3.人事システムの見直し
この項立ては、コラムを書き始めた当初は書くかどうか非常に迷ったところです。というのも、人事というものは経営的な観点も必要なことで、筆者(私)自身は職がどんなに変わっても現場で働き続けることに拘っているので、こうした観点で見たとしても自ずと限界があることを承知しているからです。
しかしながら、大なり小なり鉄道事業者自身の責任における輸送障害の原因を見ると、どうもどうもある種の重要なものが欠けている気がしてなりません。加えて、過日目を通した経済誌のコラムを目にした時に、鉄道事業者だけではなく、今日の労働条件が様々な事故や不祥事に繋がっていると考えざるを得なくなり、誤解を恐れずに提言をしたいと考えました。
さて、鉄道というのは一言でいえば「労働集約型産業」であるといえます。
今日のようにITをはじめ、様々な技術が発達して省力化が可能になったとはいえ、やはり人の労働力が様々な形で集約されて機能するといえます。
例えば列車を運転するためには、そこに運転士という人が介在します。技術が発達してATO(自動列車運転装置)が実用化されたとはいえ、多くの人を乗せて高速で走る列車の運転を完全に自動化することは非常に難しいものです。例えば、東京の地下鉄では一部がATOによる運転がされていますが、運転台には運転士が乗務しています。一部の新交通システムのように、その輸送量が中量で全線が高架線となっているものについては完全無人化されていますが、それはいわば例外といってもいいでしょう。
その列車として走る車両も、法律によって定められた周期での検査や、故障時の修繕といった検修も人によって為されています。検査のための機器類もまた、技術の進歩で非常に精度が高く信頼性のあるものになったとはいえ、それを確かめ必要に応じて修繕をするのはやはり人間でなくてはなりません。
▲検測走行する923形電車。営業列車と同じ速度で走行しながら架線・信号・通信・軌道といった線路施設を検査できる試験車は、施設の保守管理業務を大幅に変えることになった。検測データは保守作業の計画などに活用されるが、検査作業が自動化されたとはいえ、そのデータを見て判断し作業計画を立てて実施するのはやはり人間がしなければならない。(©khws4v1 Wikimediaより)
列車が走るためには車両だけではなく、線路がなければ鉄道ではなくなってしまいます。その線路を構成する軌道や電気設備といった施設は、その昔はすべて人力によって敷設されたり、あるいは保守管理がされていました。今日ではドクターイエローに代表されるような高速試験車がJR、私鉄を問わずに導入されています。しかし、最終的にその検査データを見て保守工事を行うかを判断するのは人間であり、また実際に工事を実施するのも人間であれば、工事を終えてそれが安全運転に耐えうる基準に達しているかを確かめるのも人間です。
多くの乗客が利用する駅もまた同じでしょう。1990年代から都市部の駅では本格的に自動改札機が導入され、今日では自動改札機がない駅を探す方が難しいていっても過言ではありません。自動改札機の導入と、磁気カード乗車券やIC乗車券の導入は駅の業務に大きな変化をもたらしました。運賃収入はその昔は現金が原則で、毎日売り上げを集計して現金を保管するなど非常に繁雑な作業を人の手でおこなってました。ICカードはそうした現金の取扱いを大きく削減したばかりか、集計作業もコンピュータ上ですべてできるようになりました。
▲自動改札機は駅業務を大幅に変えて省力化・省人化を推進した。(©Nyao148 Wikimediaより)
しかし、自動改札機が導入され、IC乗車券が普及したといっても、まったく人の手を必要としなくなったかといえばそれは正確なことではありません。特にJRのように長距離の乗車券類を販売するところでは、昔と変わることなく出札係の窓口が置かれ、利用者の注文に応じて端末を操作して乗車券や指定席特急券などを販売しています。
最近ではインターネットを利用した予約販売や、出札係が操作していた端末を利用者が直接操作して指定席特急券を購入できるような自動券売機が登場しましたが、それでも窓口をすべてなくして無人化するということは難しいことと考えられます。
このように、あげるとキリがないほど、鉄道という巨大な交通システムは、実に多くの人の手によって成り立っているということがお分かりいただけたかと思います。そして、技術が進歩したとしても、完全なる無人化は不可能だということがいえるでしょう。
ところで鉄道会社は何を商品として顧客に提供して収入を得ているのか、という点についても論じてみます。そんなことはわかりきった話かも知れませんが、この点を抑えておきたいと考えます。
そもそも鉄道会社の「商品」とはなんでしょうか。
