旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

EF510 300番台の増備で置き換えが確実になった九州の赤い電機の軌跡【14】

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《前回からのつづき》

 

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 ED76形は0番台94両、1000番台23両の合わせて117両が製作されました。製造期間も0番台が1965年から1976年の11年間、1000番台は1970年から1979年の9年間に渡ったため、製造するロットによって搭載機器や仕様が変更になるなど、多少なりとも差異が生じています。

 1965年に製造された第1次車は、先行量産車といっても差し障りがないといえます。第1次車は全部で9両、すべて1965年度中に製作されましたが、その予算の目的はED72形の増備用としてでした。ED71形は客車列車を牽くことを前提としたSGを搭載した九州地区用交流機で、その意味ではED76形も同じでした。その予算目的のためか、この9両の第1次車は、中間台車のTR103形に基礎ブレーキは装備されず、空気ばねによる軸重調整はできるものの、SG用の水と燃料の搭載と消費による軸重の変動に対して調整をするためのもので、鹿児島本線熊本以南や日豊本線系統での運用を考慮した機能ではありませんでした。

 また、20系客車や10000系貨車を牽くために必須の装備である、元空気溜め引き通し管も装備していませんでした。前面のスカート部は連結器とその解放用テコ、そして空気ブレーキ管だけというスッキリとしたものでした。

 第1次車ED72形とほぼ同等と見做されていたためか、その後に量産されたED76形とは運用が明確に分けられていたといわれています。

 1967年になると、ED76形の量産が本格化しました。9〜26号機は、第1次車ではなかった中間台車の基礎ブレーキが装着されました。また、本格的な軸重調整機能も与えられたことにより、第1次車では入線ができなかった路線でも運用することが可能になり、名実ともに九州地区用の汎用機関車としての地位を確立しつつありました。この変更により、中間台車もTR103D形と変わり、以後、製作されるED76形はこの台車を装着することになります。

 第2次車は製造当初はARBEブレーキを装備する20系客車用を牽くための、元空気溜め引き通し管を装備していませんでした。しかし、汎用的に運用するためには、この装備を欠かすことはできないと考えられるようになったようで、翌1968年から早くも追説工事が施されるようになりました。

 1869年には、さらに4両、27〜30号機が増備されます。基本的には第2次車と同じでしたが、こちらは元空気溜め引き通し管を製造当初から装備していたという点が異なるくらいでした。

 ここまでの第1次車から第3次車までは、集電装置にPS100A形を装備していました。この集電装置は交流電機用としてはごく一般的な菱形のもので、直流機のPS17形に相当するといってもいいでしょう。しかし、交流機は高圧引き通し線やそれを支える数多くの碍子、さらに遮断器といった特別高圧機器が屋根上にひしめくため、集電装置を設置する位置も限られたことから、一部は折り畳んだときに車端部から出っ張らざるを得ない状態でした。

 1970年から製造された第4次車からは、この集電装置を折り畳んだときに占める面積が小さくなる下枠交差式のPS102C形に変更されました。また、49号機から遮断器が空気遮断器から真空遮断器に変更されました。

 この遮断器は、異常状態などが発生したときに安全に回路を遮断するためのスイッチ(開閉器)の一種です。高圧や特別高圧の電流を扱う回路では欠かすことができない機器で、その種類は様々です。ED76形では、初期には空気を絶縁体とする空気遮断器が使われていました。

 この空気遮断器は、作動時に接点に生じるアークに高圧空気を吹き付けてこれを消滅させ、空気自体を絶縁体として接点間に誘導によって再び電流が流れないようにしています。これに対して真空遮断器は、電極を収めた容器の中を真空状態にすることで絶縁させ、遮断器が作動したときに生じるアークは真空中なので消散してしまう原理を利用したものといえます。そして、空気遮断器が作動するときには大きな音がしますが、真空遮断器はその音が小さいことも特徴でした。

 0番台最後の増備車となる第5次車は、1974年から製造されました。55〜94号機がこれにあたり、基本的には第4次車と大きく変わることはありませんでしたが、車両番号の標記はブロック式ナンバープレートになり、後部標識灯は交換が容易な外ばめ式に、前面の飾り帯もメッキしたものから銀色塗装へと変えられ、検修の手間を簡略化しました。また、細かいところでは、車両の至るところに使われているネジがインチネジからISO規格のメートルネジへと変わりました。

 一方、第4次車と第5次車の製造と並行して、高速列車仕様の1000番台も製造されました。この1000番台は、ほかの電機と同じく20系客車や10000系貨車を牽くために必須となる元空気溜め管引き通しや電磁ブレーキを作動させる指令回路、そして編成増圧ブレーキ装置などを搭載していました。

 そのため、1970年に製造された1000番台第1次車となる1001〜1010号機には、電磁ブレーキ指令回路と20系客車との間で機関士と車掌が連絡に使う連絡電話回路を連結させるためのKE59形ジャンパ連結器も装備され、スカート部は少しにぎやかな印象を与えています。

 

交流20,000V60Hzに対応した機器類と、冬期の暖房用蒸気を供給する蒸気発生装置を装備したED76形は、ED72形やED73方などに代わって、九州における交流電機の標準機として量産された。ED75形同様に、貨物列車から寝台特急まで幅広く活躍し、写真のようにヘッドマークをつけて疾駆していく姿が見られた。(写真AC)

 

《次回へつづく》

 

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