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鉄道貨物は実にいろいろな物を運んでいます。大きな物であれば、発電所や変電所で使う超大型の変圧器がその代表例でしょう。シキ車と呼ばれる大物車に載せられ、臨時列車として仕立てられて製造された工場から運ばれます。もっとも、シキ車の運転自体が特殊な例で、年中運転されてはいません。
コンテナはいまや日本の鉄道貨物においける主役です。コンテナで運ぶものもまた多様で、私たちの生活に最も身近である物を挙げれば、生鮮野菜がその代表例でしょう。また、最近はAmazonや楽天などネット通販が盛んですが、これらの通販業者の拠点から出荷される宅配便の荷物もまた、一部ではコンテナに載せられています。
例えば佐川急便が一列車をチャーターしている「スーパーレールカーゴ」はその好例です。しかもこの列車は、世界でも珍しい「貨物電車」によって運ばれ、東京(タ)ー安治川口間を6時間強で結んでいます。
また、宅急便で知られるヤマト運輸も、一列車貸切とまではいきませんが、長距離の混載貨物は従来のトラック便から、専用のコンテナを使った鉄道輸送へとシフトしています。
このように、鉄道貨物を利用する運送会社は少しずつ増え、今では大手運送会社の多くは、長距離については鉄道利用が基本となってきているようです。
鉄道貨物の利点は、やはり人件費を抑えられること、一度に大量の貨物を運ぶことができること、そして環境負荷がトラックと比べて非常に低く抑えることができることです。
こうした利点は、多くの人が知るところです。
ところが、「多くの貨物を、一度に運ぶことができる」という利点を見つけ、顧客となる事業者から「提案」されて実現した貨物列車がありました。
先日もご紹介したこの写真ですが、一見すると無蓋コンテナを載せた貨物列車で、これといって大きな特徴がありません。20フィート級のUM13Aコンテナが3台、コキ104に載せられて走っている姿ですが、このコンテナに大きな特徴があります。
この列車は武蔵野線梶が谷(タ)から川崎貨物を経て、神奈川臨海鉄道末広町間で運転されています。その距離、僅か20kmにも及びません。鉄道貨物の利点である「長距離大量輸送」が生かされていない、短距離列車なのです。
実はこのコンテナは、地方自治体である川崎市が所有している私有コンテナです。コンテナの右端には、川崎市のシンボルマークが、左下にはコンテナを実際に運用する生活環境局のキャラクターも描かれています。全国見渡しても、自治体がJRコンテナを保有するという例は少ないといえるでしょう。
この列車に載せられているコンテナが運んでいる物は、「生活廃棄物」と呼ばれるものです。言い換えれば、普段の生活から出される「ごみ」を載せています。
この列車を運転するきっかけは、実のところJR貨物の営業努力によるものではなく、なんと顧客となった川崎市から提案があったそうです。
1995年頃、川崎市のごみは増える一方でした。人口も増え続けていたこともあって、市北部で出たごみを焼却した灰は、大型トラックで南部の臨海部にある埋め立て地へ運んでいました。ところが、トラックの維持コストもさることながら、市内の道路渋滞は激しくなる一方で、しかも自動車から出る排気ガスなど環境問題にも悩まされていました。
そこで、市内を縦断する武蔵野南線に目をつけたのです。もちろん、「ごみ」を貨物列車で運ぶという発想は、この頃のJR貨物にはありませんでした。かくいう筆者も貨物会社に勤めていましたが、いくら畑違いの施設・電気系統の職員でも、貨物列車で運ぶ物といえば、工場から出荷される「製品」か、あるいは工場へ運ばれる「原材料」というのが常識でした。さすがに「ごみ」を運ぶなんていう発想はなく、そもそも「そんな物を運ぶなんて非常識だ」という考え方でした。
こうしたあたりは、民営化はされたとはいえ、「JRという看板に架け替えただけの国鉄」と言われたように、発想の転換や意識改革という言葉にはほど遠かったいえるでしょう。
川崎市からこのような提案を受けたJR貨物も、「ごみを運ぶなんて」と消極的だったと言われています。それもそのはずで、筆者がまだ貨物会社で鉄道マンだった頃、貨物輸送といえば原材料や製品しか考えられていませんでした。例えば、アルミニウム原料となる「アルミナ」や、燃料としての「ガソリン」や「石油類」、さらにはセメント製造に欠かせなかった「石炭」や「石灰石」が原材料にあたります。これらはほとんどが車扱貨物でしたが、コンテナ貨物としては清涼飲料水や酒類、食料品や家電製品などいずれも「新品」であり、廃棄物など微塵も考慮されていなかったのです。
しかし、相手は一般の企業ではなく、地方自治体です。しかも、ほぼ毎日のように運ぶとなると、定期的な運賃収入が得られます。そればかりか、企業ではないので運賃の取りっぱぐれもなく、確実に回収ができます。
バブル経済が破綻し、それまで上り調子だった鉄道貨物輸送も、この頃には輸送量も右肩下がりで業績も芳しくありませんでした。JR貨物としても、できれば確実な運賃収入を得たいところでしたが、そうそう簡単にはいきません。
そこで、一般のコンテナではなく、廃棄物専用のコンテナを製作して運ぶことにしました。このコンテナは、列車として走行している最中に貨物となるごみや焼却灰を散乱させないような構造としました。また、無蓋コンテナですが、密閉構造とすることで廃棄物特有の悪臭を飛散させないようにしました。
こうした工夫などを施し、地方自治体が1列車をチャーターする専用列車が運転されたのです。筆者が梶ヶ谷(タ)に勤務して時期から3年後、退職してから僅か1年後にこのような列車が運転されるとは思いもよりませんでした。
とはいえ、この列車が運転されるようになったことで、それまで市内のあちこちで見かけた焼却灰輸送用のトラックは急速に姿を消していきました。もっとも、その分だけは確実にトラックは減りましたが、市内の道路渋滞はというと・・・。
この列車の運転がきっかけで、「静脈物流」という従来にないジャンルの貨物輸送がは始められたようです。工場などから出る廃棄物を、遠くの処理場まで運ぶという発想ができるようになり、今では多くの貨物駅で「産業廃棄物処理施設」の届出がされています。
ちょっとした発想の転換と意識改革で、それまでなかったことができるようになるという好例といえるでしょう。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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