《前回からのつづき》
国鉄分割民営化が具体化しつつあった1980年代半ば、それまで長大編成を組むことが当然とされていた特急列車にも合理化のメスが入れられていきました。
特急列車は「特別急行列車」を指し、「特別」である以上、10両以上の車両で組成し、グリーン車はもちろん食堂車も連結することが当然とされていました。列車の運行本数も1往復から4往復程度と限られていたため、数時間おきという間隔になっていました。このようなダイヤ編成は今日では考えられないことですが、かつての国鉄は長距離輸送が主体であり、優等列車も普通列車も運行本数は少なく、代わりに一つの列車で遠くまで輸送する「汽車ダイヤ」が基本だったからです。
しかし、このようなダイヤ編成は戦前や戦時中のように、鉄道を利用することが一般的でなかった、言い換えれば庶民にとって高嶺の花だった時代では通用しましたが、戦後の、特に高度経済成長によって国民の生活が豊かになり、所得も増えてくると鉄道は多くの国民が利用するようになりました。そして、時代の流れとともに「汽車ダイヤ」が生活スタイルに合わなくなり、大都市圏の通勤線区や私鉄のように駅に行って少し待てば列車に乗れるという「電車ダイヤ」が当たり前になると、こうした列車の設定は合わなくなっていったのでした。
それに加え、1960年代終わりごろから国鉄は労使関係が極端に悪化し、サービス水準がそれとともに低下、頻発するストによって度々列車の運行が止まる事態になると、国民は国鉄に対して厳しい目を向けるようになり、「国鉄離れ」という言葉に代表されるように、利用者数そのものが低下していきました。
さらに、膨大な債務を抱えることが常態化すると、これをなんとか改善しようとする動きが徐々に出てきたものの、やはり鉄道開業以来の伝統を打ち破るには時間と労力が必要でした。
1980年代に入り、少しでも離れていった利用客を国鉄に呼び戻そうと、増収に繋がら施策を次々に打ち出していきます。新幹線の博多全線開業により、長距離輸送は新幹線と夜行列車が担い、中距離の都市間輸送と新幹線のない地域では長距離列車を数多く運行することで、利用者にとって使いやすいダイヤ設定をしようとしました。
こうした中で、急行列車の廃止と特急への格上げなどにより特急列車の運行本数は増えていき、いわゆる多頻度運転を実現させるために、長大編成を組んでいた列車を短編成化、捻出された中間車を先頭車か改造を施して、高頻度運転を実現させようとしたのでした。
しかし、国鉄がそれまで運行した特急列車は長大編成を組むことが前提であったため、485系など特急形電車は中間車は数多く保有するものの、先頭車はそれほど多くないのが実態でした。編成を短くし、運用できる編成数を増やすためには多くの先頭車を必要としましたが、すでに膨大な債務を背負っていた国鉄にこれを新製する余力はありませんでした。
とはいえ、先頭車を用意できなければ、短い編成を組んで数多くの特急列車を運行することは叶いません。
そこで考えられたのが、中間車に先頭部と運転台を取り付ける「先頭車化改造」でした。1985年のダイヤ改正で、鹿児島本線の特急「有明」と日豊本線の「にちりん」を、適正な連結数両にするために、モハ485形に先頭部と運転台を切り継ぎ改造したクモハ485形0番台や、サロ481形を先頭車化したクロ480形を製作しました。従来ではサロ1両を連結した場合は最低でも7両編成(4M3T)、最盛期はサロ2両とサシ1両を連結した11両編成で組成されていたことを考えると、この先頭車化されたクモハ485形とクロ480形は大いに活用できた車両といえます。
国鉄の特急列車は、伝統的に長大編成を組んで、長距離を走破することを旨としてきたが、新幹線の開業によってそうした思想も、徐々に時代に合わなくなっていった。短編成でも、列車の運行頻度を多くするほうが利用客にとって使いやすいことがわかると、国鉄は特急形電車も短編成化に舵を切った。その中で、先頭車が不足することから、これを改造によって賄うことにした。クモハ485形もそうした国鉄の方針によって誕生し、従来と比べて思い切った改造を次々に手掛けることになる。(クモハ485- 小倉駅 筆者撮影)
これ以後、国鉄は栄光の特急形電車といえども、躊躇することなく改造を施していくことになります。同じ1985年のダイヤ改正で、紀勢本線の「くろしお」用として、余剰となっていたサハ481形、サハ489形を種車に先頭車改造によって製作されたクハ480形0番台もまた、先頭部分を接合する形で先頭車にされましたが、こちらは貫通構造となっていました。
このように、1985年から1986年にかけて先頭車化改造をされた車両が次々に登場し、特急列車の短編成化による列車の連結両数を適正化させ、同時にフリークエンシーサービスによる列車の増発により、概ね1時間毎に特急列車が発着させることで、より利用しやすいダイヤと列車への変貌を遂げていったのでした。
そして同様の例は485系に留まらず、自然式振子装置を装備した381系も同様に短編成化のための先頭車化改造が施されることになるのです。
《次回へつづく》
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