旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

海峡下の電機の系譜【Ⅶ】 たった1両異端の改造機・ED76 550番代(1)

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8.1両だけの改造に終わったED76 550番代

8-1 余剰車を活用するということは世の常

 世の中には貧乏性であるが故に、ということが多々あると思います。かくいう筆者の場合、一つのものをやたらと長く使ったり、いまは不要でもいつかきっと役立つだろうと溜め込む癖があります。

 前者の場合、20数年前に購入したエアコンがそれで、昨年の冬に故障するまで使い続けてきましたが、なんとこれまでに三回も引っ越しした強者です。後者の場合は、あまり使われずに昨年に代替されてしまったA3対応のプリンターで、いまも処分されずに家の中で鎮座増しています。

 まあ、プリンターの場合は用途を失ったのでいずれは処分されるか、あるいは職場に持っていって活用されるかですが、いずれにしても処分は免れているのが現状です。

 国鉄時代は長年に渡って莫大な赤字に悩まされ続け、さらに民営化後も経営基盤が脆弱であるが故に設備投資も思うように任せないJR北海道にとって、あるものを可能な限り活用するという発想は当然だったといえます。

 青函トンネル開業後、ここを通過する列車は当初の予想を上回るほど増加を続けていたため、国鉄から継承した23両のED79では対応が難しくなっていました。旅客列車だけでなく、JR貨物が運行する貨物列車の運転も担っていたため、そのどちらもが増発されていったためにこれだけでは不足してしまったのでした。

 すでにお話ししたとおり、JR貨物は将来的にも機関車を使い続けるため、新たに50番代を新製してこれに対応しました。しかしJR北海道は旅客会社であるため、将来的には客車列車が淘汰された時に余剰になることや、そもそも青函トンネルは新幹線に転用されることが前提だったこともあって、機関車の新製は考慮しませんでした。

 加えて当時、札幌都市圏の函館本線で運転されていた普通列車は、ED76 500番代が牽く50系51形による客車列車が中心でしたが、721系を新製して電車化が進められていたので、ED76 500番代は用途を失い余剰となりつつあったのでした。

 そこで、機関車を新製はせず、青函トンネル専用機の不足を補うために、余剰となったED76 500番代を活用することが考えらたのでした。

8-2 種車となったED76 500番代という機関車

 ED76というと、今日では九州の貨物列車を牽く赤い電気機関車を思い浮かべる方が多いかと思います。かくいう筆者も、この形式名を聞くとかつて勤務した門司機関区に集う赤い車体の交流機を想起させてくれます。

 交流20,000V60Hzに対応し、冬季に客車の蒸気暖房で使う蒸気を供給するSG(蒸気発生装置)を搭載し、九州南部の軸重制限の厳しい線区へ後入れることを可能にするため軸重調整用の空気ばね式中間台車を装備した、まさに九州での運用に特化した機関車でした。

 ところが九州とは真逆、遠く北に離れた北海道にもED76が走っていました。

 いえ、厳密に言えば九州のED76とは似ても似つかない、ほとんど別物といっていいほど異なる機関車でした。しかし、様々な事情から「ED76」という形式名を与えられ、冬季の気象条件が特段に厳しい北海道での運用を前提としていたため、「500番代」に区分されていました。

 ED76 500番代は函館本線小樽駅旭川駅間の交流電化に伴って開発され、1968年から製造されました。

 制御方式は0番代と同じ無電弧低圧タップ切換でしたが、整流器などの制御機器は0番代が国鉄交流機としては標準的になっていたシリコン整流器と弱め界磁制御ではなく、サイリスタ制御を採用しました。これは、0番代が開発された頃とは異なり、交流電流の制御技術が発達したことや、何より大電流用の半導体も日進月歩の勢いで開発されたためでした。

 交流電機機関車は、架線からパンタグラフを通して交流20000Vの電流を取り入れ、それを変圧器で降圧(電圧を下げる)し、さらに電圧が低くなった交流電流を直流電流へ変換してから、台車に架装されている直流直巻電動機へと流していきます。

 このうち、交流電流を直流電流へ変換させるために、整流器と呼ばれる機器を使います。黎明期では水銀整流器を採用しましたが、これは振動に弱いなど鉄道車両に実装するにはあまりにも不向きでした。一方、半導体技術の発達により、大電流にも耐えうるダイオードが開発されたことにより、シリコン整流器が実用化されたことで、振動が常にある鉄道車両でも安定した動作ができるようになりました。

 ところがシリコン整流器もいいことづくめとはいかず、水銀整流器では電圧を連続的に制御できたため、主電動機にかけられる電圧も連続的に変化させることが可能だったために、電圧差によるショックもなく空転がおきにくいというメリットがありました。そのため、直流機では動輪軸6個に対して交流機では動輪軸4個で同等の性能という大きなメリットがあったのです。

