旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

前歴は寝台特急、余剰で転用された「食パン電車」【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 余剰となった581・583系の近郊形か改造と、それを用いた地方都市圏の電車ダイヤ化の推進はここだけでは留まりませんでした。 九州島内の福岡・北九州都市圏は手持ちの交直流電車を短編成化、電車ダイヤ化…

前歴は寝台特急、余剰で転用された「食パン電車」【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 元々が寝台設備をもつ特異な車両だったので、それを近郊形にするというのはかなり無理があったと考えられ、それ故に「魔改造」になってしまいました。種車の客用扉は700mm折戸を採用していましたが、可能…

前歴は寝台特急、余剰で転用された「食パン電車」【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1982年のダイヤ改正で、広島地区には「シティ電車」という名称で、「国電ダイヤ」と同じように日中は15分間隔で列車を運転し、パターン化したダイヤ編成にしました。また、従来の国鉄線は駅間距離が長いた…

前歴は寝台特急、余剰で転用された「食パン電車」【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両は製造されてからそのままの姿で与えられた役割を果たし、耐用年数が来るなどして引退していきますが、そうした例は意外と多くなく、大抵の場合は運用される線区での実態や、新型車の登…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【5】

《前回のつづきから》 こうした流れの中で、岳南線に乗り入れる紙輸送列車は変わらずワム80000によって行われていましたが、JR貨物としては早期にコンテナへ転換したかったのです。というのも、ワム80000の最高運転速度は75km/hに留まっていたので、高速化す…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1965年2両が落成したED40は、計画通りに上高地線でのダム建設工事用資材を輸送する貨物列車を牽く任に就きました。建設資材という重量物を輸送するため、ED40の新製だけでなく、上高地線の軌道を強化する…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ED40は私鉄電機としては一般的な小型D級機でした。国鉄のように大出力をもつ大型F級機を必要とする運用はなく、短い距離をある程度まとまった数の貨車を牽くことができれば事足りるので、こうした小型機が…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 岳南鉄道に在籍していたED40は、もともとは松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)が発注したものでした。もともと、松本電気鉄道も貨物輸送を行っており、ED30という30トン電機を保有していました。 それま…

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【1】

いつも拙筆のログをお読みいただき、ありがとうございます。 かつて日本の物流の主役が鉄道貨物であった頃、貨物列車は国鉄線だけではなく多くの私鉄でも運転されていました。最も著名なのは東武鉄道で、国鉄と同一形式であるワラ1を多数保有し、国鉄線直通…

常識を覆して「短い特急」を具現化したクモハ485【3】

《前回のつづきから》 1986年までに落成したクモハ485 100番代は、南福岡電車区に配置されて、民営化後を見据えた国鉄最後のダイヤ改正で、計画通りに熊本発着の「有明」に充てられるようになりました。ここの国鉄史上最短の特急列車が誕生することになりま…