旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

存廃に揺れる北海道の駅 「思い」だけでは維持は難しい理由(1)

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 膨大な赤字に苦しんだ末、1987年に国鉄が分割民営化されて誕生した会社は、旅客会社6社と貨物会社1社。それに加えて基幹通信網を運営する通信会社と、乗車券類発券システムや貨物輸送システムを…

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(2)

9.新世代のマンモス機 9-2 重連が常態化していた東北本線の貨物列車 JR貨物は線路使用料を旅客会社に支払うことで、貨物列車を運転できるのですが、その中でも重量のある機関車の料金は高めに設定されていました。 そのため、同じ貨物列車を運転するのな…

この1枚から 平成になって「復活」した「焼きタラコ色」の悲しき姿

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、国鉄の気動車の塗装が、朱色4号とクリーム4号の二色塗りだったいわゆる「一般形気動車色」から朱色5号一色の「首都圏色」へと変えられました。塗装工程の省力化と、二色塗りによる塗料…

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(1)

9.新世代のマンモス機 9-1 民営化後、第二種鉄道事業者としての課題 1987年の国鉄分割民営化で、多くの電気機関車はJR貨物に継承されました。貨物列車の運転はすべてJR貨物に引き継がれたためで、このことは今さら細かく書く必要はないと思います。 一方…

海峡下の電機の系譜【Ⅶ】 たった1両異端の改造機・ED76 550番代(2)

8.1両だけの改造に終わったED76 550番代 8-3 用途の減少と余剰機の活用で誕生した「異端機」550番代 1987年の国鉄分割民営化後、JR北海道には製造稜数の半数になったとはいえ、16両のED76 500番代が継承されました。国鉄時代に711系が開発・製造されて…

この1枚から コロナで消えた「こと」

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 新型コロナウイルスの感染が再び増加に転じ、毎日ニュースなどで伝えられています。これからいったいどうなるのだろう?と、気をもむことも多いのですが、前回の緊急事態医宣言で多くのことが中…

この1枚から すっかり変わってしまいました

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 時の流れはいろいろなものを変えていきます。その一つに「街の眺め」もあるのではないでしょうか。ついこの間まで当たり前のように見かけていたものが、あっという間に取り壊されて更地になり、…

海峡下の電機の系譜【Ⅶ】 たった1両異端の改造機・ED76 550番代(1)

8.1両だけの改造に終わったED76 550番代 8-1 余剰車を活用するということは世の常 世の中には貧乏性であるが故に、ということが多々あると思います。かくいう筆者の場合、一つのものをやたらと長く使ったり、いまは不要でもいつかきっと役立つだろうと溜…

海峡下の電機の系譜【Ⅵ】 国鉄最後の交流電機・ED79(4)

7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 7-4 JR貨物初の交流機 ED79 50番代の新製 1980年代の後半は、バブル経済による好景気に見舞われました。不動産売買が極端に盛んになり、地価は高騰を続けるという異常な中、国内の物流もまた好景気で異変…

この1枚から ボギー台車の「ョ」号車

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて、日本の貨物列車には必ず連結されていた車両がありました。それは、最後尾に赤い尾灯を灯して、古い車両なら白熱電球の薄暗い明かりが車内を照らし、その中には鉄道マンがたった一人でポ…