旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

『鬼の居ぬ間』ならぬ『娘の居ぬ間』に

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 昔から「鬼の居ぬ間の洗濯」とはよく言ったものです。恐れる人が居ない間に事を成してしまおうという、ある意味、先人の知恵といったところでしょうか。若い頃は、恐れる先輩が目を離した隙に、物事を進めてしまっては、あとでお目玉を頂戴する羽目にもなったものでした。

 さて、今日から娘は1泊2日の「お泊まり保育」へ出かけました。

 5歳児が小学校高学年もビックリ、まるでランドセル以上の重さもあるリュックを背負い、南武線青梅線を乗り継いで奥多摩まで出かけていきました。

筆者が小学校の頃に、祖父や亡き父に連れて行ってもらった奥多摩1984年当時は奥多摩工業が産出する石灰石輸送が盛んだった。旧形電機が牽く石灰石列車は、南武線青梅線の「名物」で、分割民営化後もJR貨物によって運行されていた。今では旅客線以外の線路は撤去されて更地になっている。写真右側には生石灰輸送用の密閉コンテナを積んだチキ80000の姿が見える。この写真を撮影してから約40年後に、我が娘がこの駅に降り立つとは想像もしていなかった(奥多摩駅 1984年8月16日 筆者撮影)

 

 台風6号の接近と、南の海上に発生した台風7号の影響で、日本列島の上空の大気は非常に不安定で、大雨などの心配もありましたが、まあ、そこは何とかなると思います。それ以上に、「かわいい子には旅をさせよ」といわれるように、我が娘も「旅」に出して、成長してほしいものです。

 娘が生まれてからこの方、我が家は娘中心に動いていました。それは筆者にとって当たり前のことなのですが、そうはいってもこと食べ物に関しては、やはり気を遣うものです。

 そして、娘が居ないからこそ、久しぶりに食べようと思い立ったのが、

 

 ラーメン

 

 でした。

 ラーメンなんて、子どもが居ても食べれるじゃないと思われるかもしれません。確かにその通りですが、筆者が食べたかったのは、横浜家系ラーメンだったのです。

 そんなわけで、今日は娘が生まれる前によく妻と行ったラーメン店へ行ってきました。

 もう、6年ぶりになるラーメン店は、コロナ禍を乗り越えて盛況でした。

 ただ、やはり6年も経つと、店内の様子もガラッと様変わり。そして、以前はテーブルに置かれていた刻みニンニクや、辛味噌などのトッピングは、なんと店内に設けられたコーナーに置かれていました。

 もっとも、テーブルに置いておけば取りに行く手間も省けるのですが、この間に、飲食業界を取り巻く環境は様々な意味で大きく変わってしまう「事件」が多発したので、仕方のないことでしょう。

 とはいえ、やはり横浜家系の豚骨醤油味は筆者の好みの味。久しぶりに来ても、店の味は変わっていなかったのが、ちょっとした感動でした。

 

 さて、筆者は明日から出張で、大阪市天王寺に出かける予定です。

 朝6時30分の発の「のぞみ」に乗って、ほぼ1日、研究協議漬けになります。

 もちろん、せっかく大阪まで出張るのですから、明後日は久しぶりに鉄活に勤しむつもりです。なかなか行くことのできない関西なので、今回は数を減らしつつあるコルゲート板のステンレス車体をもつ南海6000系などを狙うつもりです。

 その成果は。後日ブログにてご報告する予定なので、お楽しみに。