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今日の鉄道貨物輸送の主役は、コンテナ貨物であることは誰もが認めるところでしょう。国鉄の貨物輸送を継承したJR貨物は、コンテナによる輸送を原則と定めました。これは、従来の車扱輸送は貨車1両単位となり、小ロットの輸送に不向きであること、貨物の引受と引渡には駅に接続した専用線など、特殊な設備が必要になることなど、効率とコストの面で不利になり、ただでさえ経営基盤が脆弱な環境の中では、できるだけコンテナ輸送への転換を進めることにしました。
その一方で、1987年の会社発足時には、車扱輸送も数多く残っていました。とはいえ、従来あった操車場を経由して何度も貨車の付け替えをするのではなく、一度に大量の貨物を輸送する拠点間輸送に適した列車に限られていました。
粒体輸送用のタンク車の一例であるタキ1900。セメント専用のタンク車として、1964年から1981年という長期に渡って製造された車両で、1729両もつくられた「ベストセラー」の一つといえる。かつてはこのように、様々な物が鉄道によって運ばれていたが、拠点間輸送に適した輸送が分割民営化後も残った。2023年現在、鉄道によるセメント輸送はこのタキ1900を使用した貨物列車が、三岐鉄道三岐線・東藤原駅から関西本線四日市駅まで運行されている。(タキ81913 四日市駅 2013年8月1日 筆者撮影)
例えば、セメントの原料となる石灰石や酪農の飼料になるトウモロコシといった穀物類が挙げられます。前者は国鉄時代からかなりの量を輸送しており、青梅線奥多摩駅に隣接した奥多摩工業が産出した石灰石を、ホキ9500などのホッパ車で青梅線、南武線を経由して浜川崎まで輸送していました。後者は全農が保有したホキ8300で、石巻港で陸揚げされた輸入穀物を東北本線二枚橋駅まで運び、東北地方の酪農家の貴重な飼料として利用されていました。
このように、分割民営化直後は車扱輸送も数多く残っていましたが、JR貨物はコンテナ化の推進を粘り強く続け、1998年までにはその多くが車両や荷役設備の老朽化、輸送コストの削減と効率化などにより廃止されていきました。
しかし、コンテナへの転換どころか、トラック輸送への転換ができないものも存在し、その結果、2020年代に入っても車扱輸送が全盛の貨物があります。それは、ガソリンを始めとする石油製品でした。
石油製品は、産油国からタンカーによって運ばれてきた原油を、陸揚げする港に隣接した製油所に運び込まれます。そして、その原油は製油所で精製し、ガソリンや軽油、灯油、液化石油ガス(LPG、いわゆるプロパン)といった私たちの生活などに欠かせない石油製品から、ジェット燃料油や潤滑油、さらにはアスファルトが製造されます。
この製油所でつくられる製品の中で、もっとも需要が高いのはガソリン、軽油、灯油といえるでしょう。これらは、自動車の燃料として、また冬季の暖房用燃料として使われるので、製油所近郊だけでなく日本全国、人が生活し活動するあらゆる場所で需要があります。そして消費者は燃料が必要になると、ガソリンスタンドなどの小売店で購入しますが、製油所からガソリンスタンドなどへはタンクローリーで運ばれることがほとんどと言えます。
しかし、製油所からガソリンスタンドへの輸送距離が極端に長かったり、あるいは内陸部の人口密集地で需要が多い場合、タンクローリーでの輸送では間に合わないといったことが考えられます。特に首都圏のような大都市圏で、製油所から離れた内陸部では、タンクローリーの限られた輸送量では追いつかず、これだけで需要を満たそうとすると24時間、ひっきりなしにタンクローリーを走らせなければなりません。
これは、タンクローリーに積むことができる石油製品の上限が、保冷で定められていることに起因します。というのも、タンクローリーは消防法では危険物とされ、しかも車両ではあるものの「移動タンク所蔵所」と定義されているので、積載量も最大で30,000リットル以下と定められています。
30,000リットルと一言でいうと相当多い量にも思えますが、ガソリンスタンドに備えられているタンク1基につき10,000リットルなので、これが3基分を満たす量しか運べません。加えて道路運送車両法の規程では、最大量を運ぶことが可能なトレーラー形式のタンクローリーでも、車両総重量は36トンと制限されていることや、全長や全幅など車両寸法の規制から消防法の上限である30,000リットルを運ぶことができるタンクローリーは2011年ごろまで製造されませんでした。30,000リットルを運ぶことは可能なタンクローリーがあったとしても、1台のタンクローリーでガソリンスタンド1か所を満たすのがやっとなので、大都市圏のようにガソリンスタンドが数多くある場合、これを満たす分だけの車を走らせなければならず、港湾部から離れた内陸部への輸送となると、相当数の車とそれを走らせるドライバーを確保しなければならないのです。
秋の新鶴見信号場を発車する、タキ43000形を主体にした専用貨物列車。列車を牽く機関車はEF210に変わり、かつてこの地には首都圏最大の新鶴見操車場があったが、その姿も大きく変わっている。しかし、国鉄時代から脈々と続けられてきた石油専用貨物列車は法令による規制もあって、今日も変わらず続けられている。(新鶴見信号場 2013年10月 筆者撮影)
そこで、大量輸送にもっとも向いている輸送方法として、鉄道による石油製品の輸送が国鉄時代から続けられていました。鉄道の場合、タンクローリーではなくタンク車に積み込むことになります。製油所に引き込まれた専用線に直接タンク車を収容し、そこで精製された石油製品を積み込み、内陸部に設置された石油貯蔵基地へと運びます。こうすれば、タンクローリーの走行距離も短くなり、大量の数の車を用意する必要もなく、ドライバーもある程度揃えれば済みます。輸送コストも抑えることができるので、小売価格も安定させることが可能です。
《次回へつづく》
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