旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

赤帯からハワイアンブルーへ 伊豆へ渡ったオールステンレスカー8000系【5】

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《前回からのつづき》

 

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 開業当初に用意した100系には、サシ190という車両が存在しました。その形式名が示すように、「食堂車」として分類される車両です。伊豆急のような地方私鉄に、それも路線延長が100kmにも満たないところに食堂車というのは例のないものでした。

 このサシ190の製造は、種類メーカーのサントリーが自社の製品を宣伝することを目的に、その費用を全額負担して「寄付」という形でおこなわれました。ただし、単に「寄付」するのではなく、車内でサントリー製のビールなどの酒類を販売し、かつ一定期間はその用途のために運用することが条件でした。

 しかし、乗り入れ先である国鉄は、サシ190の営業運転に難色を示しました。

 これはあくまでも推測ですが、国の公共企業体である国鉄の運営する線内で、特定の企業のみの製品を取り扱う営業形態はそぐわなかったのです。国民の税金を投じて運営されるのですから、国鉄としては難色を示すのも当然といえばそれまでかもしれません。

 また、当時は国鉄線で運転される列車に食堂車を連結するのは、特急列車と一部の急行列車(といっても、ビュフェでしたが)に限るという不文律がありました。食堂車を連結しそれを営業することで、長距離を走破する優等列車としてのステータスが与えられていたのでした。そのため、観光地といえども短距離のローカル線に過ぎない伊東線に、それも普通列車に食堂車を連結して営業することは、受け入れがたいものがあったといえるのです。

 結局、サシ190を連結した列車は、伊東線内で営業をおこなわないことを条件に乗り入れが許可されたのでした。

 こうした過去があり、国鉄と難しい折衝をした経験があるため、先頭車化改造を受けたクモハ8150の運転台ユニットも、改造の必要がないクハ8000と同等のものを設置したと考えられるのです。

 また、クモハ8250はクハ8000を電動車化して登場しました。主電動機を装備し、パンタグラフも追加されました。ただし、パンタグラフは編成を組む相手であるクモハ8150が後位側にパンタグラフを装備していたので、同じように後位側に設置できません。物理的には設置が可能ですが、そうしてしまうとその間隔が狭くなり、トロリー線から供給する電流量が密集して、過電流状態になってしまいます。過電流状態になると、トロリー線が本来もっている抵抗値のせいで発熱し、最悪の場合はトロリー線が溶断してしまう危険があるのです。そのため、クモハ8250は運転台上の前位側にパンタグラフを設置しました。しかし、種車であるクハ8000は、前位側屋根上にそのようなスペースはありません。そこで、4基設置されていた冷房装置のうち、前位側の1台を撤去し、そこへパンタグラフを設置しました。しかし、なんとかスペースをひねり出したとはいえ、菱形のPT42を設置することは難しかったので、狭いスペースでも設置ができるシングルアーム式を設置しました。

 

熱海駅から伊豆急下田へ向けて発車する伊豆急行8000系。伊豆急下田方の先頭車はクハ8000とクモハ8150の2種類があるが、写真のクモハ8150は東急時代は中間電動車であるデハ8100だった。伊豆急行への譲渡に際して先頭車化改造を施したが、近年の譲渡車両とは異なり貫通扉があり、標識灯類も既存の先頭車と同じであるなど、違和感のない形状に仕上がっている。唯一の違いは通過標識灯がないくらいで、改造車と言われなければわからない。(クモハ8158ほか3連TA6編成 熱海駅 2023年3月16日 筆者撮影)

 

 パンタグラフを増設するために冷房装置を撤去したので、冷房能力が落ちてしまいます。8000系の冷房装置は1基あたり8000kcal/hの能力をもつ分散式で、合計で32,000kcal/hです。これは、国鉄の通勤形電車に装備されていた集中式のAU75の42,000kcal/hと比べると低めですが、扇風機を併用することで冷房能力を確保していました。ところが、1基減らしたので合計の冷房能力は24,000kcal/hにまで落ちてしまい、接客サービスの面で影響が出てしまいます。伊豆半島東海岸は、それまで走っていた首都圏とは異なり、比較的温暖な気候です。伊豆急行線は観光客も多く利用する路線なので、冷房能力が落ちた状態で運用に入ることは望ましいことではありませんでした。

 そこで、増設したパンタグラフの前位側に、小型の冷房装置を設置することで、低下した冷房能力を補うことにしたのです。

 接客設備の面でも、伊豆急行に移っていった8000系は大きな改造を受けました。

 海側にあったロングシートはすべて撤去し、代わりにクロスシートが設置されました。海側にクロスシート、山側はロングシートのまま残したのは、やはり東海岸から見える眺望へ配慮したことによるものです。こうしたつくりは、伊豆急が最後に新製した2100系にも通じるところがあります。

 

伊豆急行に譲渡された8000系の車内。山側は東急時代のロングシートがそのままで、仕切り付きであることから更新車であることがわかる。一方、海側は座席をすべて撤去の上、クロスシートがずらりと並んでいる。座席は西武鉄道10000系のリニューアル工事で発生した物を再利用して設置され、伊豆急行線の「売り」である海岸の長めに配慮した接客設備になった。長年、伊豆や箱根を巡っては、東急と西武が争い確執もあったが、部品単位とはいえ西武から東急(グループ会社であるが)への譲渡というのは、時代の流れを感じるところといえる。(©MaedaAkihiko, CC BY-SA 4.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 そして、このクロスシートは新製したものではなく、西武10000系をリニューアルする際に発生した座席を転用する形で賄われました。近年、こうした部品単位での発生品を他社の車両に転用するケースが多くなりましたが、かつて「伊豆戦争」といわれるほど伊豆半島の開発と観光産業で激しく火花を散らしていた東急と西武の両社が、座席だけといえどもコラボしたことは、まさしく時代の変化と言えるでしょう。

 2007年までに4両編成7本、2両編成6本、合計50両が伊豆急へ移籍してきました。

 

《次回へつづく》

 

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