旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

赤帯からハワイアンブルーへ 伊豆へ渡ったオールステンレスカー8000系【6】

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《前回からのつづき》

 

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 伊豆急に移ってきた8000系は、その輸送量から適切な輸送力とするため、4両編成と2両編成に組成・改造がされていました。

 実際にうに運用を始めると、4両編成は特に問題はありませんでしたが、2両編成は多くの課題があることがわかりました。

 そもそも東急8000系は、電動車2両1ユニットを組成して運用することが前提でした。5両編成を組むために、後に1M車としても運用できるデハ8300も登場しましたが、これは特異な例と言えます。一方、伊豆急に譲渡された8000系の種車は、デハ8100で1Mで運用することを前提としていませんでした。主電動機出力は130kWの能力をもっており、軽量ステンレス構造なので1M1Tでも運用できそうに見えますが、実際にはそのとおりにはなりませんでした。

 1つには、運用する環境がまったく異なるということでしょう。東急線は大都市圏の路線であり、そのほとんどは地上線での運用だったので、勾配もそれほど厳しいものはありません。1Mで運用したとしても、大した問題にはならなかったと考えられます。ところが、伊豆急行線東急線のような路線環境ではありません。伊豆半島という比較的険しい山々が海岸線沿いにまで進出し、その合間を縫うようにして比較的緩やかな場所を選んで軌道が敷かれましたが、それでも東急線の比にならない勾配が何箇所も存在し、しかも可能な限り狭隘な線形にならないように建設した結果、長大なトンネルも数多くあるというものでした。そのため、1M1Tでは非力になり、空転を繰り返してしまい運用に耐えられなかったと推測できます。

 

熱海駅へと進入する伊豆急行8000系。先頭に立つクハ8012は、東急時代もクハ8000だったが、車両番号は異なりクハ8029だった。外観は赤帯から100系に準じたオーシャングリーンとハワイアンブルーの2色を使った帯を巻いた程度だが、保安装置はATC-P・東急型ATSからATS-Si(JR東日本のATS-Snと同じ)とATS-Pへ換装された。また、分割併合をすることから電気連結器を装備するとともに、連結器も密着連結器へと交換され、乗り入れ先であるJR東日本に合わせた。(クハ8012ほか3連TA2編成 熱海駅 2023年3月16日 筆者撮影)

 

 もう1つには、海岸沿いに線路があるということ、そして東急線と比べると極端に輸送密度が低く、列車の運転本数が少ないことが考えられます。海岸沿いは常に潮風に吹かれる環境にありますが、塩分を多く含んだ風にさらされたレールは、大都市圏と比べると錆びやすくなります。列車の運転本数が多ければ、そうしたことは大した問題にはなりません。しかし、列車の運転間隔が開けば開くほど、レールは潮風にさらされ、物理的な影響を受けない分だけ錆を生じさせやすくなるのです。その結果、酸化して生じた錆が車輪とレールの間に粒子状に割り込んで、粘着係数を大幅に低下させます。ただでさえ厳しい勾配が数多くあるので、空転を起こしやすくなると考えられます。

 こうしたことから、1M1Tという最短編成での運用は、路線の実態から適したものではないと判断せざるをえなくなり、導入時の計画である2M2Tと1M1Tの二本立てでの運用を諦め、最短で3両編成、増結して6両編成という形態に変更しました。

 そして導入から日も経っていない2006年には組み換えが始まり、今日のような1M2Tの3両編成を基本としたのでした。

 また、観光路線という性格から、東急時代には考えられなかったトイレが増設されました。バリアフリーに対応したトイレを、A編成ではモハ8200に、B編成ではクハ8000に設置しました。そのため、トイレ設置部の窓はステンレス板で塞がれ、外観もわずかに変化したのでした。

 外観といえば、東急からは数多くの譲渡車があり、全国各地の地方私鉄で第二の活躍をしています。東急時代は車両の側面、戸袋部分にステンレス板にエッチング処理して描かれた楕円形の社紋を、ブラインドリベットで取り付けていました。しかし、長年取り付けてあったため、取付部の外板には修復が難しい跡が残ってしまいます。

 譲渡後は、その部分を同じ形状のステンレス板で塞ぐようにし、譲渡先の社紋を描くなどして目立たないように処理しています。しかし、伊豆急行は東急と同じグループ会社なので、社紋のデザインはほぼ同じです。違いといえば、社紋を描く色が「赤」から「朱」になったこと、「TOKYU CORPORATION」の英文が「IZUKYU CORPORATION」へ変わったことぐらいなので、グループ外へ譲渡された車両と比べて、東急時代をほぼ踏襲した形になったのです。

 また、塗装もステンレス車体なので鋼製車のように塗装はしていませんが、100系時代の「ハワイアンブルー」を踏襲した濃淡ブルーの粘着フィルムを貼り付けたことで、伊豆急の伝統を伝えるとともに、新風を吹き込んだのでした。

 東急から伊豆急へ譲渡された45両の8000系は、今日も伊豆半島東海岸に点在する観光地を結んで観光客を輸送するとともに、沿線住民の日常の足としての重要な役割を担い続けています。

 

東伊豆の海岸沿いを行く8000系電車。このように、伊豆急行線は海岸のすぐ傍を走ることもあり、常に海からの潮風にさらされる環境にある。そのため、塩分を多く含んだ潮風による塩害により、車体の腐食などによる老朽化も早く進みがちとなる。ステンレス鋼は腐食に強いことから、このような塩害を受けやすい環境にはうってつけといえ、長い活躍が期待された。(©MaedaAkihiko, CC BY-SA 4.0, 出典:ウィキメディア・コモンズ)

 

 オールステンレス車体は、伊豆の東海岸を走るにはうってつけで、海から吹いてくる塩分を多く含んだ風にさらされても、その耐久性は普通鋼に比べれば強靭であると言えるでしょう。

 東急8000系としてこの世に登場してから既に50年以上、それでもデザインは1世代も2世代も前の実用本位の少々古めかしいものですが、車両の耐久性は折り紙付きなので、今日も数多くが解体されることなく、日本はもちろん、海外に渡っても活躍しているのはその証左といえます。

 電機子チョッパ制御と複巻モーター独特の甲高い音を聞きたくなったら、ちょっと足を伸ばして伊豆へと出向いてこの8000系に乗って、既に30年以上も前になってしまった青春時代を、高校時代に毎日乗っていたあの頃の思い出に浸ってみたいものです。(了)

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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