利用する乗客を運ぶことでしょうか。それとも、目的地あるいはその最寄りとなる駅まで快適に運んでくれる列車でしょうか。あるいは、安全で正確に、そして早く快適に移動することができるサービスでしょうか。
このいずれも正解であり、厳密には不正解だと筆者は考えています。
鉄道会社の商品は、
1.安全に旅客や貨物を運ぶ
2.ダイヤに正確に運ぶ
3.できるだけ所要時間を短くして旅客や貨物を運ぶ
4.(通勤や特急などそれぞれの用途に適した)快適な車両や施設で旅客や貨物を運ぶ
5.顧客が利用しやすいサービスを提供する
の5点であり、この5つがそれぞれ単独で提供されるのではなく、それぞれが相互に作用し合って包括的に一つのシステムとして提供されるものだと考えます。ただし、1の「安全」だけは2~5に対して常に上位にあり、システムとして提供される上で絶対に欠かしてはならないものだといえます。
これら5つの要素から成り立つ「輸送サービス」という商品は、すべて現場で利用者に提供されています。即ち、鉄道会社の収入源はすべて現場で提供する「輸送サービス」によるものだということで、この点が他の業種と異なるところだといえます。
また、これに加えて、これまでにも述べてきたとおり、鉄道という業種は非常に特殊な知識と技術が要求されるものです。その証左に、鉄道の現場に従事する職員には、国土交通省の定めた運転適性検査を受け、それに合格することが求められています。こうした検査だけではなく、長年の経験を積み上げることで技術や適切な判断力が身につくということです。
さて、こうした特殊性にもかかわらず、鉄道会社の人事システムは現場と非現業とに分けられています。前者は専ら駅や運転区所、車両区所、施設区所などを職場とする社員で、車両や運転、輸送システムに精通しています。彼らは基本的に現場要員のため、よほどのことがない限り本社や支社などといった管理部門へ異動することはありません。
後者は現場部門とは正反対の、本社や支社といった管理部門を職場にする事務系の社員で、入社当初こそは研修などの人材育成の過程で現場勤務を経験しますが、それも長くて数年足らず、短いところでは半年程度の経験を積ませただけで管理部門へ配属されます。
くどいようですが鉄道という巨大な輸送システムは、現場が中心でありそれらが正しく機能することではじめて安全輸送が成立します。乗客自身も、現場の社員がきちんと仕事をしていると考えるからこそ、安全な乗り物として安心して利用しているのです。
その現場を経営的な観点で管理する管理部門の社員は、現場の経験があるといってもそれはほんの僅かであり、現場の仕事の実際を知らないままで人事や経理、さらには経営を行っている実態があるといえます。
端的に言えば、同じ会社の社員でありながら、現場社員と管理部門社員との間に、輸送システムに対する認識の剥離が大きいと考えられます。
筆者の鉄道マン時代にあったエピソードの一つですが、ある日、東京・丸ノ内にあった支社の廊下を歩いていると、後輩の総合職採用の社員とちょっとした立ち話をしたことがありました。その社員はちょっと変わった人物だったのですが、話の中で「僕は現場を知っている」と言いました。そこで、私は「何年くらいの経験があるのか?」と訊ね返したところ、その社員は「半年」と答えました。3年近く勤めている筆者ですら、現場の仕事のすべてを理解していたとは言い難いのを、たった半年の現場での経験ですべてを理解することは不可能です。そうしたごく僅かな現場での経験で、すべてを分かったつもりで経営に携わるというのは安全輸送を身の上としている鉄道会社としては、ある意味致命的な欠陥ともいえるでしょう。それだけ、鉄道の仕事というのは細分化されかつ特殊なものだといえます。
こうした、いわゆる「キャリアとノンキャリア」に分けられるような、ある意味官僚機構をそのまま持ち込んだ人事システムでは、経営に携わる社員は鉄道という輸送システムをきちんと理解し、現場では何が起きているのかを把握して経営することは難しいといえるでしょう。今日の新規採用者の情報を見ても、かつての総合職と現場職といった露骨な名称ではなくなったにせよ、ポテンシャル採用とプロフェッショナル採用という横文字の名称に変えてわかりにくくしたとはいえ、やはりキャリアとノンキャリア的な採用方法は変わっていません。
また、鉄道会社によっては、現場の仕事によっては子会社や協力会社へ丸投げという実態も見受けられます。鉄道会社本体からすれば、そうした会社へ業務委託をすることで人的コストを削減できるとしていますが、そうなるとそれらの会社はコストをさらに減らすために正規社員を抱えず非正規社員を採用することで対処しているのが現実です。これでは肝心な技術の継承もままならず、安全輸送という鉄道の生命線も脅かされるのも頷ける話ではないでしょうか。