旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から そこはどっぷり昭和の世界・クモハ40

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 

 「旧型国電」というカテゴリーの電車をご存知なのは、熱心なファンの方か、恐らく筆者と同じ年代や諸先輩方ではないでしょうか。吊り掛け駆動と呼ばれる構造が簡単で、出力を増大させるととも大型化した主電動機(モーター)を装着するのに、台車枠に「吊り掛ける」ように装備していました。

 この構造のため、高速運転には不向きであるとともに、モーターの振動とともに独特な音を立てて走ります。いまの電車では考えられないほど、低速で騒音の響く走行音でした。

 しかし、今日ほど技術が発達していない1900年代はじめの頃にあって、電機で走る鉄道車両自体が貴重だったので、こうした音や振動も仕方のないことだったのかもしれません。

  

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 車体には1100mmの側扉を3箇所もち、車内はロングシートを備えるクモハ40は、通勤輸送用につくられたのでした。

 左心をご覧いただいてもお分かりになるように、外板はすべて構体にリベットで打ち付けています。窓の上下にはウインドシルとヘッダーがあるなど、典型的な旧式の車体構造です。

 つくられてからの年数を物語るかのように、車体外板には歪みも出ていて、照明でその歪みがさらに強調されているようにも見えます。保存された古い車両ならではの見え方ともいえます。

 

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 車内に入ると、照明は白熱球独特の柔らかみのある色で照らされています。

 今日ではLEDでこうした色を出す照明も可能ですが、実際にはごく一部でしか使われていません。基本的には蛍光灯の色温度を引き継いだ昼白色や昼光色と呼ばれる色の電球が使われています。

 時代が時代だったので、蛍光灯などまだなく、照明はすべて白熱電球が当たり前でした。言い換えれば選択の余地がなかったのですが、こうしてみるとなるほど落ち着いた雰囲気にも見えます。

 そして座席のモケットの色と、木製窓枠のオークブラウンの色合いが何ともアンティークにしてくれていました。

 確かに冷房装置もなく、寒気は窓を開けることとグローブ形ベンチレーターだけでは、真夏にはこれに乗るのは気が引けるでしょう。木製窓枠なので建て付けも悪くなり、冬には隙間風に悩まされるかもしれません。それは「快適」といった言葉とは、ほど遠い代物でしょう。

  

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 「古くさい」といってしまえばそれまでですが、製造コストを下げることを最大の目的に、鉄道事業者の車両も内装は無機質なFRP製で、しかも同じ形状の部品を多用するようになった「面白みに欠ける」今日の車両と比べると、昔日のよさのようなものが感じられるのは私だけでしょうか。

 

 さて、写真は大宮にある鉄道博物館に展示されているクモハ40074。

 前面は戦前の一時期に流行した流線型の丸みを抑えた、いわゆる「半流線形」の形状をもっています。1935年に川崎車輌(→川崎重工)で、両運転台をもつ三等電動車としてつくらた戦前の省形電車の一員として登場しました。

 戦前、戦中、戦後と通して東京地区で乗客を乗せて走った後、通勤通学輸送の役目を後輩である新性能電車に明け渡すと、多くの仲間たちは用途を失って廃車・解体の運命を辿っていきました。

 しかし、074号車はそうにはならず、国府津電車区に配置になって職員輸送用の事業用車として生き残りました。

 国鉄時代、工場や操車場、車両基地など比較的大規模な職場で、駅からの便が悪いところには、最寄りの駅から職員輸送の専用列車を運転していました。最近ではJR東日本長野総合車両センターに勤務する職員を輸送をしていたクモユニ143が知られています。いまではあまり考えられませんが、わざわざバスを購入して、そのために運転する職員を雇うよりは、工場や車両基地に所属する事業用車で運ぶ方が効率的だと考えたのでしょう。

 残念ながら筆者が鉄道に入った頃には、そのような「便利なもの」はなくなってしまっていましたが、小倉車両所(JR九州小倉工場→小倉総合車両センターと同じ敷地内)に勤務しているときは、路面電車で通勤をしていたので、小倉駅から職員輸送用の列車があったら、なんて思ったこともありました。

 話は逸れてしまいましたが、074号車は国府津で職員輸送で最後の奉公をした後、国鉄の分割民営化を目前にした1987年3月30日付で廃車になり、そのまま用済みとして解体されるかにみえました。

 しかし同じクモハ40の054号車を継承したJR東日本は、074号車が半流線型の車体をもつことから動態保存をすることにし、幸運にも廃車から1年が経っていない1988年3月21日付で車籍を復活させ動態保存となりました。

 その後、054号車とは対照的にイベントなどで活躍し、スポットライトを浴びるようになります。そして、ある事故が契機となって旧式のブレーキ系統をもつ車両の運転ができなくなってしまったため、運行を停止させられそのまま廃車になっていきます。

 さらに074号車には幸運が待っていました。

 大宮にできる鉄道博物館に収蔵されることが決まり、以来、多くの人たちに昔日の鉄道車両の姿を見せ、鉄道の歴史を伝えるという役割を担っています。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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