旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 房総半島が気動車王国であったことを物語った久留里線のキハ30【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 首都圏のJR線は、今でこそそのほとんどが電化されたり、あるいは蓄電池車に置き換えられたりしましたが、国鉄が分割民営化された1987年には非電化のままだった路線がいくつかありました。

 例えば神奈川県の茅ヶ崎ー橋本間を結ぶ相模線も、この当時は非電化で1〜2両、ラッシュ時でも4両編成を組んだキハ30などが往来するローカル線でした。筆者が鉄道マンになり、電気区派出時代に管轄だった八王子駅には、八高線も未だ非電化で、「タラコ色」などと揶揄された首都圏色のキハ30系やキハ20系が、煙とディーゼルエンジン特有の排気臭を漂わせて発着していたのです。

 その後、相模線は全線が電化されて205系500番代に置き換えられ、神奈川県からは気動車が撤退していきました。また、八高線は八王子ー高麗川間と、川越線全線が電化されて103系などに置換えられ、東京都内の非電化路線は消滅しました。どちらも、趣味的には貴重だったのですが、沿線に住んで利用する人々にとって足の遅い気動車ではなく、加速もよく乗り心地がよい電車への代替えは待ち望んでいたことでしょう。また、これらの沿線も、国鉄時代から比べると開発が進んで人口も増加し、気動車では対応が難しくなっていたのでした。

 一方、JR東日本にしてみても、首都圏の路線のほとんどが電化されていたなかなで、まるで取り残されたように非電化の路線があっては非効率でした。わざわざ、これらの路線のために気動車を配置し、それを維持し続けることは運用コストの麺でも好ましいものではありません。また、電車であれば甲種電気車操縦免許を取得した職員だけを配置すればよく、乗務員区所間の異動もそれほど難しいことではありません。しかし、気動車を運転するためには、甲種内燃動車操縦免許と別の免許を持つ職員が必要になり、しかも運転本数が少ない路線なので必要とする職員が少ないので、人件費の面でも好ましくなかったのです。

 そこで、民営化直後から首都圏に残存していた相模線、八高線という非電化路線の電化を進め、国鉄から継承した鈍重な気動車を一掃して、全て電車による列車へと替えていったのでした。

 ところが、同じ首都圏にありながらも、非電化のままで残された今日に至る路線があります。

 

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▲房総半島に非電化のまま残された国鉄線の一つが久留里線である。木更津ー上総亀山間の約33kmの盲腸線で、輸送密度もそれほど多くないため、多頻度運転されなかったことから電化の対象にならなかったようだ。後にJR東日本に継承されたが、新系列の気動車に置き換えられることなく約50年近くにわたり、国鉄形のキハ35系が残存しつづけた。写真のキハ30 98は最後まで残ったキハ30の1両で、2012年12月に運用を終えた後、水島臨海鉄道に譲渡されている。(キハ30 98〔千マリ〕 木更津駅 2012年1月5日 筆者撮影)

 

 房総半島の中ほど、東京湾にほど近い木更津駅から、その中ほどの山間地にある上総中野駅までの短い距離を走る盲腸線でもある久留里線がそれでした。

 そもそも、房総半島を走る国鉄線は、東京近郊が電化されてからもずっと非電化のままでした。これには様々な理由がありますが、まず1つに東京近郊と比べて沿線の人口が少なく、輸送量もさほど多くなかったからでした。東海道本線や山手線、経費東北線中央本線などが電化されていたにも関わらず、房総半島の各線は変わらず非電化で、しかも、電化そのものが1960年代の終りまだ待たねばならないなど、国鉄の幹線でも比較的遅かったのでした。

 これにはいくつかの理由があります。

 一つには、この当時の房総半島の道路事情が関係していました。

 房総半島は南北に長く、そして比較的広大な土地を持つ半島です。しかし、その多くは下総台地房総丘陵という低いながらも山地がつらなり、それらは太平洋や東京湾の海岸にまで達するなど、平地が少ない地形です。その平地が少ない地形であるがゆえに、道路事情も芳しく無く、鉄道線路もそれらの山地を貫くようにトンネルを掘り、そして海岸線ギリギリの場所に敷かれるなど、非常に狭隘な土地が多いことが挙げられるでしょう。そのため、大規模な工事になる鉄道の電化工事に必要な工事用自動車が入りにくいところも多数あったため、この房総各線の電化工事にあたっては、専用の工事用貨車を製作して進めたほどだったのです。

 それがトキ15000やキワ90、キハ07を改造してつくったヤ360・370・380・390・395がそれで、それぞれ建柱車、骨材車、電柱建植作業車など、余剰となった専用の事業用貨車を改造でつくったほか、新造した架線展張工事車のヤ450でした。

 

《次回へつづく》

 

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