《前回のつづきから》
ほくほく線は上越線六日町駅と信越本線犀潟駅の間を短絡する路線です。開業当初から上越線越後湯沢駅と信越本線直江津駅を列車の発着駅とし、特に越後湯沢駅では上越新幹線との接続を優先したダイヤ設定にしました。
この上越線と信越本線を短絡するほくほく線の開業は、首都圏から北陸地方へ向かう列車の設定にも大きな影響を与えます。北陸新幹線はまだ建設途上で、富山や金沢などへ向かうには上越新幹線で長岡駅まで出て、そこから金沢駅と新潟駅を結ぶ「北越」を利用するか、東海道新幹線で名古屋か米原まで行き、そこから「雷鳥」や「サンダーバード」または「しらさぎ」に乗り換えて向かうことになります。
「北越」に乗り換えるルートは、「はくたか」時代と同じルートになりますが、一度新潟寄りにある長岡駅を経由するのでは、距離、到達時間ともに長くなってしまいます。一方、東海道新幹線を利用するルートは「北越」を利用するよりも更に距離が伸びてしまい、到達時間はさらに伸びてしまいます。1990年代に入ると、ただでさえ航空運賃の低廉化と高速バス網の充実が驚異になり、特にJR東日本にとって利用者を逃すことに繋がります。
そこで、長岡駅よりも南にある越後湯沢駅から、短絡線となるほくほく線を経由し、直江津駅から信越本線へ入り、JR西日本の北陸本線に直通する特急列車の運転をすることにしました。
この上越新幹線と北陸方面を連絡する特急列車として、「はくたか」は蘇ったのです。
「はくたか」が復活した当初は、JR東日本も車両を用意して共同運行をしていた。485系ではあるが、リニューアル改造を施した3000番代は、在来の車両と外観が大きく異なり、車内設備もより洗練された近代的なものとなった。とはいえ、国鉄形車輌であることには変わらず、台車はインダイレクトマウント空気ばね式のDT32/TR68を装着し、制御方式は抵抗制御、屋根上の冷房装置もAU13分散冷房装置と、国鉄時代の機器がそのままだった。(クロハ481-3008[新ニイ] 2013年7月29日 直江津駅 筆者撮影)
1997年のほくほく線開業とほぼ同じくして運転が始められた「はくたか」は、非常に便利な列車でした。上越新幹線で越後湯沢駅に着くと、待ち時間もなく乗り換えることができるダイヤ設定でした。無論、その逆も同じで、移動時間に無駄がなかったのです。実際に筆者も「はくたか」を利用したことがありますが、乗り換えの待ち時間がないというのは、スピードを求める現代においては貴重なものだと感じたのです。
また、ほくほく線の線路構造に由来する高速運転も、「はくたか」の利便性を向上させるのに貢献しました。建設開始時には単なるローカル線だったのが、中越地方と上越地方を短絡し、かつ北陸地方へのルートとしての役割を期待されたこともあり、単線でありながらもスーパー特急がを運行することが可能な高速運転に対応した高規格路線へと設計が変更され、新幹線以外の日本の鉄道ではまれに見る160km/h運転を実現させたのです。
このまれにみる高速運転は、「はくたか」の利便性向上だけでなく、中越・上越と北陸各都市間の人々の移動に大きな影響を与えたと考えられます。また、もともと収益の見込みが望めない赤字ローカル線になることが想定され、建設が凍結された路線であったのが、「はくたか」の運転によって多くの人々がここを利用(といっても、通過ではあるが)したことで、北越急行は開業当初から赤字ローカル線を引き受けた鉄道事業者としては稀に見る黒字となり、高い収益率を確保できたのです。
その復活した「はくたか」は、すでに国鉄からJR東日本とJR西日本へと変わっていたため、かつての485・489系による運転ではなかった・・・と言いたいところでしたが、民営化から10年が経っていたにも関わらず、485系による運転で復活しました。といっても、それはJR東日本が受け持つ列車であり、JR西日本と北越急行が受け持つ列車には新型車両が充てられました。
JR東日本が「はくたか」のために用意したのは、国鉄から継承した485系をリニューアル改造した3000番代で、基本的な構体は485系でしたが、前面は運転台屋根の構体を交換し、フロントにはFRP製のマスクを装着、前部標識灯はLED化された後部標識灯と一体ケースに収められたHIDバルブを採用するなど、国鉄形とは思えないほど大きく様変わりしました。
また、内装も大幅にリニューアルがされました。天井はフラットな構造とし、室内照明も天井とフラットになるようなカバーとし、出入りデッキの照明はダウンライトに変えて、従来のイメージから大きく刷新しました。シートピッチも910mmと広げ、座席も座面がスライドする構造のものへと交換、荷棚も200系新幹線と同等のものへと交換し、室内の居住性を大きく改善したのです。
とはいえ、外観と内装をリニューアルしても、485系であることには変わらず電装品などは製造時のままでした。自動ノッチ戻しと抑速ブレーキ機能付き抵抗制御であるCS15と、出力120kWのMT54直流直巻整流子主電動機、さらに台車はインダイレクトマウント式空気ばねDT32/TR69を装着するなど変わりませんでした。
