旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【2】

「通勤形電車」とは

 ここで、少しだけ通勤形電車のルーツに触れておきましょう。
 通勤形電車の元祖というと、戦時中に開発された63系電車に遡ることができます。戦前につくられた電車にも、同じような設備をもったものがありましたが、それらは通勤形という概念がなかった時代でした。


前回までは 

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f:id:norichika583:20180620175411j:plain第二次世界大戦中に工場へ大量の人員を輸送することを目的に開発・製造された戦時設計の63系電車。物資が極端に乏しい中で製造したため、本来の材質ではなく代用品を使った電装品や室内の内装品、さらには工作を極力簡略化した構造としたために、戦後直後の火災事故(桜木町事故)で多くの犠牲者を出してしまうことになった。(Wikimediaより引用)

 63系電車は戦時中、兵器を生産する工場へ動員された大量の人員を輸送することを目的として急造で生産されました。戦時中ということで資材は極端に不足している中での急造電車だったので、車内には座席がなく内張も省略されて骨組みは丸見えなど、乱造粗悪な車両でした。その粗悪ぶりが祟って、戦後間もない1951年に、根岸線桜木町駅付近で火災事故を起こし多くの犠牲者を出す大惨事を起こしてしまいました。
 その事故を受けて、徹底的に簡略化されていた電装品の改善をはじめ、構造そのものも改善し、戦前に製造された車両のレベルまで引き上げたのが72系電車でした。72系電車は改良を重ねながら数多く製造され、東京を中心とする首都圏や大阪を中心とする関西圏の通勤路線で活躍しました。最も最後に製造された車両は、木材を一切使わない「全金属車」として製造され、今日の車両の基礎ともなりました。

f:id:norichika583:20180620175430j:plain▲63系電車の欠陥を一掃し、本来の安全性を確保しながら居住性も戦前製の電車並みにもどした72系電車は、その後、改良を加えながら大量に生産された。特に最後期につくられた920番台は「全金属車」と呼ばれ、軽量構造を取り入れた設計で内装に至るまで木材を使用せずすべて金属でつくられた。写真のクハ79形の正面の意匠も、後の101系電車へとつながるものになっていった。写真は南武線武蔵溝ノ口駅に進入する72系電車。背景に写る田園都市線溝の口駅のホームがまだ新しく、高層の建物まだなかった。(©VVVF Wikimediaより引用)

 しかし、これらの車両は車体や車内設備は改良により近代化されていても、走るためのモーターや駆動方式は、戦前から脈々と続く「吊り掛け駆動式」と呼ばれるものでした。
 吊り掛け駆動式は、構造が簡単で部品点数も少なく、しかも製造するコストも安価で済みます。その反面、この簡単な構造であるが故に高速で運転することには不向きで、大型化したモーターの重量が線路への負担を増やし、台車やモーターの摺動部の寿命も寿命も短いがためにランニングコストが高くなり、加えて騒音と振動が激しく乗り心地にも大きな影響がありました。
 一昔、いえ三昔ぐらい前だったでしょうか、冷房もなくて走り出す時にやたらと「ブウウウウン」と低い音を唸らせ、しかもビリビリとした振動が床から脚に伝わってきた古い電車がありました。それこそが、この「吊り掛け駆動式」の電車です。このお話を読んで、「ああ、あれか」と思い出された方は、きっと筆者と同じくらいか、それよりも上の方でしょう。

f:id:norichika583:20180620175452j:plain▲72系電車の車内。横長のロングシートは、今日の通勤形・一般形電車に通じる設備となった。写真は座席の後ろにある窓が三段式なので、初期型(63系電車から更新されたものも含む)であることが分かる。窓枠が木製で、中央部には握り棒もあることが昔の電車であることを窺わせている。(©spaceaero2 Wikimediaより引用)

 でも、なんていったって通勤電車です。できればもっと効率よく、そして速くお客さんを運びたいものです。駅と駅の距離は短くても、できるだけ速く走り出して、高速で走り、駅に着く時には効率よくブレーキをかけて、所要時間を短くすれば、列車をもっと多く走らせることができます。そうすれば、次から次へと押し寄せてくる乗客を、できるだけ多く運ぶことができます。そんな、高性能な電車を国鉄は求めました。
 こうして開発されたのが90系電車、後に101系と呼ばれる「新性能電車」でした。