旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

電気釜+簡易貫通扉の「魔改造」の始祖?381系先頭車化改造車【6】

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《前回からのつづき》

 

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 クモハ381形は1986年のダイヤ改正から「やくも」の運用に充てられ、国鉄が計画した通り「やくも」を6両編成に短縮させ、輸送力の適正化と臨時列車を含めた運行本数を増発を実現しました。

 登場した翌年の1987年に国鉄は分割民営化され、全車がJR西日本に継承されましたが、引き続き「やくも」の運用に就き、岡山駅出雲市駅の間を伯備線を経由する「陰陽連絡路線」を構成する列車として、多くの人々を輸送し続けます。特に、国鉄時代から東海道・山陽新幹線から島根県にある出雲大社の参詣客の交通手段として走り続けました。

 1989年になると、JR西日本は在来線の特急列車の質を向上させる一環として、「スーパーやくも」の運行を始めました。サロ381形をパノラマ仕様の先頭車化改造を施したクロ380形を加え、塗装も国鉄時代から受け継いできた特急色からアイボリーホワイトを基調にした明るい塗装へと変えていきました。

分割民営化後、しばらくの間は国鉄から継承したまま使われてきたが、サービスの質を改善するためにリニューアルを施した。同時に塗装も国鉄特急色から、JR西日本独自の塗装パターンンに、運用線区に合わせた塗色を使うようになり、写真のようにホワイトアイボリーを基調にしたグリーンとイエローの帯を巻いて、イメージを一新した。さらに、車内設備をさらに改善した「ゆったりやくも」と呼ばれる列車のために、中間に組み込まれている出雲大社巫女装束をイメージした朱色の帯に変えられた。(出典:写真AC)

 

 

 「スーパーやくも」は「やくも」の速達型列車として4往復が設定され、「やくも」とあわせて13往復が運行されました。しかし、一部の列車は岡山駅松江駅間に短縮されるなど、台頭しつつあった都市間高速バスの影響が及び始めていました。

 クモハ381形は特に大きな変化もなく、2000年代に入っていくことになりますが、2006年に大きな転機が訪れました。

 国鉄時代に改造されて以来、大きな手を加えられることがないままでしたが、さすがに新製から30年以上、改造からも20年以上が経っていたため、特に接客設備の陳腐化が否めませんでした。

 しかし、JR西日本は2005年4月に起こした福知山線脱線事故の補償や安全対策への投資が優先されるため、新たな特急用車両の製造にまで手が回せない状況にありました。とはいえ、陳腐化した設備のままでいることも、利用客へのサービス低下につながり、年々競争が激化する都市間高速バスにシェアを奪われかねないことから、JR西日本が得意とする国鉄形車両の大幅な更新工事を381系にも施すことにしました。

 クモハ381形もその対象になり、客室内の座席の交換や照明のダウンライトへの換装、トイレの和式から洋式への変更など、大規模な接客設備の更新工事が施されます。同時に装いも沿線にそびえる大山(だいせん)をイメージした白と、出雲大社の巫女の装束である「赤」をイメージした塗装に一新し、更新工事を施工した車両には「ゆったりやくも」という愛称までつけられました。

 2010年代に入っても、クモハ381形は「やくも」での運用に充てられ、列車自体の運転本数に増減はあったものの、改造時から代わることなく伯備線山陰本線を走り続けたのでした。

雪化粧をした大山(だいせん)の麓を走る、381系「やくも」。国鉄時代に運用を始めて以来、「やくも」の運用に就いてきた381系は、長年この景色を横目に走り続けてきた。それも、後継車が投入されることが決まり、その任を譲るとともに、この美しい山とも別れることになる。(出典:写真AC)

 

 他方、クロ381形は名古屋工場で改造され、1号車と2号車は1987年3月31日、すなわち国鉄最後の日に落成した、国鉄最後の新形式車両となりました。

 この、国鉄最後の新形式車両であるクロ381形は、計画通りに中央西線を走る「しなの」に連結され、6両編成での運転を実現させました。

 しかし、分割民営化直後の1988年になると、JR東海は早くも国鉄時代のサービス水準からの脱却を目指し、クハ381形をグリーン車化改造によって製作したクロ381形50番台と、サロ381形を先頭車化しさらに客室から前方を展望できるようにしたクロ381形50番台を加え、不定期列車を含めて13往復にまでに成長します。

 平成の時代に入ってからも、「しなの」の運用に経変化がなく、クロ381形も長野方先頭車として、後輩である10番台と50番台とともに木曽路を走り続けました。

 1995年になると、JR西日本のクモハ381形とは異なり、早くも変化の兆しが見え始めてきました。JR東海はサービス水準と表定速度のさらなる向上と、到達時間の短縮を目指して383系電車を開発・製造します。383系電車は車体をステンレス鋼とした軽量構体を採用し、VVVFインバータ制御と三相かご形誘導電動機を装備したことで、381系と比べて大幅に消費電力を削減を実現しました。さらに、中央西線の特急列車として運用するためには欠かすことのできない振子装置は、車体傾斜機構をコンピュータで制御する制御付き自然振子装置を装備したことで、381系で利用客から不評を買った自然式振子装置の弱点である「振り遅れ」や「揺り戻し」といった大きな揺れが解消され、乗り心地を大幅に改善しつつ曲線通過速度を向上させることを実現しました。

 この383系の登場によって、1996年のダイヤ改正から長野発着の「しなの」には381系から383系が運用に充てられるようになり、クロ381形を含めたJR東海の381系は活躍の場を狭めるようになっていきます。これによって、1973年の381系投入以来、20年以上の長きに渡って運用に充てられた大阪駅発着の列車は383系が担うようになり、東海道本線から381系は姿を消していきました。

 

《次回へつづく》

 

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