旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【3】

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《前回のつづきから》 

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 札沼線もまた、そのような路線の一つでした。いえ、正確には札沼線は札幌都市圏を走る札幌ー石狩当別間はそれなりの需要があります。しかし、末端区間と呼ばれる石狩当別新十津川間は極端に利用者が少ない区間です。1両編成でも十分な区間なので、ここにはキハ56を改造したキハ53 500番代が配置されて活躍していました。冬季は積もった雪を排雪しながらの走行を強いられるので、エンジンを2基搭載したキハ53 500番代はその性能を十分に発揮したのでした。

 しかし、キハ56として製造されてからも年数が経ち、さらに酷寒の大地で長年走り続けて老朽化が進んでいたところに、両運転台に改造されたことで更にそれを進行させていたので、これに代わる車両が必要でした。また、エンジンを2基搭載した強力な性能を持ってはいたものの、やはりDMH17系列の燃費の悪さは如何ともし難く、民営化によって効率的な経営を求められる環境にあっては、高効率なエンジンを搭載した車両が必要でした。

 当然、こうなると新型車を開発するのが一般的ですが、JR北海道にはそのような体力はありません。ただでさえ、輸送量が低い路線が半数以上を占め、冬季は過酷なまでの寒さと積雪で、本州以南に比べて運用コスト高いなど、経営基盤が脆弱なJR北海道に新車開発をするための余裕などありません。

 そこで、手持ちの車両を改造することで、キハ53 500番代の代替えをすることにしたのです。

 手持ちの車両と言っても、それほど豊富ではありません。JR北海道国鉄から継承した気動車は、古参のキハ22か比較的新しいキハ40だけでした。国鉄末期に置き土産として製造されたキハ54はエンジン2基を装備していますが、そもそもの数が少ない上に運用線区も限られているので、他の線区に回す余裕などありませんでした。

 こうして、数多くあるキハ40が改造の対象になり、エンジンをクラス最強ともいえる出力450PSをもつN-DMF13HZDに換装。さらに、この強力なエンジンに対応した直結2段式の変速機と、2軸駆動に対応する改造を施されたN-DT44B台車を装着し、見た目は他のキハ40と変わらないものの、中身は殆ど別物と言っても過言ではない性能をもつ400番代へと変わったのでした。

 筆者も実際に、札沼線の末端区間を走るキハ40 400番代に乗ったことがありますが、真冬の北海道でも難なく走る力強さがあると感じたものです。かつて、指宿枕崎線でキハ65+キハ58+キハ47という3両編成の列車に乗ったことがありますが、前2両はエンジン2基を搭載した強力車、しかしその加速は思ったほどではなく、キハ40 400番代は高出力エンジンを1基だけ装着したにもかかわらず、その加速や走りっぷりは国鉄時代のエンジン2基を装備した気動車に引けを取らないものでした。

 

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札沼線末端区間で活躍していた頃のキハ40 401。この時は冬に訪れたので、人の影が極端に少ない新十津川駅は、ホームにも線路にも多くの雪が積もっていた。線路に積もった雪を排雪しながら走行するため、強力な450PSの出力を誇るN-DMF13HSDを搭載し、クラス最強の気動車になった。(キハ40 401〔札ナホ〕 札沼線新十津川駅 2012年11月23日 筆者撮影)

 

 札沼線末端区間といいう特異な区間のために、クラス最強のエンジンを装備したキハ40 400番代は、苗穂運転所に配置されて札沼線で活躍します。札沼線は運転系統が石狩当別で分けられているので、基本的には石狩当別に常駐する形がとられていました。乗務員もまた、石狩当別駅に所属する運転士が担っていました。通常、駅に所属するのは駅の営業や運転取扱業務に従事する職員ですが、ここでは「駅に所属する運転士」という、全国でも珍しい形態を採用していたのです。それだけ、この区間は運転本数も、そして輸送量も極端に少ないことがわかるでしょう。

 それでも、たった1両で1日数本の運用をこなし続けたのです。しかし、その乗車人員は数人から、どれだけ多くても10数人程度と閑散としたものでしたが、冬季になれば強力なエンジンの性能を発揮し、可能な限り定時性を確保した運転に貢献しました。

