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2024年が明けてまだ3日ですが、日本は災害と事故に見舞われています。1日16時10分に石川県能登半島を震源とした「令和6年能登半島地震」は、地震の規模を示すマグニチュード7を超える大地震となり、能登半島を中心に大きな被害がもたらされています。今もなお、救助活動など災害に対する支援が続けられていますが、一人でも多くの人が助かることを願ってやみません。
そして、昨日、2日17時47分に東京・羽田空港に着陸した新千歳空港発の日本航空516便(JA13XJ エアバスA350-900)が、直後に海上保安庁の航空機(JA722A デ・ハビランド・カナダDHC-8-300)と衝突し、日本航空機は炎上、海保機は炎上大破するという大事故が起きました。
今回は、投稿スケジュールを変更して、この事故について思うところをお話したいと思います。
日本航空の最新鋭機であるエアバスA350-900。315便衝突事故と同型機。(©SuFlyer, CC0 出典:Wikimedia Commons)
新年になってわずか2日で大きな災害と大事故が起きたというのは、筆者が記憶している限りなかったことで、2024年という年が一体どうなるのだろうかと考えさせられます。
さて、この羽田空港で起きた航空機同士の衝突事故では、海保機に搭乗していた6名の海上保安官のうち、機長が辛くも脱出したものの、残りの乗員は全員亡くなられてしまいました。1日に起きた能登半島地震の被災地に救援物資を輸送する任務中の事故なだけに、なんとも言えないものがあります。
一方、日航機は新千歳から東京へ向かう367名の乗客を乗せ、1時間強のフライトを終えて、今まさに東京に着陸した直後の事故でした。飛行機というのはフライト中はあまり恐怖などは感じないものの、着陸してタイヤが滑走路に接地した途端、潜在的な緊張から解放されて安心するものです。しかし、315便の乗客はこの接地して安心したのも僅かで、すぐに命の危険にさらされ恐怖に襲われたことは間違いないでしょう。
しかし、この事故で、日航機に搭乗していた乗客367名はもちろん、乗員12名も全員が脱出に成功しています。379名全員が生還するという航空機事故は、世界的に見ても例がなく、事故の報に接した各国の報道機関や航空関連の専門家からは、驚きと称賛の声が起きています。ICAO=国際航空機関の規定では、旅客機は万一の事故が起きたときに、乗客全員が安全に脱出できる時間を90秒以内と定めていて、現在、世界の空を飛んでいる旅客機はすべてこの規定に収まるように設計されています。今回事故を起こしたエアバスA350は最新鋭の旅客機の一つで、当然、その基準を満たす設計がされています。
もっとも、ハードウェアである機材が最新鋭で、基準を十分にクリアしていたとしても、それを運用する航空会社の乗務員、すなわちソフトウェアが十分な役割や機能を果たさなければ無意味になってしまいます。
その点で、日本航空は過去の苦い経験から、安全に対しては非常に神経を尖らせていると言えるでしょう。1985年8月11日に起きた日本航空123便墜落事故は、単独の航空機としては最悪の犠牲者(搭乗者524名のうち死者520名)を出すという、航空機事故の歴史にその名を刻んでいます。そして、この事故以来、二度と事故を起こすまいと様々な安全対策を講じては積み重ね、乗員訓練も徹底していると言われています。そうした安全文化と乗員訓練を積み重ねてきた結果、今回の事故において、367名という大勢の乗客を極めて短時間で脱出させ、全員が生還するという快挙を成し遂げたのです。言い換えれば、日本航空は機材が最新鋭のものになっても、そのテクノロジーに依存することなく、そしてよく言われる「安全神話」などという人間の妄想を排除し、常に安全確保のための方策を講じ、万一の事故に備えた訓練を積み重ねてきた賜物だといえるのです。
この事故で、当日(2日)は空港が閉鎖され、200便以上が欠航しました。また、翌日(3日)も100便近くが欠航するなど、旅行客、特に帰省したUターンする利用者を直撃し混乱をもたらしました。
