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山手線と言えば、東京でももっとも知られている鉄道路線ではないでしょうか。某家電量販店の歌にも出てくるくらいで、「まぁるい緑の山手線~♬」というフレーズは恐らく多くの人が聴いたことがあるのではないでしょうか。
その山手線は、東京でも都心部を環状運転する路線で、コロナ以前は一日中混雑していたという印象があります。都内を移動するビジネスパーソンや、観光で訪れて外国人の姿も多く見かけました。
そんな「東京の顔」ともいえる山手線には、国鉄時代から常に最新の車両が配置されてきました。
例えば新性能国電の嚆矢ともいえる101系は、1961年に新製配置されています。もちろん、他の路線ではぶどう色2号に塗られた73系などの旧型国電が闊歩していたので、カナリアイエローに塗られた101系は、多くの人に強烈な印象を与えたといえるでしょう。
その101系だけでは旧型国電を一掃できず、主電動機出力を向上させた103系が1963年にやって来ます。もちろん、山手線に配置されてきた103系は、まだどこにも配置されていなませんでした。
101系はかなり短命で終わりましたが、103系は国鉄が分割民営化された後の1988年まで、25年の長きにわたってそのうぐいす色を身に纏って、大都会の街と街を結んで多くの人々を乗せて走り続けました。
国鉄の分割民営化の声が聞こえ始めた1985年、103系の牙城でもあった山手線に新しい車両がやって来ます。国鉄初のオールステンレス車体をもった通勤形電車である205系は、103系と同じうぐいす色の帯を巻いていました。中央線快速に配置された201系にまでは及ばないものの、界磁添加励磁制御という新しい制御装置のおかげで、電力回生ブレーキも使え、103系と比べものにならない車体の軽さもあって、省エネ性も向上しました。
205系は分割民営化を挟んだ1988年まで増備が続けられ、それまでの主役であった103系は山手線から退いていきました。山手線の新しい顔となった205系は、その後2005年までの20年間主役の座であり続けました。
最後の国鉄形となった205系を引退へと導いたのは、E231系500番代でした。民営化後に設計された新世代の電車で、2002年から山手線に配置されました。一般形という、電車としてはそれまでになかった分類のE231系は、様々な新機軸をふんだんに使った当時としては最新の車両で、とりわけ500番代は山手線用として様々な装備をもった「特殊仕様」でした。
山手線で走ることを前提として多くの装備を持たされたE231系500番代は、その主役の座に就いた時からし、ばらくの間は首都東京の顔として走り続けると、誰もが考えていたでしょう。
ところが、2015年になると新たな電車が送り込まれてきました。
E235系はE231系に始まる一般形電車の三代目ですが、それまでの電車で培われた技術をもとに、さらなる開発成果をふんだんに盛り込んだいわば集大成ともいえる車両でした。
このE235系の登場で、E231系500番代は山手線を追われていく運命になりました。
山手線の主役の座に就いていた電車たちは、最低でも20年以上は活躍していましたが、E231系500番代は驚くことに20年にも満たない18年、最後に増備された車両は2005年に配置されたので、少なくとも15年しかその座にいることができませんでした。
新機軸を盛り込んで登場したにもかかわらず、これだけ短命だったのはE231系に問題があったからというよりは、時代の流れといっても過言ではないでしょう。特に2010年代以降は、新たな技術開発がまるで通勤ラッシュのように次々と行われています。例えば、2010年代初頭までは携帯電話はほとんどがガラケーでしたが、2010年代以降はスマートホンに取って代わられてしまいました。そのスマホも、初期のものは4.5インチという比較的小さいディスプレイを備えていましたが、いまや6インチ以上のディスプレイを持つスマホは当たり前になりました。
電車も同じことがいえるようで、E231系ではTIMSと呼ばれる車両モニターを装備しました。E233系はさらに進化させ電装機器を二重化して、故障に強くしたものでした。E235系は進化した列車情報システムINTEROSを装備しています。こうした進化はかつては考えられないほどのスピードで、鉄道車両もそうした波には抗えないとでもいうのでしょうか、それだけ「新型車」の開発が早く、そして置換えもまたかつてない速さで進行してしまうようになり、ついこの前まで当たり前に走っていた車両も、早々に「過去帳入り」してしまうのは、ある意味時代を表しているともいえるでしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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