そのため、走行性能は最高運転速度120km/hのままだったので、ほくほく線が160km/h運転に対応した企画でも、485系3000番代で運転される「はくたか」は、その環境を十分に活かすことはできなかったのです。それでも、上越線と信越本線を短絡するほくほく線を経由することで、上越新幹線を経て首都圏と北陸地方を結ぶという役割を担いました。
一方、JR西日本と北越急行は、「はくたか」の復活に際して高速運転に対応できる最新鋭の特急型電車を新造してこれに充てました。681系はJR西日本の在来線における最高運転速度の高速化施策に基づいて開発された交直流電車で、制御方式はVVVFインバータ制御、主電動機も出力が485系のほぼ2倍となる220kWのWMT103かご型三相誘導電動機を装備、台車も軽量ボルスタレス式のWDT300/WTR300を装着し、160km/h運転に対応できる性能をもちました。
車内も普通車ではシートピッチが970mmと足元に余裕のある間隔になり、中央に通路を配した2+2のアブレストとしました。リクライニングができるのは当然として、座席テーブルは従来は前席の背もたれに設置していたものを、肘掛けに収納する方式になりました。
グリーン車は更にグレードアップが図られ、アブレストは2+1とし、シートピッチも1,160mmと広く取られました。座席テーブルは普通車と同じ肘掛けに収納する方式としましたが、この他にフットレストを装備するなどより快適性を増したものとなりました。
北越急行も自社保有の車両として、JR西日本の681系と同一設計である681系2000番代を基本編成、付属編成ともに2本、合計18両を新製して「はくたか」の運用に充てたのでした。
このように、1997年に復活した「はくたか」は、国鉄時代に運転されていた「はくたか」とほぼ同じような役割を担う列車でしたが、その運転実態は大きく変化し、北陸新幹線が開通するまでの繋ぎとしながらも、その俊足を活かして首都圏と北陸地方を上越新幹線と連携しながら結んだのでした。
やがて北陸新幹線長野以北の建設工事が進んでいき、2015年3月14日のダイヤ改正とともに延伸開業すると、在来線の「はくたか」はその役割を完全に終えて、その前日をもって運転を終了しました。
そして、北陸新幹線の長野駅−金沢駅間の延伸開業で、「はくたか」の名は速達形列車の愛称として引き継がれ、再び不死鳥のごとく首都圏の北陸地方を結んでいます。
筆者もつい最近、新幹線の「はくたか」に乗車したことがありましたが、往年の特急列車と同様に、北陸地方と首都圏との結びつきを強くする役割は変わりなく、多くの人が利用していました。国鉄時代は長岡駅経由という遠回りを強いられていたため、非常に長い時間をかけていましたが、ほくほく線開業により上越新幹線連絡列車として復活したときには、最速で2時間30分ほどで走破していました。これに新幹線の乗車時間を加えると、4時間から5時間で移動できましたが、新幹線に生まれ変わった「はくたか」は3時間程度まで短縮しました。これは、航空機で移動する場合とほぼ互角*1となり、市街地への利便性と運転本数の多さから新幹線での移動を第一に選択する人が多いと考えられます。
いずれにしても、国鉄時代から一時は中断したものの、「はくたか」という名の列車は長い歴史と伝統があるもので、その遺伝子は新幹線の列車となった今日も変わることはありません。
幼い頃、遠いあの日に父に連れられて興奮とともに乗った「はくたか」や、2010年代に日本最速の在来線特急だった「はくたか」、そして北陸新幹線となった「はくたか」のいずれも乗車しましたが、やはり筆者に強烈な印象を与えたのは国鉄時代の「はくたか」です。
残念ながら今日ではあの時のような列車に乗ることは叶わず、また新幹線網の発達とともに在来線の優等列車は次々と廃止になり過去のものとなってしまいました。今の世代、特に子どもたちが夢のあるこうした体験をすることは不可能ですが、それを語り継ぐのは、もしかしたら筆者のような世代の、国鉄時代を知っている者の役割なのかもしれません。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あわせてお読みいただきたい
*1:
航空機で移動する場合、航空機自体に搭乗して移動する時間は短いが、搭乗するためには出発する空港に少なくとも30分程度前までに到着し、搭乗手続きと保安検査を受けなければならない。到着も同じで、保安検査や搭乗手続はないが、手荷物を預けた場合はそれを受け取るまでの時間が必要になる。また、空港自体が市街地から近いところに立地していることは、日本国内では非常に少なく、福岡空港のように中心街である博多駅や天神駅から地下鉄で10〜20分程度という好条件はあまりなく、多くが市街地から空港連絡バスで30分から1時間程度も移動しなければならない。そのため、単に航空機に搭乗している時間だけで移動時間を見積もることはできず、前後の空港への移動時間や、空港での必須となる時間を加えると、鉄道のほうが有利に働くことがある。