旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

学校の児童生徒だけが乗る「専用列車」 思い出とともに走った修学旅行用電車たち【3】

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《前回からのつづき》

 

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 155系の特徴といえば、なんといっても修学旅行という特定された利用者と、その旅行形態に合わせた車内設備といえるでしょう。一般の旅客輸送とは異なり、製造費用は修学旅行で乗車する生徒の学校関係者の利用歳による負担であったこと、そして大人とは体格も異なる生徒が主体であることから、これに合わせた設計となりました。

 国鉄の設計陣もまた、多くの生徒が利用しやすく、そして一生の思い出に残るようにと、関係者だけでなく生徒からの意見も最大限に取り入れて、客室設備の設計にあたったと言われています。国鉄設計陣の技術者もまた、我が子がこの車両に乗って修学旅行に出かけることになる年齢に達した子どもがいる世代であったこともあって、他人事ではなく我が事のようにその作業に携わったとも言われているのです。

 座席は通常の1区画4人がけ、1個あたり2人が座れる固定クロスシートではなく、山側は3人がけの固定クロスシートにして、1区画に4人がけと6人がけとしたことが最大の特徴でしょう。通常の座席であれば大人が2人座る大きさを備えていますが、中学生はそこまで体格が大きいわけではないので、1人あたりの専有幅をある程度狭めるという割り切った設計にすることで、可能な限り着席定員を増やしました。

 具体的には、基本となった153系の座席幅は1,095mmの2人掛けであるのに対し、155系では2人掛けでは幅925mm、3人掛けでは1,355mmとしました。こうした特異な設計によって、着席定員が中間電動車であるモハ154、モハ155で104人、クハ155でも94人を確保することができました。

 こうした座席配置となったため、座席間の通路も153系では540mmであるのに対し、155系では450mmとなりました。やはり、一般旅客ではなく修学旅行の中高生の体格に合わせたことや、乗車駅から降車駅まで客扱がないことを前提とした列車であることなどから、思い切った設計を実現できたのでした。

 このような特異な車内設備となったため、荷物を積み込むための網棚にも趣向を凝らしました。通常の準急形・急行形車両では、窓上のレール方向に連なる網棚が設置されます。しかし、155系では座席定員が増えたことで、この形態の網棚では生徒の荷物をすべて乗せることが難しくなることが予想されました。そこで、座席の真上に、枕木方向に個別の網棚を設置してこれに対応することにしました。つまり、座席1ユニットごとに、真上に網棚がある形態になったのです。こうすることで、座席定員に合わせた網棚を確保することができ、帰路にはお土産をたくさん詰めた鞄も、優に網棚に乗せることができたといえます。

 このような座席と網棚となったことで、車内の照明についても一般の車両とは異なり、座席の区画ごとの枕木方向に20Wの蛍光灯を設置しました。通常の照明は、レール方向に40Wの蛍光灯を連ねていますが、座席上の網棚があり、そこに荷物を載せてしまうと照明が行き届かなくなって薄暗くなるため、こうした設計としたのでした。

 155系は集約臨として運行することが前提であるため、乗降用扉は153系の1000mmであるのに対し、特急形と同じ700mmと幅が狭くなりました。これも、発駅から着駅までほとんど客扱いをしない、ともすると特急列車以上に停車駅がないため、このような狭幅の扉になりました。

 

修学旅行列車用に設計された155系は、153系をベースに設計された。そのため、主電動機などの電装品はほぼ同じで、性能も同一であった一方で、乗降用扉は700mmに狭められ、車内も通常の2+2ではなく3+2のアブレストになるなど、専用の設備を備えていた。(パブリックドメイン

 

 扉が狭くなった分、デッキには153系にはないスペースをつくることができました。ここには、乗車する生徒の利便性を考慮した設備などが設けられます。前位側デッキには、乗車中の生徒が水分補給を容易にできるように、大きな飲料水タンクを2個設置しました。また、長時間の乗車が想定されるため、車内で食事をとったり、あるいは菓子を食べたりすることも考えられました。その際に出る大量のゴミを捨てることができる、大きなゴミ箱もデッキに設置されました。

 後位側デッキにも、153系にはない設備が設けられました。トイレは153系と同じ和式のものが1箇所設置されましたが、155系は乗降用扉が狭められた分だけ、トイレも広めのスペースをとることができました。また、多くの生徒が乗るので、デッキに面したところに2個の洗面所を設け、その後ろには男子用便所も設置するなど、様々な面で利用者となる生徒に配慮した設備が設けられました。

 客室内には一般用の車両にはない、電池式のクオーツ時計も設置されました。学習活動の一環としての旅行になるため、おそらくは教職員関係者からの要望があったのでしょう。こうした細かいところにも、他の車両にはない配慮がなされたといえます。

 そして、制御車であるクハ155には、車内に速度計も設置されました。これは、設計に際して関係者からの要望で設置されたのではなく、この車両に乗る生徒に列車の旅をの楽しんでもらいたいと、製造メーカーである日立製作所がサービスで設置したのでした。そのため、速度計にはメーカーである日立のロゴも入れられていました。こうしたことも、修学旅行用という車両の特殊性から、設計製造に携わった人たちの思いというのが感じられることでしょう。

 このように、多分に特別な設備を盛り込みながらも、限られた予算で開発製造するというのは至難の業だったといえます。しかし、乗客は一般の人ではなく、修学旅行に出かける生徒であることから、携わった人々の熱意が感じられるものとなったといえます。実際、155系が竣工して展示会が催され、教育関係者や生徒の保護者が視察した際には、その完成度の高さに高評価を得て、1959年に全24両が出揃い、12両は田町電車区に、残り12両は宮原電車区に配置されて、田町配置車は品川−京都間を「ひので」として、宮原配置車は明石−品川を「きぼう」として運転が開始されました。

 その後、集約臨を中心に活躍しましたが、それ以外では波動用として運用されました。波動用としては、臨時急行列車を中心に充てられましたが、車内設備は前述のようにかなり特殊であったため、全車座席指定にするなどの措置を取っての運用でした。

 1971年に新幹線の修学旅行割引制度が創設されると、修学旅行としての鉄道利用はそちらに転移していきました。1972年4月の運転を最後に「わかば」が廃止となると、1959年から13年間に渡り、多くの修学旅行生の輸送実績を残してその役を終えました。

 その後は波動輸送用として運用されることになり、設計製造時に設置された数多くの修学旅行用に特化した設備はすべて撤去され、153系と同等の接客設備に改められました。塗装も、朱色3号(ライトスカーレット)と黄1号(レモンイエロー)の2色塗りである「修学旅行色」から、153系と同じ湘南色に塗り替えられました。

 波動輸送用の予備車となった155系は、多客期の臨時列車を中心に充てられ、時には153系と併結されて運用する姿も見られました。また、かつての品川−京都、品川−明石間のような長距離ではないものの、神奈川県から日光方面へ向かう中距離の集約臨に充てられるなど、製造時本来の役割である修学旅行の用途にも充てられ、乗客は中高生から小学生へと変わったものの、後継となる167系に譲るまでその任を果たしました。

 一方、153系は冷房化改造工事を受けて接客サービスを向上させましたが、155系は計画はあったものの冷房化はされませんでした。そのため、117系185系といった車両の新製とともに玉突きで用途を失い、1980年から廃車が始まり、新製から25年が経った1984年に全車が廃車、系列消滅しました。

 

《次回へつづく》

 

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