旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 平成になって「復活」した「焼きタラコ色」の悲しき姿

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 その昔、国鉄気動車の塗装が、朱色4号とクリーム4号の二色塗りだったいわゆる「一般形気動車色」から朱色5号一色の「首都圏色」へと変えられました。塗装工程の省力化と、二色塗りによる塗料の調達コストの軽減を狙っての施策でした。

 全検などで再塗装された直後はそれなりに鮮やかな色味を見せていましたが、やがて月日がたつにつれて色褪せが激しくなると、ただでさえ一色塗りで面白みが欠けてしまって「タラコ色」などと呼ばれていたのが、白みがかったことで「焼きタラコ」とか「元気のないタラコ色」などと呼ばれてしまいました。

 確かに、国鉄の末期は車両洗浄すらままならない状態であったのに加えて、朱色5号の特性なのか色褪せがしやすくどうしようもない姿になった気動車たちが、全国で溢れかえっていました。

 時は経ち、平成もそろそろ終わりに差し掛かった頃、塗装工程の省力化と塗料のコスト軽減という、国鉄末期と同じ理由でJR西日本は様々な車両の「一色化」を進めました。

 例えば広島支社の場合は、それまでクリーム1号の地色に青20号の帯を側窓下に巻いた「瀬戸内色」から、民営化後には「カフェオレ色」と呼ばれる独自性の強いカラーになりましたが、やがて黄5号に近い濃黄色一色に塗り替えられてしまい、国鉄末期同様の施策を比喩して「末期色」などと呼ばれています。

 一方、気動車については地域別の一色塗りではなく、JR西日本保有する普通鋼製の気動車はすべて朱5号一色に戻されてしまいました。

 国鉄形であるキハ40系は、先祖返りともいえる登場時の塗装に戻されたともいえますが、民営化後に登場したキハ120の普通鋼製車もまた、この朱5号一色に塗り替えられてしまいました。

 

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 とはいえ、「歴史は繰り返す」とでも言うのでしょう、工場を出場する際にはそれなりに鮮やかな朱色だったものが、月日が経つにつれて朱5号の「色褪せしやすい」特性はいかんともしがたく、写真のようにかなり色褪せが進んでしまった車両は、往年の「焼きタラコ」と同じようになってしまいます。

 写真のキハ47は国鉄時代に撮影したものではなく、2018年8月に高岡駅で撮影したもの。カラーではなく白黒写真だったら、国鉄時代といっても不思議でないほどに色褪せが進んでいます。JR西日本気動車は、それまで地域色だったものが朱5号に塗り替えられてしばらく経つと、このような白い汚れでもついたかのように激しい色褪せで見る目も覆いたくなるような有様で、次位に連結されている鮮やかな朱色のキハ47とは雲泥の差があるのがわかります。

 しかもこのキハ47の塗装の悲しいところは、ただ色褪せて白っぽくなっているだけでなく、風雨に晒されて窓の端から水が滴り落ち続けてできた水垢が黒くなり、微妙な縞模様を作っていることや、飛び散る制輪子が車体に付着したのでしょうか、錆のような色が付いているのも気になります。

 あまりにも酷い姿に閉口させられましたが、これでも営業運転に就いていることにもっと驚かされたものです。

 経費削減はいまの鉄道事業者にとっては欠かすことはできませんが、せめて過去の実績から考えて、色褪せしにくい他の色を選んでもらいたかったと考えるのは筆者だけでしょうか。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#キハ40系 #国鉄形車両 #JR西日本 #首都圏色 #北陸本線