旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

さらば客車改造気動車 異端の成功車とその軌跡【5】

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《前回からのつづき》

 

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 2012年の札沼線電化開業と、それによる電車への置き換えにより多くの車両が運用を失い、廃車あるいは海外へ譲渡されていったキハ141系ですが、国内の鉄道事業者に譲渡された車両もありました。

 譲渡先はJR東日本で、中古車両のJR旅客会社間での譲受はあまり例のないものでした。*1これは、2011年3月11日に発生した東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた東北地方に、観光列車を運行することで観光客を呼び戻し、復興を支援しようとする取り組みを行うため、盛岡市内で静態保存されていたC58形蒸気機関車239号機を動態復元して走らせようとするものでした。

 しかし、運行を予定している釜石線陸中大橋−足ケ瀬間にある急勾配を、C58単機で客車を引いて登坂することが難しい*2ことや、蒸機は一方向運転が基本であり、終端駅では転車台が必要な施設ですが、花巻駅には転車台がなく復路は蒸機は後進運転とならざるを得ないため、これらの課題を解決するため「客車」としてJR北海道で余剰となったキハ141系4両を導入したのでした。

 JR東日本JR北海道から譲受したキハ141系は、キハ142とキハ143がそれぞれ1両と、キサハ144を2両の計4両でした。そして、JR東日本はこれら4両の気動車を、観光列車にふさわしいものへと、外装・内装ともに大きく改造した上で、700番代に改番*3しました。

 キハ141系700番代は、花巻出身の作家である宮沢賢治が書いた「銀河鉄道の夜」をイメーするデザインとされました。外装は青をベースとしたものとし、内装も「銀河鉄道の夜」と東北をイメージして、木目調の壁面や床、南部鉄器風の網棚、そして室内灯もガス燈風にするなど大掛かりな改装が施されました。加えて座席は、札沼線時代のアブレストである2+1から2+2へと変えられ、固定ボックスシートではあるもののフレーム木目調で、モケットもブラウン系のものが採用されるなど、レトロ調のデザインとなりました。

 また、中間に連結されるキサハ144には、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフにしたギャラリースペースや、車内限定品や飲食販売の売店が設置されたことで、乗降用扉が埋め込まれるなど外観にも大きな変化を与えました。

 このように、キハ141系700番代は通勤輸送を主体とした車両から、観光列車にふさわしいものへと大きく変化しましたが、キハ142とキハ143の運転台と走行用のエンジンは残されました。これは、釜石線にある急勾配を走行する際に、C58短期では出力が不足し、よしんば単機牽引で走行しても出力を最大にするためには燃料である石炭を大量に投入して火力を上げなければならず、そうするとボイラーで燃焼した石炭の煙が大量に吹き出されてしまい、ここにあるトンネル内では運転台にその煙が入り込んでしまい、乗務する機関士らが窒息する危険性があるため、なるべく機関車の出力は抑えるために、キハ141系のエンジンでこれを防ぎながら牽引力をサポートするためでした。そのため、実際の運行時には、C58に乗務する機関士の他に、機関車の次位に連結される車両にも運転士が乗務し、客車自らが残された駆動システムを使った協調運転をするためでした。

 このように、キハ141系700番代は復活して運転されるC58の補機の役割を担い、回送列車として運転されるときには、わざわざC58を先頭に付け替えることなく、キハ142またはキハ143の運転台に運転士が乗務して運転操作をすることが可能であり、動力をもたない客車とは異なる効率のよい運行ができました。

 

SL銀河用としてJR東日本に譲渡、改造されたキハ141系。(写真:AC)

 

 キハ141系を客車として使用した「SL銀河」は多くの人を魅了し、震災で大きな傷をおた被災地に観光客を呼び寄せ、所期の目的である「観光列車を運行することで復興を支援する」ことを十二分以上に果たしたといえるでしょう。

 2012年に改造を受け、2014年から運行された「SL銀河」も、客車であるキハ141系の老朽化には如何ともしがたいものがありました。種車であるオハフ51として申請されてからすでに40年以上が経ち、そのほとんどを北海道の過酷な環境の中で走り続け、さらに大規模な改造を施されたこともあり、それは激しさを増すばかりでした。2021年11月、JR東日本は2023年春に「SL銀河」の運行を終了する旨の告知をし、2023年6月4日に定期運用を終え、同月11日の団体臨時列車での運行をもってすべての運用を終えました。11年間に渡って55,000人以上の人が釜石線を訪れ、「SL銀河」に乗車したのでした。

 

《次回へつづく》

 

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*1:

JRの旅客会社間での車両譲渡は、JR四国保有しているキハ185系の一部をJR九州に譲渡した例など数例だけである。また、機関車に至ってはJR東日本が製造したEF510 500番代を全車JR貨物に譲渡した例があるのみである。

*2:

民営化後の一時期、同線で蒸機牽引の列車を運行していた時期があったが、このときは貨物用で牽引力重視の設計だったD51(498号機)による運転だった。しかし、D級機であるD51をもってしても、この勾配を登坂することが難しかった。

*3:

国鉄時代を通じて、ジョイフルトレインなど特殊な仕様に改造された車両の多くは700番代を名乗っていた。(例:サロンエクスプレス東京(南シナ→東シナ)・14系700番代など)