 しかし、シリコン整流器は入力された電圧変化は、そのまま直流に変換されても同じように変化するので、水銀整流器のような連続した電圧制御ができなくなってしまいました。そのため、優れた粘着力で動輪が空転しにくいということや、交流機はD級機でも直流機のF級機に匹敵するというメリットが失われてしまいました。

 そこで、これを改善しようとED75からは磁気増幅器を用いて、これらのメリットを取り戻すことができたのです。しかし、この方式では直流機では使える発電ブレーキ回生ブレーキを使うことができません。主電動機は直流直巻電動機なので、発電ブレーキ用の抵抗器を装備すれば使えなくもありませんが、その分だけ機関車が大型化してしまい、軸重も嵩んでしまいます。

 また、低圧タップ切換による電圧制御では、電気的な接点があり、タップを切り替えるためには機械的なスイッチが必要です。この機械的なスイッチと接点による方法では、故障しやすい上に機器もかさばるという弱点を抱えていました。

 そこで、電気的な接点と機械的なスイッチをなくして、無接点化し機械的な機構をなくすために採用されたのがサイリスタでした。サイリスタ半導体ダイオードの一種で、これを主変圧器の低圧側に接続することで無接点化を実現し、同時に回生ブレーキを使うことも可能にしました。

 函館本線を電化させるにあたって、ここで使われる交流機としてこのような全サイリスタ位相制御を採用したED75 500番代を試作し、実際に走行試験などを行いました。しかし、交流電流を半導体で制御するときに起きる誘導障害のため、結局は無電弧低圧タップ切換を採用し、位相制御のみをサイリスタにした量産機として、ED76 500番代を製造したのでした。

 このように、ED76 500番代は形式こそ「ED76」を名乗っていますが、実際には九州に配置されていたED76とはまったく異なる機構をもった機関車でした。

 

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 しかし、500番代が登場した当時、既に国鉄の労使関係は悪化の一途を辿っていたため、新型機を導入するにあたって国鉄は労組と非常に難しい交渉をしなければなりませんでした*1そのため、国鉄は苦肉の策として「交流機で蒸気発生装置をもつ」という共通点だけで、ED76の派生形としてED76という形式にしたのでした。

 こうして登場した500番代には、冬季に客車の暖房源として蒸気発生装置を装備していました。ただし、同じ蒸気発生装置とはいっても、0番代のように温暖な地域ではなく、500番代は冬季は極寒の北海道で使われるため大容量の蒸気発生装置を装備しました。また、これに使われる燃料の灯油タンクと蒸気発生用の水タンクも大容量のものが搭載されたため、0番代と比べて車体長が長くなりF級機と同じ18,400mmとなりました。

 また、中間台車も装備していましたが、0番代は軸重制限が厳しい線区へも乗り入れることができるように調整が可能でしたが、500番代は函館本線小樽ー旭川間でのみで運用されることと、電化に際して軌道強化が行われていたため、灯油と水を消費したことによる車体重量の増減による調整のみに使われました。

 さらに北海道で使用されるため、各種機器には凍結防止用のヒーターが装備され、屋上の特別高圧機器も車内に収容されるなど、極寒地向けの耐寒耐雪仕様となりました。そして、貨物列車牽引時には重連で運転されることから、0番代にはなかった重連総括制御も装備し、前面は貫通扉も設置されて前面の意匠も0番代とは異なり、ED75と同じものでした。

 このように、ED76という形式を名乗りながらも、温暖な九州を活躍の場とした0番代とはまったく性格が異なる500番代は、函館本線の電化開業とともに岩見沢第二機関区に配置され、函館本線小樽ー札幌ー旭川間で客車列車や貨物列車で使われました。

 711系781系といった北海道専用の電車も開発・配置されましたが、1987年の分割民営化まで岩見沢第二から配置が変わることなく活躍しましたが、電車化・気動車化が進んだことや貨物列車の大幅な削減などで半数が廃車となり、16両がJR北海道に継承されたのでした。

 

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#国鉄 #JR北海道 #青函トンネル #交流電機機関車 #ED76

*1:このような事象はED76 500番代だけではなく、勾配線区用の直流機であるEF64の増備形の1000番代も同じであった。EF64 1000番代は基本機能こそ0番代と同じだったが、車体設計や機器配置などはまったく新規のもので、やはり新形式が起こされてもおかしくなかったが、新形式の導入となると労組の反対が予想されたため、1000場代とした。このような新形式の導入は旧国鉄時代末期は困難を伴い、そのことは民営化後も同様であった。特に民営化直後に新形式を開発し導入する時にも労組との交渉を余儀なくされ、非常に困難を伴っていた。EF200のようなまったく新しい機構をもつ機関車などの導入にはかなりの交渉が必要だった。