《前回からのつづき》
■九州用交流電機の決定版ED76形とその軌跡
ED72形とED73形を嚆矢とする60Hz対応の九州地区向け交流電機は、鹿児島本線熊本以南と日豊本線系統という線路規格が低い路線にも乗り入れることができ、冬季に客車への暖房用蒸気を供給できる蒸気発生装置(SG)を装備した車両が最も適したものでした。
そして、ED72形とED73形が搭載していた風冷式イグナイトロン整流器は扱いが難しく、保守の面でも煩雑になるなどといったデメリットを抱えていたため、性能が安定していて保守の面でも扱いが簡単なシリコン整流器を搭載し、同時にED75形のように低圧タップ制御と磁気増幅器の組み合わせにより、連続位相制御を可能にしながら、前述のような装備などをもった電機が望まれていました。
そこで国鉄は、ED75形が搭載する機器と性能をもち、同時に九州内で広く使うことができる軸重に抑え、SGも装備した交流電機を計画しました。こうして1965年に登場したのがED76形でした。
ED76形は、基本的な性能は交流電機の標準型とも言えるED75形とほぼ同じでした。主整流器にはシリコン整流器を搭載し、水銀整流器のように走行中の振動によって整流した電流が不安定になることなく、安定した性能を確保しました。
ED70形以来、交流電機は営業運転用の車両を開発するごとに、技術も進化させていた。言い換えれば、交流電機は交流技術の開発史そのものと言っても過言ではない。その中で、低圧タップ制御と磁気増幅器を採用したED75形は、水銀整流器を使った黎明期の交流電機と同等の電圧連続制御を手にした。このことで、ED75形は交流電機の決定版ともいえ、以後、直流機のEF65形に迫る数が量産され、普通客車列車から貨物列車、さらには寝台特急に至るまで幅広く活躍することになった。(写真AC)
一方、シリコン整流器は振動に強く安定している反面、水銀整流器のような平滑な直流電流を出すことができません。これは、シリコン整流器を構成する半導体の特性によるもので、集電装置から取り入れられ、主変圧器で降圧された交流電流は正弦波と呼ばれる一定した波型の電流です。+側から−側に電流が流れ、そして再び−側から+側へと流れるということを繰り返しますが、シリコン整流器を構成するダイオードは+側から−側への一方向にしか電流を流さない性質を使い、これに交流電流を流すと電流は+側から−側へ電流が流れ、0Vになると−側へは流れず、+側へ反転して流れるようになります。しかし、この状態で主電動機に電流を流してしまうと、安定した回転数を確保することが困難になるという欠点が生じます。
そこで、平滑回路と呼ばれる回路を挿入することで、脈流と呼ばれる電流を可能な限り直流のように平滑な波形の電流にするのです。こうすることで、主電動機にほぼ直流の電流を流すことができますが、水銀整流器にあった連続位相格子制御は失われ、粘着性能が悪くなってしまいました。
また、ED75形より前の交流電機は、高圧タップ切り替え制御を基本としていました。主変圧器の高圧側、すなわち一次巻線側にタップを接地し、このタップを切り替えることで電圧制御をしていました。しかし、ED75形では低圧タップ切替制御を採用し、主変圧器の二次巻線側にタップを設定しました。この方式ではタップ切替時にピーク電流が発生しやすくなるため、これに対応して時期増幅器を追加しました。この方法で、シリコン整流器を使いながら連続位相制御を実現し、粘着力性能の低下を防ぐなどして問題を解決しました。
このED75形の電気機器の構成を踏襲し、九州地区内で不可欠だった冬季暖房用の蒸気発生装置を搭載しました。このSGはED72形が搭載していたものより進化し、取り扱いが比較的簡単で、安定した性能をもっていました。ただし、蒸気発生装置の分だけ機器室内にそれを設置するスペースが必要で、同時にSG用の燃料と水も搭載しなければならないため、車体長も17,400mmとED75形よりも長くなりました。また、SGや燃料タンク、燃料タンクを搭載した分だけ自重も重くなったため、ED72形と同じく中央部に中間台車を装着して軸重を軽減しています。空気ばね式の中間台車であるTR103形は、SG使用時の燃料や水の使用による自重が軽くなることによる粘着性能の低下を防ぐため、TR103形の空気ばねを抜き取り軸重を調整することもできました。
車体は国鉄電機に共通した意匠で、側面には横長のフィルター窓とその上部には採光用の細長いガラス窓を配したもので、これを6組並べられていました。前面は非貫通形のデザインで、EF65形などと同様に前面窓は側面に回り込んだパノラミックウィンドウ、形式番号は中央部に取り付けられ、それを両側から囲う飾り帯がつけられていました。前部標識灯もシールドビーム灯を2個、前面上部の左右に振り分けてそれぞれ1個づつ設置されています。
ED75形では貫通構造を採用していましたが、ED76形では前述のように非貫通構造とされました。これは、ED75形は主に東北本線で運用することが前提で、20‰の勾配が多い中で1,200トンの重量貨物列車を引き出す能力が求められたことにより、重連運用が考慮されたためでした。対してED76形を運用する九州地区では東北本線のような厳しい勾配も多くなく、貨物列車も1,000トン程度であることから、単機での運用が前提だったからといえるでしょう。
交流電機の決定版となったED75形は、東北地区で運用することが前提であったため、電源は交流20,000V50Hzに対応した機器を装備していた。また、東北本線に散在する20‰の勾配において、1200トンの重量列車を牽くことが可能な性能を要求されたため、貨物列車では重連での運用も想定したため、前面に貫通扉を備えた構造だった。また、冬期の耐寒耐雪装備ももっていた。しかし、これらの装備や温暖な九州では不要になり、冬期に客車への暖房用蒸機を供給するための蒸気発生装置が必要だった。ED75形を基本に、九州において対応できる機器類や必要な装備をもったのがED76形だった。
また、温暖な地域で運用するため、ED75形のような耐寒耐雪装備はなく、スカート部にもスノープラウなどの設置が省略されていました。
このように、ED75形を基本としながらも、九州地区の輸送事情にあわせた機器類や構造で、普通客車列車から貨物列車、さらには寝台特急や「とびうお」「スーパーライナー」といった高速貨物列車まで、あらゆる列車の先頭に立つ万能機としての性能を発揮し、1965年から1979年にかけて数次に分けて製造され、その一部は今日も活躍しています。
《次回へつづく》
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