旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 子どもの頃から鉄道が好きな筆者は、鉄道模型にも憧れを抱いていました。なにしろ、駅や線路際まで行かなければ見ることのできない鉄道車両が小さくなって、手許のテーブルや座敷の上で走る姿を想像するだけでわくわくし、あの機関車やこんな客車を走らせてみたいと思ったものです。

 しかし、ブルートレインや新幹線は、15両編成や16両編成と非常に長大なので、それを走っている姿は壮観そのものだといえますが、現実にそのような長い列車を自宅では知らせることなど困難でした。

 例えば、寝台特急はやぶさ」の15両編成を鉄道模型で実現させようとすると、1/150サイズのNゲージであれば、客車1両あたりは140mmになり、それを15両つなげると2100mmになってしまいます。団地間と呼ばれる畳のサイズであれば、長手方向に1,700mmにもなるので、1畳半ほどの広さが必要になってしまいます。そんな広さを求めるとなると、もはや実家では実現不可能なので、諦めざるを得ませんでした。

 そこで幼い筆者は、それならばと2両〜3両編成で走る車両を求めるようになります。

 しかし、1980年代にこうした短い編成を組むことができる車両となると、製品化されているものはごく限られたものになってしまいました。キハ20系103系などがその代表で、それで満足するしかなかったのです。

 こうした背景もあり、筆者は花形ともいえるブルートレインや新幹線のような車両よりも、山間部を走る気動車や、地方私鉄の古い車両、大手私鉄の支線区を走る車両に興味を抱いたのでした。

 その中でも、子どもだった頃の筆者の心を鷲掴みにした車両の一つが、東武6050系だったのです。

 大手私鉄である東武鉄道が製造運用し、都心に近い浅草から観光地として名高い日光・鬼怒川を結び、しかもその最小運用単位は2両編成。加えて2ドアセミクロスシートは、きっと接客設備も(それがボックスシートだったとしても)その辺を走っているロングシートの通勤形電車よりも立派なものに違いないと思っていたのです。

 東武6050系を初めてみたのは、中学生の頃に家族で行った鬼怒川温泉のホテルの窓からでした。当時の鬼怒川温泉は首都圏の保養地として賑わっていて、夏休みシーズンになると多くの観光客で賑わっていました。

 もっとも、筆者の家庭は祖父母もいる大家族だったので、鉄道を利用して出かけることは皆無で、父が運転する自家用車での移動があたりまえでした。筆者としては、できれば鉄道に乗って行きたいところでしたが、連れて行ってもらえるだけありがたいことだったので、そんな贅沢は言えません。

 しかし、ホテルの窓から見ることのできた6050系は、都心ではあまりお目にかかることのできない2両編成や4両編成という短さで、しかも、山間部という線形の悪さも手伝ってか、のんびりと走っていたのはかなり衝撃的でした。

 

日本有数の観光地である日光・鬼怒川への観光輸送を担う優等列車を補完する速達列車のために、東武は2ドアセミクロスシート6000系を1964年から製造した。製造後20年が経つ1980年代前半に、冷房化などの課題を抱えていたため、主要機器を再利用して更新改造して登場させたのが6050系だった。当時、通勤車として増備が続いていた8000系のデザインを踏襲しつつ、種別幕、方向幕を前面窓上に設置したため、印象が異なっていた。(©Ehcr32kai, Public domain, 出典:Wikimedia Commons)

 

 東武6050系は、それまで快速用として運用されていた6000系を置き換えるために、1985年に登場した車両でした。1985年といえば茨城県の筑波で、「万国科学博覧会(通称:筑波科学博)が開催された年でした。この頃の鉄道は国鉄私鉄を問わず、車両の入れ替わりが激しい時期だったと記憶しており、老朽化などで引退していく車両もあれば、新たに製造されて登場する車両もありました。

 6050系東武の新しい顔として登場しましたが、東武ならではの事情があってのことでした。

 それまで、東武は快速用として6000系を運用していました。2ドア・セミクロスシートで、中距離用としては十分な設備をもつ車両でしたが、一つだけ難点を抱えていました。それは、冷房を搭載していないということで、観光輸送用としては陳腐化が否めないものだったのです。

 私鉄は国鉄と異なり、コストに対して非常に敏感で厳しい意識をもっていました。民間企業であるがゆえに、すべてを自社や関連企業の営業収入によって経営しなければならず、新たな車両が必要になっても、その車両を新製することによる費用対効果や運用コストについて精査されることが常です。

 東武6000系を冷房化改造することを検討したといわれています。その検討は民間企業としてはあたり前のことで、改造であれば新製と比べて低予算で済みます。車両そのものが老朽化によって、今後長く運用することに耐えられないと判断されたり、新製するよりも改造するほうが費用が高くなると判断されたりすれば、新製に踏み切ります。しかし、多くの場合は改造によって賄われることがほとんどでした。

 加えて東武鉄道が抱える事情もありました。東武鉄道は関東の大手私鉄では西武鉄道と並んで広大な路線網を維持しています。伊勢崎線東上線という二つの「本線」を軸に、それらから伸びる支線をいくつも抱えているので、自ずと必要となる車両数も多くなります。中には収益が低かったり、赤字だったりする路線もあるので、そうそう簡単に新車を導入するというわけにはいきません。また、当時は今日のようにICT技術をふんだんに使って省力化をするということが皆無だったので、当然、多くの人員を必要としていました。鉄道は『労働集約産業』と言われるように、運用するためには多くの人員によって、一つのシステムとして成り立っています。それが赤字同然の支線であっても、軌道や電気設備の維持管理、車両の検修など見えないところで多くの人が携わっているのです。

 そうした事情もあって、東武6000系を冷房改造を考えたのは当然と言えます。

 

《次回へつづく》

 

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