 エンジンは確かに協力になった400番代でしたが、車内設備は国鉄時代と変わらぬボックスシートが並ぶものでした。冷房装置もなく、天井には扇風機があるだけ。しかも、閑散区間であるがゆえにワンマン運転の機器も搭載され、乗務員室の上には運賃表示器、さらに運賃箱が設置されていました。こうした設備以外は、まさしく国鉄形車両の体裁を色濃く残しているのも、400番代の特徴の1つといえたでしょう。

 こうして、400番代は札沼線末端区間を往復し続け、輸送人員こそは少ないものの、沿線の人々の貴重な交通機関としての役割を果たし続けたのでした。しかし、時の流れとともに札沼線の、400番代を取り巻く環境は厳しさを増す一方でした。

 すでにJR北海道の経営状況は分割民営化された頃よりも悪化し、安全軽視とも捉えられる経営施策を続けた結果、脱線事故や火災事故などを頻発させ、経営状況は追い打ちをかけるように悪化の一途をたどりました。さらに、2016年にはJR北海道単独では維持が困難である路線が全路線の半数に上ることを発表する事態に陥り、極端に利用者が少ない路線は廃止・転換を進めることになります。

 札沼線末端区間は輸送量が極端に少なく、石狩当別新十津川間を通しで運転する列車も、筆者が訪れたときですら既に1日に3往復、末期は1日1往復にまで削減されていて、廃止も時間の問題だと考えられていました。たしかに、石狩月形のように村落の中心部にある駅はいいとしても、その他は畑の真ん中にホームがあり、車掌車改造の簡易な駅舎があるだけというところがいくつもあり、そこで乗降する利用者はほとんど皆無だったと記憶しています。また、これらの区間石狩川を挟んだ対岸にほぼ並走するように函館本線があり、列車の運転本数が多く電化区間であるため運転速度も速いので、自家用車で函館本線の駅まで行き、そこから乗り換えるという方が遥かに現実的な鉄道利用だったと考えられます。

 こうした厳しい環境により、2020年に末端区間は廃止となってしまいました。既に札沼線は2013年に桑園ー北海道医療大学間は電化されており、733系などの電車によって列車が運転されていたので、非電化で残った末端区間の廃止によって400番代は余剰となってしまったのです。

 札沼線での役目を終えた400番代は、その後は苗穂運転所に留置されたままだといわれています。廃止時点でお役御免となり、廃車の途を歩むのかとも考えられたのですが、JR北海道はそうはしませんでした。理由は定かではありませんが、キハ40としてはクラス最強となる450PSを誇るエンジンをもち、2軸駆動という強力車であることがそのまま残されている理由の1つであると推測されます。これだけの性能を持つ車両であれば、1両編成が主体となっている路線でも難なく運用が可能であるので、そちらへ転用することも視野に入れているのかもしれませんが、あくまでこれは推測の域を出ていません。

 北海道という機構も、経済状態も本州以南とは異なる環境の中で、それらに十分に対応できる気動車として、クラス最強のエンジンをもたされたキハ40  400番代。札沼線の末端区間という閑散線区を往復し続け、華々しい活躍はありませんでしたが、それでも地域の人々にとっては貴重な交通機関であったことは変わりません。

 その引退も、新型コロナウイルスという微塵も予想しなかった異常な状況の中で、廃止時期を急遽早めるという異例の措置によって、ひっそりとその舞台から去っていったのは、400番代にとってはいつもと変わらぬ日常を終えたのと同じようだったのかもしれません。

 

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冬晴れの日、酷寒の気候が多い北海道で、この時は比較的穏やかな天候に恵まれた。石狩当別駅を11頃に発車した列車は、まさに「北の大地」と形容するには相応しい、田畑が広がる光景の中を、この1両でトコトコとやってきたのだ。ホームはどなたかがしてくれたのだろう、積もった雪を取り除いてはあったが、線路の反対側の防風林のあたりは、かなり雪が積もったのが分かる。こうしたローカル線では、除雪用の列車を走らせることが難しいので、営業列車にその役目を肩代わりさせることがある。西に傾き始めた真冬の太陽は,14時も過ぎると少しずつ朱色に染まり始める。(キハ40 401〔札ナホ〕 新十津川駅 2012年11月23日 筆者撮影〕

 

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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