そして、事故の原因調査も始められています。
国土交通省の運輸安全委員会(JTSB)は事故調査官を派遣して、原因究明のための調査を始めています。事故機のエアバスA350は、フランスが最終製造地であるため、エアバス社から技術者が派遣されるとともに、国際的な取り決めで製造地であるフランスの航空事故調査局(BEA)の調査官も派遣*1されるそうです。
これら事故調査は、事故が起きた原因の徹底的な追究とともに、類似の事故を再発させないための対策の立案と勧告にあります。そのため、事故の関係者である運航乗務員をはじめ、客室乗務員、関係する航空管制官などから証言を得るとともに、航空機に装備されているフライト・データ・レコーダー(FDR)とコックピット・ボイス・レコーダー(CVR)の解析、集めた残骸などの物的証拠から、「なぜ、その事故は起きたのか」ということを突き止めることが任務の一つです。
そのため、事故調査官は関係者の証言を非常に重要視しているといいます。ですから、事故調査官が関係者、特に運航乗務員や航空管制官、航空機整備員など直接に関わる人たちから聴取をするときには、「刑事事件の証拠として扱わない」ことを前提としなければなりません。そうでなければ、犯罪捜査のための証拠になり得ると分かれば、中には正確な証言を拒んだり、虚偽の証言をすることにもつながり、事故の再発防止のための調査に支障をきたすのです。
東京国際空港の全景。手前にみえる人工島の滑走路がD滑走路(RWY05/23)。2024年1月2日の事故は、D滑走路中央部の上にあるC滑走路(RWY16L/34R)で起きた。(©写真小僧, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)
そのため、国際民間航空条約では、事故調査は刑事事件としての事故責任を課すものではないと規定し、警察の捜査や刑事裁判の証拠として扱うことを戒め、国際慣習法に反するとされています。
一方で、警視庁もこの事故を業務上過失致死傷で捜査を始めています。警察の捜査は調査ではないので、今の段階では被疑者、すなわち犯人が不詳なままで捜査を進め、事故を起こした原因となった人物を被疑者として立件し検挙することが目的です。彼らの捜査はあくまでも刑事事件として扱うため、強制力というものを背景にして関係者に事情を聞いたり、あるいは証拠を集めたりします。
これら、相反する目的をもって捜査機関と調査機関が、同時にことを進めるというのは非常に厄介なことといえます。警察は事件捜査なので強制力をもつため、ともすると事故調査よりも「優先される」と考え、証拠となる物件を押収して、事故調査を滞らせることも考えられます。
しかし、事故の原因が日常的に潜在するのであれば、一刻も早くそのことを掴んで、早い段階で世界に向けて勧告を発し、類似の事故防止に繋げなければなりません。そうした意味で、事故調査は公平で速やかに進めるために、刑事事件の捜査よりも優先されるといえるでしょう。刑事事件の立件は、その後でも十分な証拠を持ってすれば可能であり、十分な捜査を尽くせば、JTSBの調査結果をわざわざ事件の証拠とする必要もなく、国際慣例法に反することをしなくても済むのです。
いずれにしても、どのようなことであれ、事故の原因を速やかに調査して明らかにし、公共の交通機関である民間航空の安全性が保障され、同時に高まっていくことを願ってやみません。
末筆になりましたが、この事故でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りしますとともに、ご遺族の皆様に心からお悔やみを申し上げます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あわせてお読みいただきたい
*1:
事故機が米国製である場合は、アメリカの国家運輸安全委員(NTSB)の事故調査官と、製造メーカーの技術者が派遣され調査にあたる。実際、前掲の日本航空123便墜落事故では、NTSBの調査官が日本の航空事故調査委員会(当時)に派遣され、ボーイング社の技術者とともに事故調査にあたった。