「寝台舟」がそのままにしたのです。

 

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クハネ581を改造したクハ715の車内。寝台車時代の構造をほぼそのままに、乗降用扉の増設やその周辺にロングシートを設置したことで、近郊形電車としての体裁を整えたものの、ボックスシートやその上部にある上・中段寝台の収納部はボルトなどで固定されただけなので、圧迫感があり車内も薄暗い。改造費用を極限まで切り詰めた産物といえるが、既に財政破綻したといっても過言ではない国鉄にとっては、これが精一杯だったのかも知れない。しかし、当初の見込みとは異なり、分割民営化後も新会社の貴重な戦力として、改造後20年近くも運用されたことには少々驚くばかりだった。(クハ715-8 九州鉄道記念館 2007年10月 筆者撮影)

 

 これは乗客にとって圧迫感を与えるだけでなく、客室窓が寝台を使うことを考慮した天地方向に狭い、細長い長方形の窓であったことも手伝って、車内は狭く薄暗いものになってしまいました。また、寝台で使うことを考慮した座席だったため、座面の面積は広くシートピッチも大きいため、一般の近郊形電車に比べると座り心地もよくかったものの、これが却って仇になり、ドア間の座席はボックスシート3組とされたことで、着席定員は同じ2扉の近郊形である413系などと比べても少なくなってしまいました。

 加えて、581・583系時代から搭載していたAU14は、非常に小型で冷房能力がひくかったため、それを補うための床置き式であるAU41が設置されていました。このAU41を装備したままにしたため、客室内はただでさえ圧迫感があり狭い印象をあたえるのが、この巨大なAU41のが客室内に鎮座間していることで、客室内の実面積は抑えられてしまい、結果的に収容力も他の近郊形よりも少なくなってしまいました。

 さらに、走行性能にも難がありました。

 

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同じ格下げによる車両でも、北陸地区に投入されたクハ455は扉幅1000mm片側2か所と、急行形の体裁を保ったままだった。とはいっても、写真のクハ455 700番代は、近郊形改造によって登場した413系と組むことを前提に、サハ455を先頭車化改造されたもの。413系が車体を載せ換えて1300mm両開き戸に対して、クハ455 700番代は種車と同じ扉配置だったので、いささかの疑問はあるが、扉幅が419・715系とは異なり広かったことで、なんとかラッシュ時の混雑にも対応できたといえる。走行性能は419・715系と比べると僅かに高かった。(クハ455-701〔金サワ〕 富山駅 2013年8月 筆者撮影)

 

 同じ格下げ改造によって誕生した413・717系は、最高運転速度は110km/hであったのに対し、419・715系は100km/hに留まってしまいました。これは、種車である581・583系は120km/hであったものを、歯車比を変えて加速度を高めたことのバーターとして、最高運転速度が低下してしまったことによるものです。しかし、419・715系を単独で運用するのであれば問題にはなりませんでしたが、実際には不足する近郊形電車の補充としての投入だったため、他の車両と同じ線路を走ることになります。しかし、この走行性能の悪さが、他の近郊形電車と共通運用を組むことを阻害したため、手間のかかる別運用を組まざるを得なかったのでした。

 このように、急場ごしらえともいえる改造であったため、特にラッシュ時の使い勝手の悪さはどうしようもないほどだったので、現場からはあまり好ましい存在とはいえなかったのです。

 もっとも、国鉄もそれほど長く使うことは想定していなかったようで、1両当たりの改造費用を極限まで切り詰め(といっても1000万円程度でしたが)、全般検査を2回、8年ほど使えれば改造費用も回収できるので、その程度でよいと考えられていたといわれています。

 

《次回へつづく》

 

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